4 王子と使い魔 ②
「ウォフ!」
私に尻尾を振っていた子犬は、私の頭の上に目を向けて、可愛らしい外見からは考えられないほど低い声で鳴いた。
やっぱり、私の頭の上にどうやら何かいるらしい。でも、重さは感じない。鏡があれば確認できるのかもしれないが、あいにく応接室の扉のすぐ近くの姿見しかない。話の途中で近づいていくのも変よね。
さりげなく確認する方法を考えていると、イライアス殿下が私に質問する。
「レイハート公爵夫人は、シルバートレイが好きなのかな」
「シルバートレイ、ですか? メイドが食べ物や飲み物を持ってきてくれる、あのシルバートレイのことをおっしゃっておられます?」
「うん。そのシルバートレイだね。丸いヤツ」
「いえ、特に思い入れはありませんが……」
どうしてシルバートレイの話をするの?
頭の中は疑問符だらけで、パニックになりそう。とにかく、気持ちを落ち着けましょう。深呼吸をした時、イライアス殿下が口を開いた。
「君の頭の上に小さな羊の姿をした使い魔がいるんだけど、なぜか背中に小さなシルバートレイを乗せているんだよね」
「つ、使い魔? 羊?」
「そうか。いきなり言われたらびっくりするよね。説明するから話を聞いてもらえるかな」
イライアス殿下の優しい声と眼差しのおかげで、私の心は一瞬で落ち着くことができた。
「よろしくお願いいたします」
軽く頭を下げた私の頬を、ルピという名前の子犬がぺろりと舐めた。
魔法使いに詳しくない私のために、イライアス殿下は丁寧に説明してくれた。
私の頭の上にいたのは、羊の形をした使い魔だった。
私たちの住む世界には使い魔と呼ばれるものが存在する。簡単に言えばペットを使役しているようなもので、大体、動物の姿をしているそうだ。
主人が誕生すると同時に生まれ、主人のために動いてくれるのだが、どんな動きをするかは使い魔によって違うらしい。
一つだけ共通しているのは、私たちが住む国の使い魔は、主人の魔力を隠す役割をするということだった。
基本、使い魔は主人の命令を聞くものだが、赤ちゃんの時など、主人に自分自身を守る力がない時や、魔法使いだという自覚がない間は使い魔が守ってくれる。
この使い魔の本能的なものは魔法使い刈り後に生まれたのではないかと言われているそうだ。魔力の有無を確認する魔道具を使われた場合、その時だけ使い魔が魔力を全て吸い取ってくれるため、無しと判断されるらしく、魔法使いが絶滅しないように考えられたのではないかと教えてくれた。
生まれてすぐに魔力の有無の検査があるから、その時に引っかからないようにしてくれているみたい。
物心つく前から、魔力がある人間は使い魔が見えるようになる。通常では、子供の頃に使い魔を認識し、名前をつけた時点で使い魔は主人の言うことを聞くようになり、その時に関係性が変わる。
私の使い魔は羊で【べェ】という名前がついていた。
一歳の頃に私が決めたようだが、まったく記憶になかった。
ちなみになぜ、私がつけたのかわかったかというと、ベェが私の子供の頃の記憶を思い出させてくれたからだ。
たぶん、ベェベェ鳴いているから、ベェ! と真似しただけなんだろうけれど、ベェは自分の名前だと勘違いしたようだ。
安易すぎる名前なので、ベェは気に入っていないかと思ったが、名を呼ぶと「ベェ」と嬉しそうに返事をし、頬ずりをしてくれるので、気に入ってくれているみたい。
ベェは私の手のひら二つ分くらいの大きさで、犬のルピたちより少しだけ大きい。重さについては、彼らの気分で変わるらしく、怒っている時だけものすごく重くなるそうだ。
ベェとルピは相性がいいらしく、イライアス殿下が話してくれている間、テーブルの上で楽しそうにじゃれ合っていた。
王太子殿下の使い魔である黒猫のクロロは、二匹を見つめるだけで参加しない。王太子殿下曰く、彼女は気位が高いので、人にはなかなか心を開かないのだそうだ。
ぜひとも仲良くなって、撫で撫でさせていただきたいが、王太子殿下の使い魔だから、そう簡単に会えるわけではない。
撫でさせてもらうのは、一生無理かもしれないわね。
ランタンの灯りが弱くなったせいで、部屋の中が薄暗くなった。夜目になっているのか。クロロが私を見つめる目は真ん丸で、本当に可愛い。
にこりと微笑むと、クロロはぷいと顔を背けた。
「どうしてベェはシルバートレイを背負っているんだろう」
テーブルの上に載っているベェの頭を、人差し指で撫でながら、イライアス殿下が首を傾げた。
そうなのよね。
ベェはシルバートレイを亀の甲羅のように背中にくっつけている。
「何か理由があると思うが、レイハート公爵夫人は、ベェと意思疎通はできないのか」
「聞いてみたいんですけど、意思疎通の仕方がわかりません」
王太子殿下に問われた私は、首を横に振った。
私が不安そうな顔をしたからか、イライアス殿下は微笑んで励ましてくれる。
「ベェの存在に気がついたのがさっきだから難しいんだと思う。接していくうちに、ベェの言いたいことがわかってくると思うし、ベェは君の言うことを理解しているから安心していいよ」
「ありがとうございます」
お礼を言った時、背後の壁にかけられている柱時計が十一時を知らせた。時計を見たイライアス殿下が焦った顔になった。
「もう、こんな時間か。さすがに帰らなくちゃ駄目だね」
「そうだが、大事な話をしていないぞ」
「そうでした」
王太子殿下に指摘されたイライアス殿下は座り直すと、真剣な表情で私を見つめる。
「新婚の君にこんなことを言うのは失礼だとわかっている。でも、君のためなんだ」
「どんなお話でしょうか」
躊躇うようにイライアス殿下は間を置いたあと、重い口を開いた。
「……離婚したほうがいい。それから、妹との同居もやめたほうがいいと思う」
どうして、彼がそんなことを言うのか。殺される前の私なら、なぜそんなことを言われなければならないのかと、言い返していたかもしれない。
イライアス殿下の表情は、そう言われるだろうと身構えているようにも見える。
「助言いただき、ありがとうございます。離婚も妹を追い出すことも、明日には行動しようと思っておりました」
「……え?」
イライアス殿下は、私の答えにかなり驚いた様子だ。それは王太子殿下も同じで明らかに動揺している。
時戻しの魔法をかけてくれたのは、イライアス殿下か王太子殿下のどちらかだろう。でも、時戻しの魔法をかけた人間だけが過去に戻れるはずなのに、どうして、私に記憶があるのか。
二人はそのことに驚いているのだろうと思った。
それは私も同じ気持ちだ。
お母様の手紙にあった通りなら、巻き戻るのはイライアス殿下か王太子殿下だけのはずだイライアス殿下たちの場合は、どちらかから話を聞いて納得しているのだと思う。
「イライアス殿下は、魔法が使えるのですよね?」
「……うん。そうだけど、何か気になることでもあるの?」
「その、どんな魔法が使えるのか気になったんです」
「色々だよ。得意なのは回復魔法かな」
訝しげな表情でイライアス殿下は答えると、私に尋ねる。
「もしかして、君は殺された時の記憶があるのか?」
「実は」
私が答えようとした時、ルピと遊んでいたベェがイライアス殿下の顔の前に飛んでいき「ベェェー」と鳴いた。




