後日談 第四話
「こ、腰を、ギックリやってしまったネ……」
「……腰?」
そういえば、初めて知り合った時も店長は腰を痛めていた気がする。そんな場違いな懐かしさをアニタが感じたと同時、突如として目の前にあった店長の身体がぐんと持ち上がった。
言わずもがな、トスイが腕の中にいた店長を抱き上げたからである。火事の時でもそうだったが、彼は予告なく人を抱き上げがちである。
とりあえず両手が塞がっている彼の代わりにアニタが店内にあったイスを近くまでズリズリ引いて持っていくと、トスイが店長の身体をそこへ降ろした。
「アイヤー……二人とも、ゴメンネ」
「気にしないでください店長。でも、何だってこんなことに?」
「アレネ、アレ持ち上げようとしたら腰ヤられたネ」
アレとは、一体。店長が指差す方向を見てみれば、テーブルの足のすぐそばに真っ黒でツヤツヤとした球体が転がっていた。試しに近づいてみると、大きさはちょうどアニタの膝くらいまである。
「これは……何ですか? 鉄球?」
「果物だヨー。切ると中が赤くてみずみずしいネ」
「鉄球が出血してるわけではなく?」
「果物だヨー」
鉄球か、果物か。アニタが店長とそう談義しているうちに、いつの間にかトスイもすぐ隣までやって来る。
「この地域の名産品だね。大きさも特大だ」
「なんだかすごく硬そうな見た目ですけど、ナイフの刃とか通るんですかね?」
「通るヨー。せっかくだから皆デ目隠しして棒でかち割って食べようと思ってたんダヨ」
「それは本当になんで?」
とにかく絵面が物騒すぎるので、もう少し穏便な方法にしてほしい。そう店長に嘆願し、最終的にトスイが代わりに調理場で切り分けてきてくれることで落ち着いた。
黒い球体を小脇に抱えて店の奥へと消えてゆく彼の後ろ姿を見送り、店長と二人きりになった店内で、改めてアニタは店長へと向き直った。
「……店長、その節は本当にありがとうございました。あなたがいなかったら、気づけなかったことや出来なかったことが沢山ある。店長は私の恩人です」
「イエイエ。先に助けてくれたのはソッチだからネ。ワタシは腰の恩人にお返ししたダケ」
アニタのお礼の言葉に朗らかな笑みを返し、店長はイスからゆっくりと立ち上がる。どうやら腰の調子が戻ってきたらしい。
「ワタシ、二人が揃って元気なところ見たカッタ。特にトスイサン、三つ編みムスメが消えた後ずっと元気なかったカラネ」
「トスイさんが?」
「ソウヨー。騎士団に助け出された後、入院中もずっと同じ紙見つめたまま動かなかったんダヨ」
それは、アニタの知らない――アニタが未来の世界に帰った後のトスイの姿だった。当時の彼が見ていた紙とはおそらく、アニタが消える間際に書いて残した紙切れのことだろう。
「三つ編みムスメのコト、“この世の誰にも辿り着けない、はるか遠い故郷へと帰ったから、しばらく会えない”とか言ってたケドネ」
「…………」
その言い回しは、アニタにとって聞き覚えがあるものだった。馬車の中で聞かせてもらった、この地域にまつわる“時の石伝説”の内容が脳裏によみがえる。
――女は言った。自分はもうすぐ、この世の誰にも辿り着けない、はるか遠い故郷へと帰らなければならない。けれどもし、故郷へ帰った自分を男が見つけることができたのならば、その時は喜んで男の妻になると。
男は女を探した。国中を探した。大陸中を探した。世界中を探した。何年、何十年、何百年かけて、この世のあらゆる場所を探し続けた。
けれど、女の姿はどこにも見つからなかった。
(……もしかして、あのお話の女の人も未来の世界から来てたのかな)
まったくあり得ない話ではない。
世間一般からすれば非現実的なただのおとぎ話でも、時の石の力を身をもって体験したアニタ達にとってはそうではない。自分達と結びつく、重要な過去の事例のひとつだ。
『……けど、きっと本当にいたんだろうと俺は思うよ。不思議な力を持った男も、彼が求めた相手も』
そう言って、短く切ったアニタの髪を見ていたトスイの姿を思い出す。
……あの時、トスイは一体どんな気持ちであの話を語っていたのだろう。
それを考えた時、アニタは自然とある“頼み”を口にしていた。
「あの、店長」
「ウン?」
「ひとつ、お願いしたいことがあるんですが――」
◇
それから。
店長が用意してくれたごちそうを平らげて、トスイが切り分けてくれた元鉄球(果物)に舌鼓を打ち、再会のお祝い会が一旦おひらきとなった後。
廊下の窓から差し込む夕焼けを背負い、アニタはお店の二階にある客間――トスイが割り当てられている部屋の前に立っていた。
「トスイさん、ちょっといいですか?」
扉をノックしてそう声をかけると、数秒の間を空けた後、部屋の主人が中から現れた。
やや怪訝な色を宿した紫色の瞳がアニタの姿を認め、そのまま目線が彼女の手の中の物へと滑り落ちる。
「……どうしたのそれ。絵本?」
「はい。店長にお願いして、お子さんがいるご近所から借りてきてもらったんです。感想や解釈を語り合うなら、やはり原典は用意しておくべきかと」
「は?」
「とりあえずお邪魔しますね」
困惑するトスイの一瞬の隙をついて、アニタは彼の横をサッとすり抜け、入室に見事成功する。
そのまま我が物顔で部屋の二人がけソファの片側に座れば、渋々トスイももう片側に腰を下ろしてくれた。
トスイが座った方に硬めのソファがほんの少し沈んで、重みがかかる感覚がアニタにも伝わる。それに抗うことなくアニタは彼の方へと少し身を寄せ、手元にある絵本の表紙を示した。
「これは、トスイさんが今朝話してくれた“時の石伝説”と同じ内容の絵本です」
「なに? 君、あの話そんな気に入ったの?」
「うーん。気に入ったと言いますか……あのお話について、トスイさんと語り合いたいなと思いまして」
「…………」
「トスイさんはあのお話、どう思いますか?」
アニタの問いかけに、トスイは目を伏せ、絵本の表紙を注視する。冠を被った男が描かれた表紙を見る彼のその表情は、冷ややかなものだった。
「……君にしては、随分と回りくどい聞き方をするね。俺がこの男に自分を重ねて、君が恋しくて泣き暮らしてたとでも答えればいいのかな」
「いえ、トスイさんがそんなしおらしくなるとは思ってないです」
「つくづく失礼な女だよね君……」
じゃあ一体何を聞き出したいんだ。上向いた男の視線がそう問うた気がして、アニタは口を開いた。
「前に、トスイさんの家にお邪魔したことがあったでしょう。そこで一度話しましたよね、私が不安に……またトスイさんが居なくなってしまわないか、不安に思ってるって」
「あァ、あったね。君が勝手に夢の中で俺のこと殺して、下手くそな嘘ついてどうにか俺の家に押しかけようと画策してたやつだね」
相変わらず言い方に悪意が満ち満ちているが、この男がド失礼なのは今に始まったことではないので、アニタは気にせず話を続ける。
「あの時、貴方はすごく正確に私の心を言い当てた。……あれってもしかして、貴方も同じことを思っていたからじゃないんですか?」
トスイという人間は、用心深くて目敏くて、本当に日頃からよく人を観察しているとアニタは思う。おまけに一度見聞きしただけで物事をすぐに覚えることが出来るという驚異の記憶力つきだ。
けれど、決して人の心を読めるわけではない。
相手をよく見て、話を聞いて、自身の心の内と重ねてみて。そうして導き出して、アニタの内心を言い当ててみせたのなら。
「貴方もきっと、私がいつ居なくなってもおかしくないって、まだ不安に思ってる」
「…………」
トスイは何も言わない。表情も変えない。
肯定も否定もしない男の手を取って、アニタは指を絡めて繋ぐ。ギュッと指先に力を込めれば、強く強く、握り返された。
「……“そうだ”って言ったら、なぐさめて、安心させてくれんの?」
挑発的な口調とは裏腹に、声は少しだけ震えていて。
どうかその不安が和らぐようにと、アニタは愛しい男の近くにそっと身を寄せて、彼の唇へ口づけを落とす。
それから頬に、瞼に、耳に、ひとつふたつと同じものを落とし――首筋までやり遂げたところで、とうとう限界が来て、アニタはそのままトスイの肩に顔をうずめて突っ伏した。顔が燃えるように熱い。
「した方がされた方より照れてどうすんの」
「うるさいですよ。無茶言わないでください」
悪態をつくアニタにトスイが喉の奥でくつくつと笑い、揺れる肩の振動が直に伝わる。突っ伏した顔で感じる彼の体温も、アニタと同じくらい熱かった。
「……本当は、もっと性質が悪いんだよ」
「?」
「今さら手放すつもりなんて到底ないくせに、それらしい逃げ道だけはいつも用意して、それを使わないか君を試してた」
試してた、と言われても、試された心当たりがまるでなくて、思わずアニタが顔を上げれば、珍しく困ったような顔をした男と目が合った。
「でも当の君はそんなのに気づきもせず、いつも俺めがけて一目散に向かってくるから……もういいや」
投げやりな言葉尻に反して、その声色はどこか吹っ切れたように清々しく、まるで誰かに――彼自身に許しを与えているみたいだとアニタは思った。
「ねぇ、アニタ」
「……なんですか?」
「君が死んだら、俺も死ぬよ」
「………………………………」
……本当にこの男は、どうしてこうも物騒な物言いしかできないのだろう。“君がいないと生きていけない”という口説き文句とほぼ同義の言葉を放っているはずなのに、これではまるで脅し文句だ。
そう内心呆れつつも、どうしてかアニタの口は自然と笑みを作っていて。
「ええ、望むところですよ。絶対に大往生させてやりますから!」
一生をかけたその大勝負を、正々堂々受けて立ってやるのだった。
あとちょっとだけ続きます。




