01 授業の始まり
xxxxx
冬季休暇も終わり、新年初の授業日となりました。
……つまり、あの新年パーティ後の、初の学院への登校でもあります。
お父様によると、私への罪とされていたものは全て冤罪ということが分かっています。宰相という立場で得た情報なのでそれは間違いありません。……心当たりは全くなかったのですが、改めて何もないと聞かされホッとしました。
しかし……あの場に居た学生たちに、その事実はどこまで伝わっているのでしょうか? ディオ第二王子殿下は衆人環視の前で衛兵の手で連れて行かれたとのことですが、王子という立場で発せられた言葉は、どれだけ学生たちに染みついてしまっているのでしょうか?
正直に言ってしまえば……学院に行くのが、とても怖いです。
けれども。瑕疵がないからこそ、堂々とするべきなのでしょう。
「ステラお嬢様?」
「いえ、何でもありません。行ってきますね、アンナ」
不安を押し殺して侍女のアンナに笑顔を向け、寮の部屋から踏み出します。
いつも早めの登校を心がけているからか、廊下に学生は居ません。階段でもすれ違わず、エントランスホールに差し掛かったところで……ひそひそと、囁き声が聞こえてきました。
けれども漏れ聞こえるその声は暗いものではなく、どこか浮足立っているような――
「あ、ステラ様。おはようございます」
エントランスホールの壁際に、クロノア様が立っていらっしゃいました。その姿を見て、私は一瞬固まってしまいます。
クロノア様が朝に寮まで迎えに来てくださることは聞いていました。……えぇ、そこは聞いていたのですが……。
「……どうして、男性用の制服を着用していらっしゃるのですか……?」
似合う似合わないで言えば、大変似合っています。中性的な容姿で、女性でありながら背が高く脂肪の少ないスラッとした体型は、スカートよりもパンツの方が相応しいでしょう。……スカート姿も見てみたい気持ちはあります。黒く長い御髪を結い上げていらっしゃいますが、下ろすとまた違った様相になることでしょう。
戸惑いながらも近づく私に、クロノア様はいたずらっぽい笑みを浮かべて。
「『学生は制服を着用すること』としか学則には書かれていないので、違反ではありませんよ?」
「……そこを心配しているのではありません」
「実際のところは、緊急招集された時のためですね。スカートから着替えられる時間があるとは限りませんし」
思っていたより大きな問題でした。そういえばこの方の場合はそれがありましたね……。
「遅れてしまいましたが、おはようございます。クロノア様」
「はい。制服姿のステラ様も可愛らしいですね」
「……ありがとうございます」
……この方に褒められると、どうにもそわそわとした気分になってしまいます。
落ち着かない私に、クロノア様はそっと手を差し出してきました。
「それでは、お手をどうぞ」
「……え?」
「えっ? 婚約者ってエスコートするものじゃないんですか?」
「……パーティの時はともかく、登校時にする方は見たことありません。男女で寮が離れているのもあるのでしょうけれど」
ディオ王子殿下からされたことがなかったので、すっかり頭から抜けてしまっていました。
……今更気付くのも遅いですが、ディオ王子殿下はずっと私に不満を持っていたのですね。
「すみません、常識が足りなくて。ステラ様に恥ずかしい思いをさせたくないので、何かあればご指摘お願いします」
「……いえ、大丈夫です」
……別の意味で少々恥ずかしい思いをしています、とは言わずにおきました。
先ほどひそひとと話していた学生がこっそりと、それでいて食い入るように見ているのですから……。きっとあの方たちは新年パーティの参加者ですね。
クロノア様も気付いていたのか「あぁ」と呟いてから、何故かにこにこと笑顔で彼女たちに手を振ると、小さく黄色い声をあげて退散していきます。
「いやはや、悪意のない少女の視線は気楽なものですね」
「……クロノア様も少女じゃないですか」
「…………まぁ、そうですね」
妙な間がありましたが、きっと過酷な辺境伯領で育てば精神も早熟するのでしょう。
時間に余裕があるので、私たちは並んでゆっくりと歩いていきます。
いつもより視線は感じるのですが、ほぼクロノア様への好奇の視線のようなのでホッと一安心……しつつも、同時に複雑な気持ちもあります。
ちらりとクロノア様の顔を見上げてみれば、特に視線に意を介すでもなく涼しいお顔。仰っていたように、悪意さえ籠っていなければ気にならないのでしょう。いえ、私も以前は気にしていなかったのですが……。
「ステラ様? どうかしましたか?」
「……あ。いえ、その……クロノア様は、視線をお気になさいませんね、と」
「絡んでくるようなら丁重にお帰り願おうかと思ってましたけど、平和なものですね。さすが貴族のご令嬢、ってところでしょうか」
確かに、想像していたよりは平和です。
クロノア様のおかげなのですけれど……ご本人は、自覚せず。
「それにしても、何故ご令嬢たちは私にも好意的なのでしょうか? 『侯爵令嬢を愛人扱いしようとした大馬鹿野郎』と罵られる覚悟はしていたのですが」
愛人云々のくだりについては私が悪いのでしょう。
けれど……あの日あの時のクロノア様は、私にとって救世主のようですらあったのです。
ディオ王子殿下に婚約破棄を言い渡され、罪を着せられ、人生が終わろうとしていたその時。
クロノア様ただ一人が、私に手を差し伸べてくださいました。
王子殿下が相手であっても一歩も引くことなく堂々と。剣を向けてきた騎士たちすら難なく倒し。
そして何よりも、私に向けたあの瞳と仕草。
ご本人曰くあえて大げさに演技をしたらしいですが……端正なお顔と完璧な騎士の作法によりまるで物語の一幕のようなシーンとなり、心を揺さぶられたのは私だけではありませんでした。
周囲の様子に気付いていなかったのだとしたら……それだけ私のこと集中してくださっていたからだと考えると、また一つ揺さぶられるものがあります。
「クロノア様は、お顔を褒められたことはございませんか?」
「唐突ですね? 子どもたちにかっこいーと言われたことならありますが」
「……嫁候補とか言われてませんでしたか?」
「……脳筋どもの評価基準は全て力ですので」
つまり、辺境伯領の特殊な環境で育ったことにより感性が異なるということでしょうか。
「それにしては……クロノア様は私を褒めてくださいますね」
「え? ステラ様が綺麗なのは事実でしょう?」
「……」
……この話題を掘り下げるのはやめておきましょう。
それにしてももう少しご自身のお顔の良さをご自覚していただきたいような、自覚したところで変わりそうもないような……。
特に絡まれることもなく、私の朝一番の授業が始まる教室まで辿り着きました。
「ステラ様、お昼のご予定はありますか? なければご一緒にお食事をどうでしょうか」
「いえ、予定はありません。……よろしくお願いします。クロノア様はこの後どうされるのですか?」
クロノア様は特別生であり、授業を受ける義務はなかったはずです。
「領地経営学の授業を受けてこようかと。余り時間は……ちょっと家に顔を出して、他はおそらく自習してます」
検索魔法により世界書庫に接続出来るクロノア様であれば学院の授業など不要そうなのですが、学生向けにきちんとまとめられている授業の方がわかりやすいのと、教育方法自体に興味があって授業を受けているそうです。
私は一つ疑問が湧き、周囲の学生に聞かれぬよう小声で尋ねます。
「転移魔法をそんなに使用してばれないのでしょうか? 魔法陣が光るのは結構目立つと思うのですが……」
「実はあれ、周囲に認識阻害も掛かるよう改変してるんですよ。なので側に居ない限りは見えないようになってます」
またこの方はとんでもないことを事も無げに……。認識阻害は危険な魔法でもあるのですが、クロノア様のことだから悪事に使おうという気も起らないのでしょう。
「それではお昼にお迎えにあがりますね。何かあれば、遠慮なく」
クロノア様は耳を掻く振りをして指を差します。何かあれば通信機で連絡を、と仰りたいのでしょう。
私が頷きを返すと、クロノア様は手を振って去っていきました。
そうして一人残された私は……それらを目撃していた級友に取り囲まれるのでした。
……ディオ王子殿下と婚約していた時より温度が高い気がします……。




