裏切り者はだれ?
午後の光が、台所の窓からやわらかく差し込んでいた。
わたしは小さな皿を両手で持ちながら、机の上を見つめている。
そこには、空になった袋があった。
きれいに破かれて、ぺたんと広がっている。
袋の表には、丸いクッキーの絵。
そう。
わたしが昨日買ってきた、大事なおやつだ。
袋の中は、すっかり空っぽだった。
「……おかしい」
わたしはつぶやいた。
昨日の夜、ちゃんとここに置いたのだ。
今日は午後のお茶の時間に食べようと思って。
それなのに。
きれいさっぱり、なくなっている。
台所には静かな昼下がりの光が満ちていた。
時計の針の音だけが、小さく響いている。
机の向こうの椅子の上には、一匹の猫。
雅が座っていた。
白と灰色の毛並み。
少し長い尻尾が、ゆらりと揺れている。
雅は丸く座りながら、わたしをじっと見ていた。
まるで何も知らない顔で。
「……雅」
わたしはゆっくり言う。
雅は瞬きを一つした。
それから、あくびをした。
小さなピンクの舌が見える。
なんだか、とても平和そうだ。
でも。
怪しい。
とても怪しい。
だってこの家には、わたしと雅しかいないのだから。
わたしは袋を持ち上げて見せる。
「これ、食べた?」
雅は首を少しかしげた。
それから、机の上の袋をちらりと見る。
また、わたしを見る。
そのままゆっくり目を細めた。
……これは。
たぶん、しらばっくれている顔だ。
わたしは腕を組んだ。
探偵のような気持ちで、台所を見回す。
床。
机。
椅子。
そして、机の下。
そこに、証拠があった。
小さなクッキーのかけら。
「……やっぱり」
わたしはしゃがみこんで、それを指でつまむ。
ほんの少しだけ、かじられている。
そして、ふと視線を上げる。
雅の口元。
よく見ると、ひげの近くに、粉がついている。
「雅」
わたしはもう一度呼ぶ。
雅は目をそらした。
……決まりだ。
犯人は、この猫。
わたしの大事なおやつを食い荒らした裏切り者。
「雅、ひどいよ」
わたしは机に腕をのせた。
「楽しみにしてたのに、裏切り者~」
窓の外では、風が庭の草を揺らしている。
午後の光が、台所の床に四角い影を落としていた。
雅はしばらく黙っていた。
それから。
椅子からぴょん、と降りる。
床に着地すると、静かに歩き出した。
「どこ行くの」
わたしは立ち上がる。
雅は振り返らず、廊下へ向かう。
尻尾を立てて、ゆっくり歩いていく。
まるで「ついてきて」と言っているみたいだった。
わたしは少し迷ったけれど、あとを追った。
廊下はひんやりしている。
窓から入る光が、細い帯のように床に伸びていた。
雅はその光の上を、すたすた歩く。
押し入れの前で止まった。
くるりと振り返る。
わたしを見る。
それから。
前足で、戸をちょん、と叩いた。
「……ここ?」
わたしはしゃがんで、戸を開ける。
押し入れの中は、少し暗い。
目が慣れると、段ボール箱が見えた。
その箱の横に。
袋があった。
クッキーの袋。
それも、さっきのものとは、違う袋。
わたしはそれを手に取る。
まだ封も開いていない。
おいしそうなクッキー。
昨日、二袋買っていたのだ。
「……あ」
思い出した。
昨日、買い物から帰って。
一袋は机に置いて。
もう一袋は、ここにしまった。
そのことを、すっかり忘れていた。
つまり。
さっき空だった袋は。
わたしが昨日の夜、半分以上食べていたやつで。
残りも。
……たぶん、寝る前に食べた。
手元に置いておいたら食べてしまうから分けたのだ。
そのことを、きれいさっぱり忘れていた。
わたしはしばらく黙った。
押し入れの前で。
クッキーの袋を持ったまま。
後ろで、雅が小さく「にゃあ」と鳴いた。
振り返ると、雅が座っている。
静かな顔で、こちらを見ていた。
まるで言っているみたいだ。
クッキー食べたのはぼくじゃないよって。
わたしは、顔が少し熱くなった。
「……ごめん」
思わず言う。
雅は目を細めた。
それから、ゆっくり尻尾を揺らす。
怒ってはいないみたいだった。
台所へ戻ると、午後の光は少しだけ傾いていた。
机の上に、新しいクッキーの袋を置く。
袋を開けると、甘い匂いがふわっと広がる。
わたしは一枚取り出して。
少しだけ割る。
「雅、食べる?」
差し出すと、雅はくんくん匂いをかいだ。
それから、小さくかじる。
さくっ、と軽い音がした。
わたしも一枚食べる。
甘い味が口に広がる。
窓の外では、風がやさしく庭を揺らしていた。
さっきまで疑っていたことが、なんだか少し可笑しくなる。
「クッキーを食べた裏切り者は、わたしだったね」
つぶやくと。
雅はまた小さく「にゃあ」と鳴いた。
午後の光が、机の上のクッキーと猫の背中をやわらかく照らしていた。
わたしはもう一枚クッキーを取りながら、ふと思う。
もし雅が案内してくれなかったら。
きっとわたしは、ずっと雅を疑ったままだった。
裏切り者だと思ったままで。
そう考えると、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
雅は机の上で丸くなり、満足そうに目を閉じた。
午後の光はゆっくりと床を移動していく。
台所は、とても静かだった。
そしてその静けさの中で。
本当の犯人だけが、そっとクッキーをもう一枚食べた。




