第20話 学園生活の始まり
夜の静けさが学園を包んでいた。
ウィンは指定された扉を軽く叩くと、すぐに内側から「入って」と声が返ってきた。
アリエスの部屋は整然としていて、無駄な装飾はほとんどない。机の上には資料や羊皮紙がきれいに積まれており、彼女の几帳面さがそのまま映し出されていた。
「来てくれてありがとう。改めて、入学おめでとう。さっそくだけど……」
アリエスは椅子を引き、向かいに座るよう促した。
「父さんを討った“男”のこと。情報を一度整理しておきたいの」
ウィンは短く息を吐き、言葉を探す。
「若い男だった。フードで顔は隠れてたけど……外套に“紋章”があった」
「紋章?」アリエスが眉を寄せる。
「俺には見覚えのない印だった。でも、あの時おじさんが――“騎士団の紋章だ”って言ったんだ」
その声を思い出し、ウィンは無意識に拳を握る。
「なるほど……父さんは王都にいた事もあるって言ってたし、それで見覚えがあったのかな…」
アリエスは呟くように言いながら、羊皮紙の端に炭筆で〈紋章〉と大きく書き込む。
「でも……」
彼女は視線を上げ、まっすぐウィンを見た。
「正規の任務で動いていたとは思えないわ。」
ウィンは小さく眉を寄せる。
「どうしてそう思うの?」
「騎士団の規律は厳しいの。まず、彼らは基本的に“部隊”で動く。単独で外へ出るなんてありえない。
それに、王都を離れる場合は必ず申請する決まりがあるの。たとえ休暇でもね。」
アリエスは炭筆を止め、机を指先で軽く叩いた。
「仮に申請をすり抜けて外に出たとしたら、規律を破ってるって事になるわ。つまり、騎士団の“正式な行動”じゃなかったはず」
ウィンはその言葉を噛みしめるように頷く。
「……確かに、あの時あいつは一人だった」
思い出すと、胸の奥に冷たいものが広がる。
フードの影に隠れた横顔、そして静かに歩み出る姿。
仲間の影はどこにもなかった。
「一人で、紋章を掲げて現れる……それ自体が異常なのよ」
アリエスは羊皮紙の余白に〈規律違反の可能性〉と書き加え、炭筆を握った手を軽く震わせた。
「もし本物の騎士団員なら、なぜそんな行動に出たのか。これ見よがしに紋章を見せていたとすれば、偽物の可能性もあるわね。」
ウィンは唇を噛む。
「……偽物か、本物か。俺にはわからない。ただ、今はそれしか手がかりがないんだ。」
アリエスは静かに頷いた。
「そうね。偽物だったとしても、騎士団の装備を付けていたのなら、そこから探るしかないわね。」
彼女はしばし沈黙し、考えを組み立てるように羊皮紙に視線を落とした。
「わたしの方で、当時の外出記録を探ってみる。仮に本物の騎士団員だとすれば、何かしらの痕跡が残っているはずよ。逆にもし記録がなければ、騎士団員である可能性は限りなく低くなるわね。」
ウィンは驚いたように顔を上げる。
「そんなこと、できるのか?」
「簡単じゃない。でも、学園には騎士団とつながりのある先生や上級生もいるし、……直接じゃなくても、何か掴めるはず」
その声には確信と覚悟があった。
ウィンはしばらく黙り込み、それから力を込めて言った。
「じゃあ、俺は……二日後の演習でできるだけ情報を集めてみるよ。騎士団員と行動できるまたとないチャンスだからね。」
アリエスは短く息を吐き、即座に釘を刺す。
「わかって。でも無理はしないこと。少しでも怪しまれたら、それで終わりよ」
「……ああ、わかったよ。」ウィンは静かに応じた。
二人の間に沈黙が落ちる。
蝋燭の炎が小さくはぜ、壁に伸びた影がゆらりと揺れる。
互いの決意を確かめるように視線を交わしたその瞬間、部屋の空気は重さよりもむしろ静かな熱を帯びていた。
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翌日、大講堂に新入生たちが集められた。
張り詰めた空気の中、壇上に立ったのは実技試験を担当していた女性教官だ。
鋭い視線を一巡させただけで、ざわめきが止む。
「昨日の試験、皆よく頑張ったわ。今年は中々レベルが高いわね。」
教官は腕を組み、わずかに口元を緩めた。だがその視線は厳しさを失わない。
「まずは、この学園について簡単に説明しておくわ。ここは王国で唯一、正式に魔導士と騎士を育成する場です。3年間の課程を経て、卒業した者は王都や騎士団、あるいは地方の守備隊や研究機関へと進むことになるわ。――そのための基礎を、ここで徹底的に叩き込んであげます」
広間のあちこちで生徒たちが緊張の面持ちを引き締める。
「在学中は、魔法の実技や剣術だけでなく、学術や戦略、歴史や法律まで学んでもらいます。力を持つ者ほど、責任を負わなければならない。だから“学問を軽んじた戦士”も、“戦えない学者”も、ここには必要ないわ。肝に銘じておくことね。」
一つ一つの言葉には鋼のような硬さがあった。
「そして、この学園の生徒は皆、王国にとっての未来の力であり、人々に見られる立場。軽率な振る舞いは、己の名だけでなく学園全体の名を汚すと思いなさい」
背筋を伸ばす者、唾を飲み込む者――生徒たちの反応が空気をさらに引き締めていく。
「――さて、本来なら、こうした学びを重ねながら、まずは基礎を固めるところなのだけれど」
教官は視線を巡らせ、声を落ち着かせながらも力を込めた。
「今回は事情が違うわ。皆も既に聞いての通り、聖騎士長からの依頼で、二日後の討伐演習に参加してもらうことになります。」
ざわめきが広間を走った。教官は軽く手を上げ、それを制する。
「相手は北方の森に現れた魔物の群れ。一体一体は強力じゃないけど、数が多いと聞いているわ。隊列を保ち、判断を誤らないことが大事になります。」
彼女の視線が、生徒一人ひとりを射抜くように巡る。
「でも、安心しなさい。指示は騎士団が務めます。指示に従っていれば、そうそう危険なことにはならないわ。」
言葉の端に、わずかな柔らかさが宿る。
教官は一呼吸置き、手元の羊皮紙を広げた。
「討伐演習は、騎士団員一名と生徒二名の、三人一組で行動してもらいます。今後も、実戦や演習ではこの形が基本になると思っておきなさい」
広間に再びざわめきが広がる。隣り合う者と顔を見合わせる生徒、思わず拳を握る者――緊張と期待が入り混じった空気が渦巻いた。
教官はそれをひと通り見渡し、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「……以上です。あとの詳細は明日、現地で伝えます。心して準備しておきなさい」
彼女の言葉が締めくくられると同時に、講堂はざわめきに包まれた。
二日後に控える初めての討伐演習。
――胸の奥で高鳴る鼓動を抑えられる者は、誰一人としていなかった。




