第16話 模擬戦闘①
「――第一戦、セラ・アルディナ対ナッシュ・アーデン」
試験官の声が響くと、列の中から一人の少女が静かに歩み出た。
長い栗色の髪を後ろで緩やかにまとめ、深い湖のような碧眼をした少女。
彼女の纏う雰囲気は柔らかく、戦いの場に立つには少し場違いなほど温和だった。
衣は他の受験者たちのように鎧めいたものではなく、膝下までの淡い青のローブ。袖口や裾には小花を思わせる刺繍が施され、どこか牧歌的な印象を与える。
その肩に、ひときわ目を引く小さな存在がちょこんと乗っていた。
丸い体に短い耳、背中には小さな羽。大きな赤紫の瞳をぎらぎらさせ、尻尾の先の光球がかすかに瞬いていた。
「よし! 行くぞ、セラ! オレ様の力を、愚民どもに知らしめてやるぜ!」
小さな体からは不釣り合いなほど威勢のいい声が響く。
セラと呼ばれた少女は、肩の生き物を抱き上げた。
「もう……ピコったら。そんなに偉そうなこと言わないで下さい。ただの試験ですから、落ち着いて~」
「偉そうなんじゃねぇ! 偉いんだ! オレ様が親分で、お前は子分! 忘れんなよ!」
「はいはい、頼りにしてますから~」
胸を張るピコと、柔らかくあしらうセラ。
二人のやり取りに、列の端から思わず笑いが漏れた。だがその瞳の奥には、確かな芯の強さがのぞいていた。
ナッシュが列から歩み出る。
気怠そうに片手をポケットへ突っ込み、もう片方の手をひらひらと振りながら中央へ進むその姿は、やはり戦場に立つ者のそれとは思えなかった。
「……オレの相手は、嬢ちゃんとペットか」
口元に薄い笑みを浮かべ、飄々とした声音で言う。
「ぺ、ペットじゃない! オレ様はこいつの親分――ピコ様だ!」
肩の上で仁王立ちするように翼を広げ、ぷるぷると震える声で叫んだ。
「ふふ……。お手柔らかにお願いします~」
セラは軽く会釈すると同時に、試験官の声が冷ややかな張りで演習場に響いた。
「――始め!」
セラが胸の前で両手を組む。
その仕草は祈るように見えたが、次の瞬間、ピコの尻尾が淡く光を帯びた。
「……おーし!行くぜ!セラ!」
「……はーい。従魔召喚~」
光の波紋が足元に広がり、魔法陣が展開される。
そこから現れたのは、岩肌に覆われた中型の獣。
四足で立ち、赤い瞳をぎらつかせるその姿は、守護獣を思わせる威容だった。
「よーし! かっ飛ばせ、子分2号!」
ピコが得意げに腕を振ると、召喚獣は大地を蹴り、ナッシュへと迫る。
だがナッシュは微動だにしない。
足元に迫る影を紙一重でかわし、くるりと半歩ひねるだけで巨体の突進をやり過ごす。
その顔には余裕の笑みが浮かんでいた。
「……はっ。こりゃ面白くなりそうだ」
ナッシュは余裕の笑みを浮かべ、迫る岩獣の突進を、ひらりと体を傾けて回避した。巨体が石床を砕き、砂煙が舞う。
「がおぉっ!」
岩獣が咆哮を上げ、前脚を振り下ろす。
ナッシュは軽やかに跳び退き、床を転がって距離を取った。
「おらおらっ! もっと追い込め、子分2号!」
「……ろっくん、がんばって~」
ピコとセラの声に応じるように、岩の巨獣は再び唸り声を上げ、地響きを伴って突進する。
だが――当たらない。
ナッシュは紙一重で避け続け、肩をすくめながら軽口を零した。
「おっと……危ねぇなぁ。そんな鈍重じゃ、俺には届かねぇよ」
しばらく攻防が続いたのち、ピコが尻尾をバチンと叩きつけるように叫んだ。
「くそっ……2号じゃダメだ! セラ! 次だ!」
「……は~い。ろっくん、お疲れさま~。従魔召喚~」
セラが両手を組むと、光の波紋が広がり、ろっくんの体は淡い霧となって消えた。
と同時に、床に新たな魔法陣が展開され、そこから影のように黒豹が姿を現す。
しなやかな体躯に鋭い双眸。尾をしならせながら、低く地を這うように身構えた。
「ほぉ……今度は速そうだな」
ナッシュが片眉を上げ、挑発めいた笑みを浮かべる。
「行けぇっ、3号! そいつを噛み砕け!」
「……くろたん、ケガさせちゃダメよ~」
黒豹は影のごとく駆け出し、獲物を狩るようにナッシュへと襲いかかった。
黒豹――くろたんが床を蹴ると、影が二つにぶれたように見えた。
鋭い爪が石床をえぐり、低く滑り込むようにナッシュへと迫る。
「シャアッ!」
牙を剥き、横合いから喉笛を狙う。
しかしナッシュは飄々とした笑みを崩さない。
「あっぶねぇ……なかなか速ぇな……」
その瞬間、身体をひねると同時に片足で床を軽く蹴り、宙返りのようにひらりと回避した。
爪が風を裂き、ナッシュの袖を紙一重でかすめる。
「いいぞ、3号! 次は背中からだ!」
「……くろたん、気をつけてね~」
ピコとセラの声が重なり、くろたんは再び姿勢を低くする。
尾をしならせたかと思うと、今度はナッシュの背後へと回り込んだ。
獣影が翻る。
「ぐぅぅっ!」
唸りとともに跳躍し、背中へと飛びかかる。
だが――ナッシュは片手をポケットに入れたまま、前方へと軽く飛び出した。
すり抜けるように衝撃をかわし、逆にくろたんの首筋に手を伸ばす。
「よっと、つかまえた……」
「3号、よけろっ!」
ピコが吠える。
くろたんは反射的に体をひねり、ナッシュの手を振り払った。鋭い爪が閃き、石床に火花を散らす。
ナッシュは肩を竦め、口元に笑みを残したまま数歩後退する。
「なるほどな。今度のは、なかなかやるじゃねぇか」
「当然だろ! 3号は子分の中でも特に俊敏なのだ! ゆけっ、3号!」
「……がんばれぇ~」
黒豹は唸り声を上げ、目にも留まらぬ速さで左右に揺さぶりをかける。
残像のように複数の影が走り、どれが本体かわからない。
その鋭い動きに、さすがのナッシュも初めて目を細めた。
「ふ~ん。なるほどね……少し本気出させてもらうぜ。」
ナッシュが低く呟いた。
「――闇冥幻影」
闇が波紋のように広がったが、すぐにかき消える。
――何も変わらなかったかのように見えた。
「……?なんだ今の……?」
列の受験者たちがざわめいた、その刹那。
黒豹のくろたんが疾風のように駆け出した。
唸り声とともに飛びかかり、鋭い爪でナッシュの体を押さえつける。
巨体に組み伏せられたナッシュは、石床に沈み込むように身動きを封じられた。
「ふんっ!どうだっ! 降参しろ! オレ様の子分達は最強なのだ!」
ピコが勝ち誇ったように胸を張る。
だが、その声に応えるようにナッシュが口角を上げた。
「降参?……その必要はねぇよ」
次の瞬間、従魔の下敷きになっていたナッシュの姿が――影のように揺らめき、霧散するように消えた。
「ほぇっ……!?」
ピコの目が大きく見開かれる。
「――捕まえたぜ、ペットくん。」
いつの間にか、ピコの背後に影が伸びていた。
気づいたときには遅く、ナッシュの腕が素早く伸び、小さな体をひょいと捕まえていた。
ピコの羽がばたつき、尻尾の光がぱちぱちと瞬く。
「は?!え? う、うそだろ!? 離しやがれっ……!」
ピコが必死に羽をばたつかせる。
セラは小さくため息をつき、首を傾げた。
「……あらあら。捕まっちゃいましたね~」
「セラっ! なんでのんきにしてんだ! 助けろよ!」
「でも、これ以上は危ないですし……。ここは大人しく降参にしましょうか~」
「なっ……! オレ様が負けるなんて絶対に許さねぇ!」
ナッシュは肩をすくめ、ひょいとピコを掲げながら笑った。
「悪ぃな。ペットくんを先に抑えちまえば楽勝だと思ってよ」
「ぺ、ペットじゃねぇっつってんだろ! オレ様は偉大なる親分――ピコ様だ!」
必死に抗議する声も、セラのゆるやかな笑みによって半分空気のように流されてしまう。
「ふふ……。仲良くなったのねぇ~」
いいですね!それでは、今の雰囲気を保ちつつ、試験官の裁定と次回につながる引きをまとめます。
試験官が手を上げ、冷静な声を響かせた。
「――そこまで。勝者、ナッシュ・アーデン」
ピコはじたばたと暴れながら、なおも抗議の声を上げる。
「おいっ! まだオレ様は負けてねぇぞ!」
「はいはい、ピコ。もう終わりですよ~」
セラが穏やかに笑いかけると、ピコは不満そうに頬をふくらませた。
ナッシュは肩をすくめ、片手でピコを差し出すようにひらひらと振る。
「ほらよ、返すぜ。お前の親分さまをな」
「くっ……覚えてろぉ……!」
解放されたピコはセラの肩にしがみつき、ぷるぷると震えながらも涙目で睨み返していた。
場の空気が笑いとどよめきで揺れる中、試験官の声が再び広間を制した。
「――次。第二戦、ミレイユ・フェルナー対リィナ・ヴァレンシュタイン」
その名が告げられた瞬間、列の空気が再び張り詰める。
二人の少女の姿に、受験者たちの視線が一斉に集まった。
互いの歩みが中央へと重なっていく――次なる戦いの幕が上がろうとしていた。




