雨粒コーヒー
駅前の喫茶店「雨粒珈琲店」は、店名のとおり雨の日にだけ開く。
晴れの日は頑なにシャッターを閉め、どんなに客が並んでいても開けない。
店主のこだわりらしい。
だから、雨の日はちょっとした祭りだ。
常連たちは天気予報を欠かさずチェックして、雨雲が近づくとそわそわし始める。
今日も、朝からしとしとと小雨が降っていた。
高校生の真央は、傘を揺らしながら喫茶店の前に立った。
「今日こそ、行ってみよう……!」
以前から気になっていたが、一人で入る勇気がなかった。
だが、最近学校でちょっとした失敗をして。クラスメイトの何気ない言葉を気にしすぎて。胸がぎゅっと痛む日が続いていた。
「こういうときこそ、なんか温かいものを飲んだらいいかな?」
と、家で飼っている猫に話しかけてみたら、にゃあと返事をされた。それで、決心が固まった。
扉を押すと、カランと鈴が鳴った。
店内は木の匂いがして、しずかに雨音が響いている。
カウンターには白髪のマスターがいて、柔らかい表情で真央を見た。
「いらっしゃい。雨の日の初めましてさんだね」
「えっ……わかるんですか?」
「うん。だいたい顔に書いてあるよ」
冗談めかして笑う声が、胸の深いところに温度を落としていく。
メニューには、普通のコーヒー以外に「雨の日ミルク」「ひとやすみブレンド」「言えなかった話ラテ」なんてふしぎなものも並んでいた。
「おすすめは?」
と聞くと、マスターは迷わず言った。
「“ひとやすみブレンド”。名前のとおり、ひと休みしたい人にしっくりくるよ」
その言葉に、真央はほっとした。
注文すると、マスターは豆を挽きながら話しかけてくれた。
「学生さん?」
「はい……あの、今、ちょっとだけへこんでて」
「そうか。雨はね、へこんだ気持ちと相性がいいよ。誤魔化さなくてもいいからね」
店内には他にも客がいたけれど、みんな本を読んだり、窓の外を眺めたり、思い思いに静かな時間を過ごしている。
誰も真央のことを気にしていない。それがすごくありがたかった。
湯気の立つカップが手元に運ばれてきた。
香りはやさしく、甘さは控えめで、どこか懐かしい味がした。
「……美味しいです」
「良かった」
マスターはそれだけ言った。
その静かなやり取りが、真央には十分だった。
ふと、壁にかかったメッセージボードが目に入った。
「今日のひとこと」と書かれ、短い言葉が添えられている。
『雨が降ったら、立ち止まっていい日。』
真央はカップを持ったまま、その言葉を胸の中で反芻した。
学校では「前向け」「頑張れ」「気にしすぎ」と言われることが多い。
でもこの店では、雨の日くらい立ち止まっていいのだ。
真央は、小さく息を吐いた。
「……なんだか、気持ちが軽くなりました」
「それなら何より。うちはね、コーヒーで気持ちを治す店じゃない。立ち止まっていい場所を、雨の日だけ貸してるだけ」
真央はその言葉が気に入った。
コーヒーを飲み干し、会計をすませ、外に出る。
雨はまだ静かに降り続いていた。
でも、不思議だ。
来るときより、世界がやさしく見える。
「……また雨が降ったら来よう」
傘を広げると、遠くで雷がごろりと鳴った。
濡れたアスファルトに、自分の足跡が淡く伸びる。
そのひとつひとつが、どこかへ続く道に見えた。




