後編
意味が分からない。何が起きた。
周囲を見回しても山中のように木と草しかなく、俺の正面には屋敷とも言えそうな一軒家しかない。
黒塗りの立派な門はさも入れと言わんばかりに開いている。そこから覗く庭からコッコッという鶏の鳴き声が聞こえて来る。
引き寄せられる様に門をくぐれば、赤と白の椿と金木犀が咲いた庭があり、放し飼いされた鶏たちが我が物顔で歩いていた。入って左側には厩戸と牛舎があり、特有の匂いと鳴き声が聞こえて来る。右側には漆喰のこれまた立派な蔵があり、正面には昔話に出てくるような長者屋敷が建っている。
不思議なのは鳥や獣はいるのに、人の気配が全くしないのだ。
これはまるで、遠野物語にある迷い家だ。
じいさんが語ってくれた物語を思い出す。読めとばかりに小説を渡されたあの本は実家だったか。
小説でそこは、訪れた者に富貴を授ける不思議な家であり、訪れた者はその家から何か物品を持ち出してよいことになっている。ただ、善人は持ち帰れるが悪人は失敗したはずた。
まさか、本当に?
ゴクリと喉を鳴らして屋敷へと足を進めた。恐怖がない訳ではない。薄ら寒い何かを感じながらも好奇心が抑え切れない。
サンダルを脱いで三和土を上がれば、飴色の廊下が伸びている。開け放たれた襖から中を覗くと、漆塗りの膳が中央に二つ置いており、膳には一汁一菜と白飯が乗っていた。向かい合わせの膳の間にお櫃がと湯呑みと急須が乗った丸盆が置かれている。シンと静まった空間にある食べ物がこれほど不気味に見えた事はない。
その部屋を通り過ぎれば、隣の部屋もまた襖が開いていた。衣紋掛けに男物と女物の着物がずらりと掛けられ、畳に敷かれた緋毛氈に煌びやかな帯や小物が置かれている。鑑定能力は無いが、どれも高そうに見える。
母親が見たら黄色い悲鳴をあげそうだが、着ない俺には無用の長物だ。
もしかすると、ここは本当に迷い家なのかもしれない。
どうする。何か一つ持って帰ろうか。
本当に迷い家なら躊躇う必要など無いのかもしれないが、常識や理性がそれを躊躇わせる。だって、普通に窃盗だろう?許可もなしに持っていくのはどう考えても泥棒だ。
別に何かが欲しい訳じゃない。どうしたら元に戻るのかが分からないこの状況で、なにか打開策になればいいと思うぐらいだ。
家主は用事があって出かけているだけかもしれない。もうすぐ帰ってくるかもしれない。そんな当たり前な事なのに、頭の片隅でそれは無いと思う自分もいる。
こんな事なら、渡された小説をちゃんと読んでおけば良かった。帰り方が書かれていたかもしれないのに。
どうすべきか迷いながら、次の部屋を覗いた。
その部屋は真ん中に布団が敷いてあった。
真ん中がこんもりと膨らんでいて、まるで誰かが寝ている様に見える。
廊下と垂直に敷いているのか、頭の部分は向こう側なのだろう。
まさか、人が?ここは迷い家じゃなかったのか。
寝てるのが人だとは限らないが、人じゃなくて人形が寝てても怖いよな。
だが、このまま無視して通り過ぎるなんてできやしない。気になって、気になって、絶対に後悔する。
拳を握りしめて、部屋の中へ一歩を踏み出した。
井草の香りはしないが、まだ新しく見える畳を数えれば8畳ある。そのど真ん中に敷かれた布団にゆっくりと忍び寄った。
緊張なのか恐怖なのか、両手の震えが止まらない。自分の心臓の音が聞こえてきそうだ。
ゆっくりと近づき首を伸ばせば、子供の顔が見えた。
息子よりも少し年上だろうか。肩まで伸びた髪のせいか性別はハッキリと分からない。
人間だった事に詰めていた息を吐き出す。
いまだに震えている右手首を左手で押さえる。
ざまぁない。とんだ臆病者だ。
しかし、この子。……死んでないよな?
枕元に近づいて観察すれば、布団は微かに上下しているし、小さいが呼吸音も聞こえる。
良かった、生きている。
ほっと安堵して枕元に座って子どもを観察してみる。
肩まで伸びた黒髪は綺麗に整えられ、掛け布団のせいで首から上しか分からないが、痩せ細っているわけでもない。多少顔色が悪く見えるが、照明もない部屋では縁側から差し込む陽の光しかないのでそう見えるだけかもしれない。
この子は誰なんだろう。
ここの家の子なのか、それとも同じく迷い込んだ子だろうか。
どちらにせよ起こして色々と聞かないといけないんだろうな。気持ちよさそうに寝ているところを起こすのは忍びないが、俺も無限に時間があるわけじゃない。どうにかして帰らないと、家族に心配させるし、明後日には仕事もある。
申し訳ないと思いながら声を掛けたが反応は無い。肩を軽く揺すってもう一度声を掛けたが、ピクリとも動かない。
身じろぎ一つもしないなんて事があるか?
「おい。っおい。君、起きろ。起きてくれ」
軽く頬をペチペチと叩いてみるが、なんの反応も返さない。
おかしい。
しばらく声を掛けたが様子は変わらなかった。目を開けないどころか目蓋さえも動かない。何一つ反応していない。
ただ寝ているだけとは到底思えない。まるで植物人間のようだ。
掛け布団をめくれば、白い着物を身に纏い腹の上で手を重ねている。着物の合わせが右前なだけで、その様子はまるで死者のようだ。
ゾッとした。そして同時に強く思った。『ここから連れ出さなければ』と。
着ていたジャケットを体にかけてやり、首と膝裏に手を差し込んで抱き上げる。思ったよりも軽くて驚いた。たぶん、息子よりも軽い。最近抱っこなんてしてないから分からんが。
とりあえず、ここを出なければ。そして病院に連れて行こう。
子どもを抱いたまま、三和土に戻ってサンダルを履き、庭に出る。
相変わらず鶏が鳴きながら自由に歩き回ってる。その横をすり抜け、黒塗りの門を潜る。子どもを抱き直した時背後からギギっと音がした。振り返るとさっきまで開いていた門がピッタリと閉じている。
誰もいなかった…はずだ。それとも自動だったのか?古めかしい木製の門にそんな機能があるわけもない。
それよりも病院だ。
気を取り直して前を向けば、そこには見慣れたアスファルトがあった。そう、商店街へ続く道だ。
「………は……え…?」
もう一度振り返れば、そこにさっきまでいた屋敷はなく、歩いてきた田舎道が伸びていた。T字の道の向こうには古びたバス停も見える。周囲を見回しても見慣れた近所の風景しかない。
どういう事だ。
狸や狐に化かされたような気分だ。
呆然としていると、腕の中の子供が身じろぎをした。
とりあえず病院だ。惚けるのも疑問も後でいい。
無理矢理思考を切り替えて、昔からのかかりつけ医の病院へ駆け込んだ。
世の中不思議な事がある。
怪奇やミステリーの特番は面白いし、昔はそういう雑誌も読んだ事がある。世界の七不思議に心ときめかした時代もある。
だが、大人になってそういう体験をするとは思ってもいなかった。
病院に連れて行って医者に見せたが、特に悪い所は無かった。しかも、あれだけなんの反応もなかった子どもは1時間後には意識を取り戻した。
それからが大変だった。
俺が見つけた子どもは高瀬文彰くんという名前で、3年前に行方不明になっていた子どもだった。
警察が来て事情聴取を受けたが、あんな迷い家のような話を誰が信じる?自分で話していても胡散臭いと思った。犯人扱いされそうになったが、証拠やアリバイのおかげで放免された。
俺は有給を2日も使う事になったし、両親や嫁さんにかなり心配された。息子は俺が気になるからと帰るのを嫌がったので、仕方なく休ませたらしい。
岩手を離れる前日に、高瀬さんが訪れてくれた。疑われてるのかと邪推したが、泣いて感謝された。
文彰くんは放課後に遊びに行ったまま行方不明になったらしい。最後に友達と別れたのは家の近くの小さな公園で、そこから行方が分からなくなったらしい。
そう言われれば、そんなニュースを連日見ていた気もする。思い出せなかったのは、子どもの事故や事件のニュースが度々起こるからか、それとも所詮他人事だからか。なんか俺が人でなしみたいで凹むわー。
帰りの新幹線の中で息子は俺が貰った遠野物語を読んでいた。
「おとーさんは迷い家で宝物を持って帰ったんだね」
ぽつりと呟いた息子の頭をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「そうだな。俺の宝はあるから、高瀬さんの宝物を代わりに持って帰れたんだろうな」
不意にじいさんの夢を思い出した。
連れて行けと言ったのはあの子の事だったんだろうか。
正解を聞く事は出来ないが、そうだと思っておこう。
『持ち帰るは一つだけ。件の子が願い、家守が叶えた故、遭逢は一度と心得よ』
少し低い声に顔をあげれば、息子が無表情でこちらを見ていた。
「たすく……?」
『幸あれ』
息子とは全く違う声、全く違う表情でニッと笑う。だが、瞬き一つでソレはいなくなり、不思議そうな顔の息子がいた。
「おとーさん?どうかした?」
「え?あ、いや、何でもない。ちょっと疲れたみたいだ」
「寝てていいよ。起こしてあげるから」
得意げに笑うこの子はちゃんと俺の子だ。じゃあ、さっきのアレはなんだったんだ。
息子ではなかった。俺の見間違いや思い違いかもしれない。だが、悪いものではないだろう。そんな気がする。
「じゃあ、30分したら起こしてくれ」
「いいよ。任しといて」と笑う息子の頭を撫でて、背もたれに体を沈めて目を閉じる。
本当に疲れていたのかすぅと意識が落ちた。
短い睡眠だったが夢も見なかった。
微かに笛の音が聞こえた気がしたが、すぐに忘れてしまった。
加賀谷陽一は運の良い男である。
彼は帰省中に行方不明の子どもを発見した。その供述は曖昧で理解しづらい箇所もあった。現に、本人もまるで狐に化かされた気分だったと話している。
彼が通った道にそのような屋敷は無く、移動可能な範囲にも存在しなかった。
彼は前日に岩手県入りしており、その後の足取りにも不可解な所はない。目撃情報などからも犯人からは外された。
加えて、この地方では昔から不思議な事が多く、年配の者ほど「そんな事もあるな」と納得してしまっている。
子どもの親でもある高瀬氏や警察や報道関係の配慮もあり、発見者でもある陽一の名前が表に出る事はなかった。
その後、高瀬家との交流は長く続き、帰省した折には家族同士で会う事もあった。
陽一も文彰も、あの奇怪な屋敷を訪れる事は二度となく、日々の小さな幸せに包まれて暮らしている。
*おわり*
これにて完結です。
お読みくださりありがとうございました。
作品に関しての徒然なる話を活動報告で呟いております。作者の雑談ですが、よろしければご覧くたさい。




