第22話 従魔の力②
森の奥から漂う気配に、緊張が小隊を包んでいた。
前を歩く騎士団員が立ち止まり、腰に下げた剣へと手を添える。鋭い眼差しが茂みを射抜いた。
「……よし、確認しておこう」
低く抑えた声が、静かな街道に響く。
「ウィン、お前は炎弾と、それに光輝壁も使えると言っていたな。周りに燃え移らないよう、火属性は控えろ。光輝壁で防御しつつ、俺の方に誘導してくれ」
「……はい」
ウィンは短く頷き、胸の奥に緊張が走るのを感じた。
「君はセラと言ったな」
団員は視線を横に移す。
「従魔の力は初めて見たが、守りに特化したものはいるか?」
セラは小さく息を整え、ローブの裾を握り直す。
「はい~。“ろっくん”がいます。あの子は丈夫で、守りなら得意ですよ~」
「よし、では君も従魔で魔物を押さえながら、俺の方に誘導するんだ。」
団員は頷き、剣の柄を強く握った。
「このあたりの魔物は数は多いが、それほど強力ではないはずだ。余裕があれば1~2体倒しても良いぞ。だが無理はするなよ。」
その声には、危険を遠ざけながらも、若者たちに成長の機会を与えたいという温かな思いがにじんでいた。
風が止み、木々のざわめきが消える。
ただ、獣の吐息のような湿った空気だけが、三人の周囲に流れ込んできた。
「来るぞ……構えろ!」
騎士団員の号令と同時に、茂みを割って黒い影が躍り出る。
「――散開! 左右から回り込め!」
騎士団員の号令に、ウィンとセラは素早く動いた。
セラは両手を組み、ろっくんを呼び出す。
「従魔召喚――、おいで~ろっくん~」
ピコのしっぽが輝くとともに展開された紋様から、
岩に覆われた巨体が唸りをあげ、魔物の進路を塞ぐ。
「いいぞ、そのまま誘導してくれ!」
団員が前方へ踏み込み、剣を構えながら吠えるように叫ぶ。
「……がぉぉぉっ!」
しかしろっくんは、誘導どころか真正面から魔物を一撃で粉砕してしまった。
「あら~、倒しちゃいましたね~」
セラが困ったように笑いを浮かべる。
一方のウィンは光壁を展開して魔物を受け止めていた。
「――くっ」
押し寄せる衝撃を防ぎつつも、胸の奥に思いがよぎる。
(……誘導より、倒した方が早いな…試してみるか。)
ちょうど、セラも団員も、こちらを見てはいない。
ウィンは小さく息を吐き、手を振り抜いた。
風が鋭い刃となって奔り、前方の魔物をまとめて薙ぎ払う。
血飛沫が舞い、倒れ伏した群れの中を突風が駆け抜けた。
試験の際、新たにラーニングした風刃だ。
静寂が戻ったのは、ほんの数刻後だった。
「……妙だな」
囮役を務めていたはずの騎士団員のもとには、思ったよりも魔物が寄って来なかった。
心配になり、彼は二人の方に意識を向けた。
茂みを抜け、先に姿を現したのはウィンだった。剣を軽く下ろしながら、穏やかな声をかける。
「もう……魔物はいなさそうですね」
「……思ったより少なかったのか? そちらにはあまり来なかったか?」
団員が眉をひそめる。
「そうですね。三十体ほどしか来なかったので、すべて撃退しておきました」
「……な、なんだと? 冗談が過ぎるぞ」
目を見開き、信じられないというように声を荒げたその時――
――ガォンッ!
地を揺るがすような咆哮が響き、茂みを押し分けて巨体の従魔・ろっくんが姿を現す。
「すいませ~ん……ろっくん、張り切りすぎちゃって……」
セラが困ったように微笑みながら駆け寄ってきた。
団員は絶句したまま、一歩、また一歩と前へ進む。
そして、目の前に広がる光景を見て言葉を失った。
辺り一面に転がる魔物の死骸。三十体どころか、それ以上。血と土埃の匂いが漂い、戦場の凄惨さを物語っていた。
「……まさか、本当に……これだけの数を討伐したとは……」
団員は深く息を吐き、瞳を見開いた。
「いや……正式に任務を任せられるほどの腕だ。光壁を使える者など、団の中でも指折りしかいない。加えてこの剣術……まるで風魔法を操っているかのようだ」
「……っ」
ウィンの心臓が一瞬跳ねる。わずかな沈黙ののち、無理やり笑みを作ってやり過ごした。
団員はさらにセラとろっくんへ視線を移す。
「それに……なんといっても従魔の力はすさまじいな。俺も初めて見るが、まさかこれほどとは…」
ピコは逆に胸を張り、空中でぐるりと宙返りした。
「当然だ!!」
その誇らしげな声に、騎士団員は小さく笑みを漏らしながらも、目に驚嘆の色を隠せずにいた。
ウィンは剣を収めながら問いかけた。
「……今の騎士団には、従魔の力を持った人はいないんですか?」
団員は大きく首を横に振る。
「まさか!…従魔使役は魔影大戦以降、とうに途絶えたと聞いている。そんなやつがいたら知らないわけがないさ。先日の試験の後、セラの従魔使役の噂は学園だけでなく、王室にまで伝わっていたくらいだ。まあ皆、半信半疑だったがな。」
ウィンはそこで一歩踏み込み、問いを投げかけた。
「……例えば、隠しているだけで、実は従魔を使える人が騎士団にいる、なんてことはありませんか?」
団員は眉をひそめ、即座に首を横に振った。
「ないな。従魔の力はセラのように血統に根付くものだと聞く。もしそんな一族の出なら、必ず知られている。隠し通せるものじゃない」
「……そう、ですか」
ウィンは短く答えたが、心の中で冷たい波が揺れる。
(ということは……あの男が本当に騎士団員だったとは考えにくい。――なら、騎士団員の“ふり”をしていたのか)
胸の奥で冷たい思考が渦を巻いていたが、それを悟らせまいと口元に笑みを作る。
「……しかし、本当に助かったよ。俺の出番なんて、ほとんどなかったな」
団員が小さく笑みをもらした、その直後――
――ガァオオオォォンッ!
森全体が震えるような咆哮が響き渡った。
鳥たちが一斉に飛び立ち、枝葉がざわめく。地を震わせる足音が、確実に近づいてくる。
「……なんだっ!」
騎士団員の表情が鋭さを増す。即座に振り返り、セラへと命じた。
「セラ! 従魔を飛ばせ!」
「は、はいっ!」
セラは肩のピコを抱き直し、両手を組んだ。
「――従魔召喚……!」
足元の魔法陣から、淡い光に包まれた小鳥の従魔が舞い上がる。
羽音を残し、木々の間を抜けて前方へと消えていった。
しばしの沈黙。
やがてセラは目を見開き、青ざめた表情で報告した。
「……大きな獣です~。黒い毛並みで、背丈は木々の梢を越えるくらいあります~」
セラの声が震える。
「肩は岩みたいに盛り上がっていて……爪は人の腕より長くて、牙は槍みたいに伸びてます~。目は赤く光っていて……ただの獣じゃない、とっても強そうです~……!」
彼女の報告に、空気が凍りつく。
『……ウィン様。前方より非常に強力なエーテル反応を検知しました。先ほどの魔物の規模をはるかに上回ります。即時、撤退を推奨します』
耳の奥で、ステラの冷静な声が響いた。
「まさか……ノクスベアか!?」
セラの報告を受けた騎士団員が血相を変える。
腰の装備から、青白い光を帯びた魔晶器を取り出すと、即座に声を吹き込む。
「こちら第四小隊! 北東街道にてノクスベアを確認! 繰り返す、ノクスベアだ! 全小隊、直ちに後退せよ! 至急、討伐隊の再編を――!」
魔晶器の向こうから、ざわめきと緊迫した声が返ってくる。
「ノクスベアだと!?」「全員退け! 前線を維持するな!」
団員は魔晶器を握り締めたまま、ウィンとセラに怒鳴る。
「俺たちも退くぞ! 急げ!」
魔晶器を握り締めた団員の声が森に響く。
「――全小隊、直ちに後退せよ! ノクスベアだ! 繰り返す、ノクスベアを確認! 至急、再編を――」
その時。
『ウィン様、危険です! 非常に強力なエーテル反応が急速に接近中!』
耳の奥にステラの切迫した声が走った。
ウィンは即座に叫ぶ。
「…よけろっ!」
しかし、警告は一歩遅かった。
轟音が森を切り裂き、漆黒の巨影が突如として飛び出した。
それは大樹をなぎ倒し、地を震わせる巨獣――ノクスベア。
鉄を裂くような爪が稲妻のごとく振り下ろされ、赤い双眸が血のように輝く。
雷鳴めいた咆哮が森を揺さぶり、その威圧だけで肺が潰れそうだった。
「――っ!」
団員は反応し、剣を抜きざまに構えたが、その巨腕の一撃はあまりにも重かった。
火花と衝撃が弾け、団員の体は無残に吹き飛ばされ、背後の地面へと叩きつけられる。
「くっ……!」
ウィンは咄嗟に光壁を展開し、余波を防ぐ。だが、地面に倒れた団員は動かない。
「まさか……!」
セラの顔色が青ざめ、従魔が低く唸り声を上げる。
ノクスベアの赤い瞳がぎらりと光り、獲物を狙うようにウィンたちへと向けられる。
圧倒的な威圧感が森を覆い、呼吸さえ重くなる。
ウィンは咄嗟に光壁を展開し、振り下ろされる爪を受け止めた。
轟音とともに光がひび割れ、足元の土が抉れる。
『ウィン様、このままでは持ちません。全滅の確率は93%です。』
ステラの声が鋭く脳裏を打つ。
「……っ、そんな……!何か方法はないのか…!」
ウィンの額に汗が滲む。
『一時的に管理者権限を私に付与頂ければ、生存率は97%に高まります。まずは、二人を退避させてください』
考えている暇はない。
ウィンは強く奥歯を噛みしめ、叫んだ。
「セラ! その人を連れて、先に逃げろ!」
「で、でも……!」
セラは蒼ざめた顔で足を止める。
「大丈夫だ! 俺が時間を稼ぐ!」
光壁に押し寄せる衝撃を必死に支えながら、必死の声で怒鳴る。
セラは一瞬だけ迷ったが、すぐに唇を噛みしめて頷いた。
「……わかりました! 絶対に追いついてくださいね!」
セラは振り返ると、震える手で新たな召喚陣を描いた。
「――従魔召喚! くろたん!」
影のようにしなやかな黒豹が姿を現し、低く唸りながら地を踏み鳴らす。
「ごめんね~、お願いっ!」
セラは気絶した団員を抱え、くろたんの背に乗せた。自身も軽やかにまたがると、涙をこらえてウィンを振り返る。
「ウィンさん……必ず、あとで!」
「ウィン、親分の許可なく死ぬんじゃねーぞ!!」
その声を残し、くろたんは風のように森を駆け抜けていった。
――残されたのは、ウィンと、咆哮を響かせるノクスベア。
光壁を叩く巨爪の衝撃が、骨の髄まで響く。
「……っ!」
額に冷たい汗がにじむ。
『解析完了。周囲にエーテル反応はありません。オーバーライド・モードに移行します。』
ステラの冷静な声が頭の奥に響く。
「……はやくっ!」
『ルートアクセス。…それではウィン様、お身体をお借り致します。』
静かに、しかし決定的な声が脳裏に落ちる。
突然の響きに、ウィンは瞠目した。
「……え? それって、どういう――」
次の瞬間、光壁が大きくひび割れ、ノクスベアの影が覆いかぶさった。




