後日談 最終話
何か、温かいものが自分の身体に巻きついている。
ぼんやりと意識が浮上していく中で、アニタはそんなことを思った。
「あ、起きた」
寝ぼけ目で声がした方を見ると、こちらを見下ろす見慣れた顔が視界いっぱいにうつる。窓から差し込む朝陽に透かされた、銀色のまつ毛が綺麗で……
「っ!? ……ぐぇっ!?」
今が一体どんな状況なのか。それを理解した瞬間、アニタは勢いよく飛び起き……ようとしたが、できなかった。彼女のお腹に回された男の腕に、あえなく阻まれたからである。
「ちょっと、いきなり飛び起きるのやめてくれる」
「え、なっ、なんで私、トスイさんと寝てるんですか!?」
「なんでって……昨夜、君が“大往生させてやる!”って啖呵切った後、いきなり寝落ちたからだけど」
「寝落ちたってまさかそんな、そんなこと……確かにありましたね」
アニタは必死に頭を巡らせ昨晩の記憶を辿ったが、トスイの言う通り、彼の腕の中で“大往生させてやる!”と高らかに宣言した後の記憶がまるでない。
……いや、正確には一つだけある。うとうと眠りに落ちる間際、ベッドまで運んでくれたトスイの服の裾を掴み、“まさか勝ち逃げするつもりですか!?”と謎に詰め寄り、決して離そうとしなかった記憶が。今思うとあれは完全に寝惚けていた。
「で、仕方ないからこうして一緒に眠ることになったわけ」
「いやはや、それはどうもご迷惑を……」
「別にいいよ。早寝早起きは長生きの秘訣っていうからね、君は早速それを実践したわけだ。実に熱心なことだね」
「…………」
何故この男はこうも朝からフルスロットルでいられるのだろう。そう思いはしたが、寝起きの鈍い頭で応戦しても勝ち目はなさそうだったので、アニタは半目で男を見つめるに留めた。
それよりも、昨夜持っていたはずのある物が見当たらない。アニタがそわそわ周囲を見回していると、隣の男が口を開いた。
「絵本を探してるなら、あそこの机の上に置いてるよ。君が後生大事そうに抱えてたから、とりあえず避けておいたけど」
「よかった。ありがとうございますトスイさん」
表紙が木の板で出来ていたので折れ破れの心配はないと思うが、借り物なので失くしたりしたら一大事だ。
「あの本、ただ俺の部屋に来るための口実に使ったと思ってた」
「うーん、正直まったくそんなつもりなかったと言えば嘘になりますけど……。ちゃんと貴方と語り合うつもりで私は持ってきましたよ」
「ふぅん」
アニタの言葉に、トスイはいつもと同じ飄々とした口ぶりで相づちを打つ。
かと思いきや、突如として彼はくるり身体を反転させ、アニタごと巻き込んで体勢を変えてしまう。
仰向けになったトスイに乗り上げる形となったアニタが驚いて彼を見下ろせば、紫色の瞳がじっと黙ってこちらを見つめていた。どうやらこのまま話せということらしい。
なんの説明もなく新しい会話様式を繰り出してくるのは心臓に悪いのでやめてほしいが、嫌がる理由もないため仕方なくアニタはそのまま話し出すことにした。
「私、思うんです。あのお話に出てきた女の人は、どうしても男の人にもう一度会いたかったんだろうなって」
「……男の方が、じゃなくて?」
「ええ。だって考えてみてくださいよ、女の人の方は自分が遠い遠いところから来てて、男の人とは本来なら一緒になれないって最初から分かってたはずですよね? なのに“もし自分を見つけたら喜んで妻になる”とか言うわけですよ」
「でも始めに求婚された時は断ってるよね。俺には男に無理強いされて、渋々頷いたように思えるけど」
「そりゃあいきなり妃になれとかは急すぎますし、それで最初は女の人も断ったのかもしれません。けど人の関係は移ろうものだし、本当に相手を嫌いだったのなら、あんな……あんな言葉は選ばないと思います」
何も言わずに消える選択肢だって、きっとあったはずだ。自分のことはもう諦めろと、忘れてくれと告げることだってできたはずだ。
けれど、言い伝えの中の彼女が吐いた言葉は――男を自分のもとへと辿らせるための、楔だった。
「あれは、たとえ道理を書き換えてでも、相手を掴んで離さないと……そういう意志が宿った言葉です」
そう言って、アニタは目の前の男のシャツを掴む。
真っ直ぐこちらを射抜く濃い紫色と目を合わせれば、男の指先が彼女の短い髪をさらりと撫でた。
「……そりゃ熱烈だね。まるで君みたいだ」
「奇遇ですね。私もそう思います」
言い伝えの中の二人が、実際にどうなったのかは分からない。
伝わっている結末の通り、結局女の人は『見つからなかった』のかもしれない。トスイの言ったような、もっと現実的な結末を迎えたのかもしれない。
けれど、アニタは思うのだ。人が石に姿を変えてしまうくらいの長い長い旅路なのだから、結果を出すのはまだ早いのではないかと。
「きっと案外、これから見つかるのかもしれませんよ」
どこか確信めいた声でそう告げて、アニタはいたずらっぽく笑った。




