ハヤブサの産声
卒業式の放課後。
喧騒が去ったピットに、健太は一人立っていた。
手元には、念願のプロライセンス。そして、目の前には石原校長から「卒業記念」として特別に譲り受けた一艇の機体があった。
機番:61。
かつて江戸川の主と呼ばれたレーサーが愛用し、今では「扱いきれる者がいない」と倉庫に眠っていた、からくり機艇の異端児。
側面に描かれた、鋭い眼光のハヤブサの模様が、西日に照らされて今にも羽ばたきそうだ。
「……今日から、お前が俺の相棒か」
健太は無骨な手で、ハヤブサのハル(船体)を撫でた。
中古だが、手入れは行き届いている。健太の経理マンとしての計算によれば、この機体のマブイ伝達効率は、調整次第で理論上の限界値を突破するポテンシャルを秘めていた。
「そいつは気性が荒いぞ、佐伯」
背後から、鉄を連れた石原校長が歩み寄ってきた。
「低出力のマブイでも、限界まで絞り出すために設計されたピーキーな機体だ。……お前の『流量制御』でなきゃ、一瞬でオーバーヒートしてスクラップだ」
「……過酷な現場(環境)には慣れています。35歳で新人に戻る男には、これくらいのアク(個性)がある方が丁度いい」
健太はそう言うと、持参した工具箱を開けた。
中には、会社員時代に夜な夜な磨き上げた『三気筒・水冷式からくり点火プラグ』。
それを、61号機の心臓部へと組み込む。
カチッ。
完璧な噛み合わせ。
健太がスターターを引き、マブイを流し込んだ瞬間、ハヤブサのエンジンがかつてない咆哮を上げた。
ただの爆音ではない。それは、自由を求めて叫ぶ鳥の鳴き声のようだった。
「……いい声だ。……サラリーマンの愚痴より、ずっと聞き応えがある」
ヘルメットを被り、眼鏡を外す。
目つきが「元総長」の鋭さに変わり、Tシャツの袖から覗く腕の筋肉が、振動に耐えるべく硬く引き締まる。
健太はハヤブサを水面へと進めた。
2041年春。
36歳になった男と、伝説の61号機。
「史上最年長の狂犬」と「孤独なハヤブサ」のコンビが、ついにプロの世界――東京支部所属のルーキーとして、平和島、多摩川、そして江戸川を震撼させる日々が幕を開ける。
「見てろよ、佐藤。……俺の本当の『仕事』は、これからだ」
全速旋回。
ハヤブサの翼が水面を切り裂き、白い飛沫が虹を描いた。
その光景は、教習所の窓から見ていたカイたちの目に、消えることのない焼き印を残した。




