私と組んでください
「お願いします。私と組んで下さい」
騒がしかった楽屋が、一瞬にして静まりかえった。
その言葉を発したのは、有象無象の芸人共が詰め込まれた楽屋に似合わないような、柔らかい女性の声だった。
彼女は野坂恋花。
芸人らしからぬ可愛らしい名前だが、本名だから仕方ない。
「…ちょっと、何言ってるか分かんないんだけど」
思わず、自分には到底手の届かないような大先輩のように聞き返してしまった。
「私と組んでください」
「あー…。やっぱ聞き間違いじゃなかったわ」
まあ、百歩譲って僕を誘うのはいいよ。
でもね、これから学園祭のお笑いライブなんだよ。
僕達、これから学生の前でネタやるんだよ。
「タイミングとか考えなかったの、あんた。せめて終わった後にするとかさあ…」
「え…?あっ!そうですね!その方がじっくり話せますからね!」
「いやいや、そういう事じゃなくて…まあ、いいやそれで」
僕は溜め息をつきそうになるのをぐっと堪えた。
「あのね、君も知っていると思うけど僕は…」
その時、扉をノックする音がして、『学園祭実行委員』という腕輪をつけた学生が入ってきた。
「皆さん、スタンバイお願いします」
タイミング悪いなあ。
こんな微妙にもやもやした気持ちを抱えながら、これからネタやんなきゃいけないのか…。
「じゃあ、返事は終わった後に聞かせて下さい」
この気持ちを生み出した元凶は、すたこらと楽屋を後にした。
そうか、お前はトップバッターだからね。
「よく考えたなあ、あいつ」
先輩が、感慨深げに野坂の出ていった楽屋を見ながら呟いた。
彼は倉ちゃんこと倉田先輩。
僕のふたつ上の事務所の先輩で、コンビ時代から良くして貰っている。
面白いかといわれると…まあ、そこそこである。
ちなみに、野坂も同じ事務所に所属していて、僕のひとつ下の後輩にあたる。
「何一人で納得してるんすか。この楽屋の空気分かってます?」
「だって、お前絶対断る気だろ」
「そりゃ、そうですけど…」
「でも、今のタイミングで言えばすぐには断れないからな」
「ええ…」
「まあいい機会なんじゃないか。あいつが居なくなってもう三年経つんだし」
そう言い残し、先輩は楽屋から出ていった。
「簡単に割り切れたら苦労は無いんだよなあ」
一人呟いて、僕も楽屋を後にした。
学園祭でのウケは上々だった。
トップバッターの野坂が会場をあたためてくれたのが大きかった。
「考えてくれましたか?」
出番が終わるなり、野坂は僕に駆け寄ってきた。
「あのね…野坂も分かってるだろうけど、僕は誰とも組む気はないから」
「分かってます。ですから、組むのは一度だけです」
彼女は僕を真っ直ぐ見て、こう言った。
「来月の漫才ライブ。そこで私は芸人を引退する予定です。最後にそこでユニットを組んでください」




