19 満月の夜
満月。満ちた月。
なにが満ちた? 闇が満ちた。時が満ちた。
果実は実った。機は熟した。
今宵は満月。満ちた夜。
なにが満ちた? 欲が満ちた。魔が満ちた。
今だ熟さぬ果実よ。こちらへ来るがよい。
穢と、欲と、罪と、魔を注ぎ込もう。
贄の子羊よ。こちらへ来るがよい。
あわれな贄を見せてやろう。
次はお前がそうなる番。
魔を孕み、闇へ堕ちよ。
二度と抜け出せぬ、地獄へようこそ。
闇の揺り篭の中で、その身も心も、魂までも愛でてやろうぞ。
オオカミの遠吠えが聞こえた気がした。
夢か現か曖昧なまま、再度深い眠りに落ちようとしていたとき、愛馬のいななきが聞こえた気がした。
深く眠っていたはずが、一瞬で覚醒して飛び起きた。
着の身着のまま剣だけをひっつかみ、急ぎ、隣の部屋のドアを叩く。
「カティア! ミシェル! フローラ!」
「三人とも起きたわ!」
「すぐに装備を整える!」
「ヨシュア様は、カリンさんを!」
切羽詰まったフローラの叫びに、すぐに一階に降りて、家主の少女を確認する。
カリンが休んでいるはずの部屋は空っぽで、風呂やトイレを確認しても、どこにもいない。
焦るヨシュアの耳に、家の外からユングフラウ号のいななきと大きな物音が聞こえてくる。
「先に外に出る! ……ユングフラウ、どうした!? カリンは!?」
これまで共に巡業してきた、おとなしかったはずの愛馬が、激しく取り乱し、叫び、小屋を蹴り壊してでも外へ出ようとしていたところだった。
かんぬきを外して外へ出してやれば、馬車と自身を繋ぐ馬具……カリンが、綺麗に汚れを落とし整えてくれていた……をくわえてみせた。
「ユングフラウ、それを、どうしろと? ……取り付ければいいのか?」
本来は、言葉の通じない人と馬。
しかし、今は、互いの意思が、噛み合う。
「待たせたわ!」
完全装備のカティアたちが外へと飛び出してきて、状況を確認しようとする。
数日ぶりに馬車に繋がれたユングフラウ号は、無人の馬車を引きながら、何度も振り返る。
乗れ。早く。
愛馬がそう言っているように感じたヨシュアは、叫び、馬車に飛び乗る。
「みんな乗れ! 行き先は、ユングフラウが知っている。いや、分かっている!」
三人は、その意味を理解する間もなく、反射的に馬車に飛び乗る。
これまで出したこともないほどの速度で疾走するユングフラウ。
幸い、空には満月が浮かんでいて、夜道を明るく照らしていた。
カリンの家から村までは、そう時間はかからない。
だとしても、ほんのわずかな時間すら惜しんで、ユングフラウは全力疾走した。
「《フレイム・ストライク》!」
閉じられていた村の門を、カティアの強力な火属性魔法で焼き払い、突入する。
……そこは、もはや、異界だった。
満月に照らされてなお、暗く沈む村。
毒のように汚れた空気が、身体に纏わりつくような雰囲気。
辺り一面、人の気配もなく、虫の鳴き声もしない静寂の闇に包まれている。
見通しの利かない闇のその奥から、多数のヤギが姿を現す。
牛のように立派な体格の、……それは、ヤギ、などではなく。
「レッサーデーモン!?」
後ろ足で立ち上がった姿は、おとぎ話の悪魔の姿。
頭の両側面には捻れた角。
背には蝙蝠の羽。
尾は先端が矢じりのように鋭く。
見開かれた両眼は、血走った悪魔の形相。
大人の背丈の倍近い巨躯と、それにふさわしいパワーを持つ、低級の悪魔。
……低級に分類されながら、1体で、完全武装の兵士30人に匹敵するとも言われる、驚異の存在。
それが、およそ20体。
控えめにいって、絶望的な戦力差といえた。
……だが、
「勇者隊、推して参る! 『勇気よ、我らの胸に。《ブレイブ・ハート》!』」
ヨシュアが剣を天に掲げ叫ぶ。
神の祝福が4人とユングフラウを包み、心には勇気が満ちた。
「『神の子らに、闇を払う光の加護を。《シャイン・エンブレイス》』」
フローラが杖を地面に突き立てる。
地面から優しい光が溢れ、4人とユングフラウに、光の加護を与えた。
「『炎よ、魔を祓う刃となせ。《フレイム・ウエポン》』」
カティアの槍から炎が沸き起こり、4人の武器や盾に纏わりついた。
「さあ、よそ見は禁物だぞ! 《スポットライト》」
空から降り注ぐ光の柱が、闇の中でミシェルだけを浮かび上がらせる。
すると、レッサーデーモンたちは不自然なほどにミシェルだけに注目し突撃し出す。
「さあ、こい。悪魔ども! 《フォート・アーマー》!」
魔力で構成された光る鎧を追加で身に纏い、自身の倍ほどもある巨体からの攻撃を、剣と盾を巧みに利用し受け止め、逸らし、弾き、吹き飛ばしていく。
体格に見合った重さがあるはずのレッサーデーモンを、木っ端のように弾き飛ばしながら敵意を集めるミシェル。
そうやって作った隙を、ヨシュアとカティアが確実に突き、1体ずつ仕留めていく。
そこに、ほんのわずかな時間すら惜しいとばかりに、自分で馬具を外したユングフラウが、レッサーデーモンに突撃し、蹴り飛ばし、場をさらに混乱させていく。
そこへさらに、何の加護も、戦う理由もないはずの森オオカミたちが乱入し、次々とレッサーデーモンに飛びかかっていく。
神の祝福も、光の加護も持たないオオカミたちの牙は、レッサーデーモンにはなんの効果も与えていない。
しかし、死角から飛びかかり、関節や羽や顔など弱点になりそうな部位を狙い攻撃を続けていく。
森オオカミとレッサーデーモンとでは、力の差は歴然。
たとえオオカミたちが100匹いても、レッサーデーモン1体を倒すことはできないはず。
それでもなお、ヨシュアたちやユングフラウを背に庇い、果敢に攻め立てる。
その意図を察したユングフラウが、デーモンたちの中央へ突入し、血路を切り開いた。すかさずオオカミたちがデーモンの動きを抑えるように一気呵成に攻め立てる。
道が、拓いた。
このチャンスを逃すまいと、ヨシュアたちはひらけた道を全力で走る。
さあ、先に行け。あとは任せろ。とばかりに、愛馬がいななき、オオカミたちが乱舞した。




