第十話 隊長
ギィィ……と、悲鳴を上げるような、耳障りな音が響いた。
重い木製のドアは、ろくに整備もされていないのだろう。
騎士団というからには、もっと規律の行き届いた輝かしい場所を想像していたのだが。
だが、一歩足を踏み入れると、内部は予想以上に広々としていた。
無数に並ぶ部屋の奥からは、ここで寝泊まりしている兵士たちの気配が伝わってくる。
熱心に木剣を振るう者もいれば、机に突っ伏して休憩している者もいた。
床のカーペットは擦り切れ、天井のシャンデリアも年季が入っている。
……だが、それ以上に驚いたのは、見た目の古さに反して内部が異常なほど綺麗に保たれていることだった。
高価な調度品はないが、隅々まで一切の妥協なく掃除が行き届いている。
(誰かがこの場所を大切にしているんだろうな)
感心しながら中を見回そうとした、その瞬間だった。
「チッ、いってぇな!」
ドン、と肩が激しくぶつかった。
慌てて視線を向けると、そこにはスキンヘッドで、極悪非道なほどに目つきの悪い男が立っていた。
前世の言葉で言うなら、完全に『反社』のそれだ。
「てめぇ、どこ見て歩いてんだ? 殺されたいのか、あァ?」
凄まじい力で胸ぐらを掴み上げられる。
周囲の兵士たちは異変に気づいているはずなのに、誰一人としてこちらを見ようとしない。
あからさまに目線を避けていた。
「す、すみませんっ……! 完全に俺の不注意でした、どうか許してください……!」
頭で考えるより先に、言葉が溢れ出ていた。
長年の奴隷生活で染み付いた『無条件の謝罪』が、嫌でも身体を縮こまらせてしまう。
「そいつは俺の連れだ。……その手を離してもらおうか」
背後から降ってきたヴォルガドの声は、低かった。
彼はスキンヘッドの男の腕を、骨が軋むほどの力でガシガシと掴み込む。
「っ……! んだよ、あんたか。……ちっ、分かったよ、離しゃあいいんだろ」
男は忌々しげに腕を振りほどくと、ヴォルガドを鋭く睨みつけた。
「アンタが任務に行ったって聞いて、みんな『厄介者がいねぇ間に酒の配給を増やそう』って喜んでたのによ……。あーあ、クソ。今日は朝からガキにイラつかされてばっかだ。さっきのやつもめんどくせぇしな」
頭をガリガリと掻きながら、男は奥の廊下へと去っていった。
どうやらヴォルガドは、この最果ての基地でも、あまり歓迎されていないらしい。
「ヴォルガド、すみません……。助けてもらってばかりで。せっかくなら、格好いいところを見せたかったんですけど」
「気にするな。この基地はああいう荒くれ者ばかりというわけでもない。……いや、大半はあんな奴らだがな。すまん」
ヴォルガドは小さく息を吐くと、真面目な顔で俺を見据えた。
「今からお前を、ここの隊長に合わせる。そこで面談を受けろ。合格を貰えれば、今日からお前も晴れて騎士だ」
「え? 隊長って、ヴォルガドじゃないんですか? 実力もあるし、六界頂なんですよね……?」
「……俺は、人の上に立つような器じゃねぇよ。ついてこい」
歩き出したヴォルガドの背中からは、隠しきれないほどの哀愁が漂っていた。
……どうやら、これ以上深く踏み込んではいけない話題だったらしい。
彼が王都を追放されたとき、きっと俺の想像を絶するようなドロドロしたドラマがあったのだろう。
長い廊下を抜け、二階へと階段を上がると、一際大きな黒塗りの扉が見えてきた。
「ここが隊長室だ。俺も一緒に入るが、面談中は口を挟まん。分かっているな?」
「わ、わかりました」
急に心臓がうるさく鼓動を始めた。ヴォルガド以外の人間と、対面でまともに会話をするなんて、一体いつ以来だろうか。
ヴォルガドが、扉を三回ノックする。
「おう! 入っていいぞー!」
部屋の奥から響いたのは、予想に反して、驚くほどカラリと明るい声だった。
*********
「おお、ヴォル! 久しぶりだな! 一週間前の任務はどうだった?」
そこにいたのは、白髪混じりの黒髪を短く刈り込み、左目に黒い眼帯をつけた大男だった。
髭はきっちりと整えられており、体格はヴォルガドと並んでも見劣りしないほどに逞しい。
そして何より、その表情は太陽のように明るかった。
「……報告通り、あの貴族は裏で奴隷を使い、強盗や殺人を繰り返していました。そのため、その場で処刑しました」
「よくやった! さすがは俺の自慢の右腕だな!」
ヴォルガドの表情が、微かに柔らかくなる。彼がこれほど素直に信頼を置いている人間を、俺は初めて見た。
「それで、ヴォル。この坊主が、例の『禁忌魔法』の生き残りか?」
「はい。騎士に推薦したく、連れて参りました」
俺は一歩前に出て、教わった通りに深く頭を下げた。
「ご紹介に預かりました、ラザロです。よろしくお願いします」
隊長はフム、と顎の髭に手を当てて、値踏みするように俺を眺めた。
「なぁ、ヴォル。前にも言ったと思うが……俺がこの坊主を不合格にした場合、その場で俺がこいつを殺すことになる。こいつの存在は、王都を刺激しすぎる。面倒の種は残せん」
「分かっています。ラザロにも、その覚悟は言い聞かせてあります」
「……え?」
いや、ちょっと待ってくれ。初耳なんですけど、ヴォルガドさん?
俺、これで不合格になったらその場で処刑されるの!? 何を勝手に命がけの面接にしてくれちゃってるの!?
「それじゃあ隊長、私は先に失礼します」
ヴォルガドは俺の困惑を完全に無視し、深くお辞儀をして部屋を出ていってしまった。
去り際、彼の瞳が「死ぬなよ」と言いたげに、一瞬だけ俺を強く捉えた気がした。
バタン、とドアが閉まる。
「それじゃあ坊主。そこの椅子に座れや」
「は、はい……」
一対一になった瞬間、室内の空気が一変した。男から放たれる目に見えない威圧感が半端じゃない。
呼吸をするだけで、胸が押しつぶされそうだ。
「俺の名前はガイアだ。今からお前に、大きく分けて『二つの質問』をする。その回答次第で、お前の合否を決める」
さっきまでの明るいおじさんの表情が嘘のように消え去り、底知れない武人の顔になる。
だが、質問がたった二つだけなら、なんとかなるかもしれない。
「一つ目は、最低限の常識問題だ。騎士を名乗る以上、この『エルジア王国』の法律や、最低限のマナーは弁えてもらわねば困る」
「え? あの、二つの質問って……」
「『大きく分けて』と言っただろう。じゃあ第1問、我が国の建国理念を述べよ」
「……えっと」
——結果から言えば、ボロボロだった。
当然だ。
前世のゲーマー知識なんて役に立たないし、今世ではついさっき「エルジア王国」という国の名前を初めて知ったレベルなのだから。
法律も歴史も、答えられるわけがなかった。
ガイアは大きなため息をつき、呆れたように手元の書類を置くと、姿勢を正して俺の目をじっと見据えた。
「……まぁ、教養に関しては入団後に叩き込めばいい。だが、次の質問は誤魔化しが利かんぞ」
ガイアの隻眼が、俺の心の奥底を見透かすように、深く、鋭く覗き込んできた。
「二つ目の質問だ。騎士になる上で、最も必要とされるもの。——少年、お前に『死ぬ覚悟』はあるか?」
死ぬ覚悟。
緊迫した空気の中、俺は迷うことなく、はっきりと答えた。
「ないです」
「……ほう。随分と潔く、はっきり言うな?」
ガイアの眉がぴくりと動く。不合格、つまり死を意味するかもしれないその答えに、隊長の目が冷徹な光を帯びた。
だけど、そんなものあるわけがない。だって、俺は知っているからだ。
「死ぬ時なんて、覚悟を決めてる暇なんかありませんよ」
俺は椅子の背もたれに身体を預け、ガイアの眼帯をまっすぐに見つめ返した。
「本当に死ぬ瞬間っていうのは、いつだって理不尽で、一瞬です。覚悟なんていう綺麗な言葉で準備できるものじゃない。……隊長は、本気で死にかけたことがありますか?」
まずい、さすがに生意気すぎただろうか。
一瞬だけ後悔が頭をよぎった。
だが、俺の言葉を聞いたガイア隊長は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた後——。
「——ハ、ハハハハハハ!!」
大きく、はっきりと、部屋が震えるほどの笑いを響かせた。




