表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/116

裏切り者はだれ?

 午後の光が、台所の窓からやわらかく差し込んでいた。

 わたしは小さな皿を両手で持ちながら、机の上を見つめている。

 そこには、空になった袋があった。

 きれいに破かれて、ぺたんと広がっている。

 袋の表には、丸いクッキーの絵。

 そう。

 わたしが昨日買ってきた、大事なおやつだ。

 袋の中は、すっかり空っぽだった。

「……おかしい」

 わたしはつぶやいた。

 昨日の夜、ちゃんとここに置いたのだ。

 今日は午後のお茶の時間に食べようと思って。

 それなのに。

 きれいさっぱり、なくなっている。

 台所には静かな昼下がりの光が満ちていた。

 時計の針の音だけが、小さく響いている。


 机の向こうの椅子の上には、一匹の猫。

 雅が座っていた。

 白と灰色の毛並み。

 少し長い尻尾が、ゆらりと揺れている。

 雅は丸く座りながら、わたしをじっと見ていた。

 まるで何も知らない顔で。

「……雅」

 わたしはゆっくり言う。

 雅は瞬きを一つした。

 それから、あくびをした。

 小さなピンクの舌が見える。

 なんだか、とても平和そうだ。

 でも。

 怪しい。

 とても怪しい。

 だってこの家には、わたしと雅しかいないのだから。

 わたしは袋を持ち上げて見せる。

「これ、食べた?」

 雅は首を少しかしげた。

 それから、机の上の袋をちらりと見る。

 また、わたしを見る。

 そのままゆっくり目を細めた。

 ……これは。

 たぶん、しらばっくれている顔だ。

 わたしは腕を組んだ。

 探偵のような気持ちで、台所を見回す。

 床。

 机。

 椅子。

 そして、机の下。

 そこに、証拠があった。

 小さなクッキーのかけら。

「……やっぱり」

 わたしはしゃがみこんで、それを指でつまむ。

 ほんの少しだけ、かじられている。

 そして、ふと視線を上げる。

 雅の口元。

 よく見ると、ひげの近くに、粉がついている。

「雅」

 わたしはもう一度呼ぶ。

 雅は目をそらした。

 ……決まりだ。

 犯人は、この猫。

 わたしの大事なおやつを食い荒らした裏切り者。

「雅、ひどいよ」

 わたしは机に腕をのせた。

「楽しみにしてたのに、裏切り者~」

 窓の外では、風が庭の草を揺らしている。

 午後の光が、台所の床に四角い影を落としていた。

 雅はしばらく黙っていた。

 それから。

 椅子からぴょん、と降りる。

 床に着地すると、静かに歩き出した。

「どこ行くの」

 わたしは立ち上がる。

 雅は振り返らず、廊下へ向かう。

 尻尾を立てて、ゆっくり歩いていく。

 まるで「ついてきて」と言っているみたいだった。

 わたしは少し迷ったけれど、あとを追った。

 廊下はひんやりしている。

 窓から入る光が、細い帯のように床に伸びていた。

 雅はその光の上を、すたすた歩く。

 押し入れの前で止まった。

 くるりと振り返る。

 わたしを見る。

 それから。

 前足で、戸をちょん、と叩いた。

「……ここ?」

 わたしはしゃがんで、戸を開ける。

 押し入れの中は、少し暗い。

 目が慣れると、段ボール箱が見えた。

 その箱の横に。

 袋があった。

 クッキーの袋。

 それも、さっきのものとは、違う袋。

 わたしはそれを手に取る。

 まだ封も開いていない。

 おいしそうなクッキー。

 昨日、二袋買っていたのだ。

「……あ」

 思い出した。

 昨日、買い物から帰って。

 一袋は机に置いて。

 もう一袋は、ここにしまった。

 そのことを、すっかり忘れていた。

 つまり。

 さっき空だった袋は。

 わたしが昨日の夜、半分以上食べていたやつで。

 残りも。

 ……たぶん、寝る前に食べた。

 手元に置いておいたら食べてしまうから分けたのだ。

 そのことを、きれいさっぱり忘れていた。

 わたしはしばらく黙った。

 押し入れの前で。

 クッキーの袋を持ったまま。

 後ろで、雅が小さく「にゃあ」と鳴いた。

 振り返ると、雅が座っている。

 静かな顔で、こちらを見ていた。

 まるで言っているみたいだ。

 クッキー食べたのはぼくじゃないよって。

 わたしは、顔が少し熱くなった。

「……ごめん」

 思わず言う。

 雅は目を細めた。

 それから、ゆっくり尻尾を揺らす。

 怒ってはいないみたいだった。


 台所へ戻ると、午後の光は少しだけ傾いていた。

 机の上に、新しいクッキーの袋を置く。

 袋を開けると、甘い匂いがふわっと広がる。

 わたしは一枚取り出して。

 少しだけ割る。

「雅、食べる?」

 差し出すと、雅はくんくん匂いをかいだ。

 それから、小さくかじる。

 さくっ、と軽い音がした。

 わたしも一枚食べる。

 甘い味が口に広がる。

 窓の外では、風がやさしく庭を揺らしていた。

 さっきまで疑っていたことが、なんだか少し可笑しくなる。

「クッキーを食べた裏切り者は、わたしだったね」

 つぶやくと。

 雅はまた小さく「にゃあ」と鳴いた。

 午後の光が、机の上のクッキーと猫の背中をやわらかく照らしていた。

 わたしはもう一枚クッキーを取りながら、ふと思う。

 もし雅が案内してくれなかったら。

 きっとわたしは、ずっと雅を疑ったままだった。

 裏切り者だと思ったままで。

 そう考えると、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。

 雅は机の上で丸くなり、満足そうに目を閉じた。

 午後の光はゆっくりと床を移動していく。

 台所は、とても静かだった。


 そしてその静けさの中で。

 本当の犯人だけが、そっとクッキーをもう一枚食べた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ