第24話 余波
空の高いところだけが、まだ薄く茜を残していた。
森はいつもより遠く見える。
膝から下が鉛みたいに重く、吐く息はすぐ熱になる。
焦げと獣の匂いがまだ漂い、低い西日が枝の間から斜めに差して、足元の影をやたら長く伸ばした。
…ステラは沈黙したままだ。
ささやかな段差に身体がついていかず、視界の縁がちらつく。
風が少し冷えてきた。
膝が抜け、土のざらつきと湿った草の匂いが一気に近づく。
木漏れ日の粒は夕の色を帯びて揺れ、ほどけて、静かに暗さへ溶けた——。
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白い天井。
格子窓の縁が淡い金色を帯び、細い光がシーツの皺をゆっくりなぞっていく。
鳥の声が遠くで混じり、薬草と干した布の匂いが鼻に残った。
「……ウィン様?!」
すぐ横で、ミレイユが息を呑んだ。
椅子をきしませて立ち上がる勢いのまま、指先が震えている。
「よかった……! 本当によかったです……っ」
言葉が追いつかないのか、胸に手を当てたまま何度も頷いて、水差しの栓を外す手がもつれる。
少しこぼれてしまい、「ごめんなさい」と慌てて布で拭きながら、背にそっと手を添えた。
「ここは駐屯所の医務室です。セラさんが見つけてくださいました。
……ずっと目を覚まされなくて……わたし、もしものことを考えると怖くて……」
喉がからからだった。水を口に含むと、体の輪郭が戻ってくる。
「……ごめん、心配かけたね。ありがとう」
…ガシャーン!
——廊下のほうで、甲高い破裂音が跳ねた。
誰かの「あっ!」という声。
すぐあとに空気を裂くひゅっという音が近づいてくる。
「どけどけぇ〜っ! 新入り子分はどこだぁ!」
カーテンがばさっと揺れ、ピコが飛び込んできた。
空中でくるりと一回転、ふわりと減速してベッド柵に着地。
胸をどん、と叩いて仁王立ちする。
「やぁっと起きやがったな、ウィン! 起きねぇなら“特製目覚ましヘッドバット”ぶち込むとこだったぜ! ——生存確認、よしッ!」
すぐ後ろからセラが小走りで現れ、慌てて頭を下げる。
「す、すみません~っ! 廊下の花瓶……ピコが飛んできちゃって~……あとでちゃんと片づけますから~。ピコ、医務室は静かにですよ~」
「俺様には関係ないね!」とピコはふんぞり返り、こちらへ顔を寄せる。
「顔色は……よし。水は? んー、特に怪我はなさそうだな!」
遅れてナッシュが片手をひらひらさせて顔を出す。
「おいおい、ペット君、耳元でそんな喚かれちゃ、また寝込んじまうぜ?
よう、ウィン——生きてて何より。寝起きに美女に囲まれて幸せもんだなぁ。」
「ペットじゃねぇ! ここは満床だ、帰りやがれ!」とピコ。
賑やかな空気に、思わずくすりと笑いがこぼれた。
「……みんなも、無事で良かったよ。」
「ま、俺んとこは戦姫リィナ様が一緒だったからな、余裕だったぜ。」
ナッシュが片手をひらひらさせたまま、口角だけ上げる。
「でも、倒れてたって聞いて流石に心配したが、どこも怪我してねぇらしいじゃないか。ノクスベア相手に無傷たぁ、さすが主席合格者様だぜ」
「あ、そうですよ~。どうやって助かったんですか~?」
セラが首を傾げ、ふわりと笑う。
ミレイユがはっと思い出したように顔を上げる。
「そうでした……さきほど団員さんがノクスベアの死骸を発見したと仰っていました。まさか、ウィン様が……?」
——空気が一拍止まる。
ミレイユとセラ、ナッシュ、そしてピコが順に互いの目を探り、最後にウィンへ戻す。
「…いや、違う違う!」
ウィンは慌てて両手を振った。
「俺は命からがら逃げてきただけさ! さすがに、あんな化け物を相手にできるわけないよ!」
「あ、そうだ、ウィンさん」
セラが思い出したように顔をあげた。
「今日の夕刻、騎士団長のカイン様が来校されます~。ノクスベアの件について、私たちに直接お話をうかがいたいそうです~」
ミレイユが小さく息を呑み、ナッシュは片眉を上げる。
セラは続けた。
「一緒にいた団員さんは、まだ意識が戻っていないみたいで~。もしウィンさんが目を覚まされなかったら、わたしだけ事情をお伝えする予定だったみたいで、1人じゃ不安だったんですよ~」
「なに言ってんだ! オレ様もいるだろ!」
ピコが胸をどん、と叩いて喚く。
「ま、夕刻までまだ時間はたっぷりある。一旦寮に帰ろうぜ? ここじゃ落ち着かねぇだろ」
ナッシュの提案に、皆うなずいた。
**
寮に戻り、自室のベッドに腰掛ける。
本来ならあと1時間程で朝の授業が始まるはずだが、昨日の騒動を受けて一年は休講だという。
左手のステラは未だ沈黙している。
机のグラスを取り、意識をそっと落とす。
…水滴
空のグラスに静かに水が満ちた。
一口喉を潤し、グラスの水を見つめた。
「…皮肉なもんだな。ずっと欲しがってた力が、大切な人を失って手に入るなんて。」
(……魔法が使えたら、それで全部うまくいくのか?)
あの日の言葉が、薄い傷のように胸の内側で疼く。
…コンコン。 扉が小さく鳴った。
「…ウィン。いる? 入ってもいい?」
アリエスが扉から顔をのぞかせる。
ドアの隙間から覗く瞳が安堵の色で潤み、すぐに眉の角度だけが叱る形に変わる。
「もう……倒れたって聞いて、心臓が止まるかと思ったわよ。無茶するなって言ったよね?!」
「ちょっと疲れただけだよ、怪我もないしね。」
軽く笑ってみせると、彼女は椅子を引き、腰を下ろした。
「……演習、何があったの?」
ノクスベアが現れたこと、みんな無事だったこと。
必要な事実だけを順に置いていく。
アリエスの肩の力が、一枚ずつ抜けていった。
「…そう。とにかく無事でよかったわ。」
彼女はうなずき、鞄から薄いメモを取り出す。
角が何度も折れた跡が、昨夜の足取りを物語っていた。
「さっそくだけど、昨日少し当たってみたの。——まず外套。今の騎士団は紋章入りの外套を使っていないって。式典でも出さないそうよ。昔はあったみたいだけど、魔影大戦のあとから使わなくなったって聞いたわ」
「それと、最近は王都周辺で魔物の目撃が多いから、ここ数か月は王都を離れた団員はいないみたい。」
「俺のほうも、昨日いっしょにいた騎士に聞いた。今の騎士団に“従魔を操る”人はまずいないって。……でも、あの男は確かに使役してるように見えた——」
言い切る前に、アリエスが言葉を被せる。
「——少なくとも“現役”じゃない可能性が高い、ってことね。若そうだって話だから魔影戦争時代の元騎士って線は少なそうだけど——関係者って可能性もあるわね。後は単純に騎士団を騙る誰か……」
ウィンは小さくうなずいた。
「うん。俺もそう思ー」
『……起動確認。ARC充填完了。』
こめかみの奥で、澄んだ声が弾んだ。思わず肩が跳ね、左手首へ視線が落ちる。
「……どうしたの?」
アリエスの眉が寄る。
「……ごめん。いや、なんでもないんだ。」
慌てて息を整えた。
「……なんでもなくは、ないわよね?」
ウィンの心を見透かす様に、視線が逃げ道を塞ぐ。
——アリエスとは長い付き合いだ、誤魔化すのは難しいだろう。
「……うん。そうだな。黙っててごめん。」
左手首の輪を指でなぞりながら、語り掛ける。
「……ステラ、アリエスにも顔見せられるか? 声も聞こえたらいいんだけど…」
『セルト。ラディアントとウィンド・モジュールを応用すれば可能です。』
空気に薄い光が走り、細い輪郭が結ばれていく。
銀糸めいた髪、静かな瞳。少女の像がふわりと立った。
『はじめまして。アリエス。わたしはA.I.M.S. type Stellaと申します。ステラとお呼び下さい』
アリエスは驚きのあまり、その場でフリーズした。
次回は水曜日に更新予定です




