10 王子の訪問
使い魔は、魔力のない人間には見ることができないし鳴き声も聞こえない。
だが、使い魔の意思次第では触れることは可能らしい。
ベェの体当たりは容赦ない力で、オウガ侯爵の鼻を曲げてしまった。
「ぐわっ!」
「ベェェー!」
痛みで鼻を押さえる侯爵の前で、ベェが誇らしげに鳴いた。鼻息が荒くなっているので、かなり興奮しているようだ。
ベェは私を助けてくれたのね。見た目は可愛らしいのに、とても勢いのある体当たりだった。あとでお礼を言わなくちゃ。
オウガ侯爵に目を向けると、彼は涙目で辺りを見回す。
「私の鼻を殴ったのは誰だ!?」
遠巻きに私たちを見守っていた騎士たちは、自分ではないと一斉に首を横に振った。
「あなた! どうしたんですか?」
夫人にしてみれば、突然夫の鼻が曲がったのだから、心配よりも驚きのほうが勝ったらしい。侯爵は苛立ちを隠さず、表情を歪めて答える。
「わからない。ただ、誰かに殴られたようだ」
「殴られたって……、誰もあなたを殴ったようには見えないけれど?」
「じゃあ、自分で自分の鼻を殴ったと言いたいのか!?」
「だ、だって、考えられるとしたら、ソラリアさんしかいなくってよ?」
「だから、誰だと聞いているんだ!」
真正面から殴られたことは、本人もわかっているはず。だけど、自分のプライドを考えたら、私に殴られたとは思いたくないのでしょうね。
「騎士や私ではないことは確実ですわ。もしかしたら、この家は呪われているのかもしれませんわね」
「の、呪われているだと?」
この場を乗り切るために、思いついたことを口にしてみると、思った以上に反応が良かった。侯爵夫妻は顔を真っ青にして、私を見つめている。
この人たちは魔法使いが嫌いなのではなく、怖いのかもしれないわね。まあ、得体の知れないものが怖い気持ちはわかる。
「先祖は魔法を使えたようですし、魔法に対して良くない感情を持っている人を拒むようになっているのかもしれませんわ」
「そ、そんな馬鹿な! 魔法使いはこの国にいないんだ! 魔法をかけた人間ももう死んでいるのだから、魔法は無効化されているはずだ!」
「どうしてそうだと言い切れるのですか?」
冷たい口調で尋ねると、侯爵は後退しながら答える。
「そうでないと魔法使い狩りをした意味がないだろう!」
「偉そうに言われても困りますわ。魔力があるかないか確かめるのに、結局は魔道具に頼っているのでしょう? あなたの論理なら魔道具も使えませんが」
「そ、それは……っ」
オウガ侯爵は唇を噛んで私を睨んだ。
「ロガンちゃんは今どうしているの?」
「離れで大人しくしてもらっています。引き取って帰っていただけますか」
「……何を言っているの? ロガンちゃんはあなたの夫でしょう!」
ロガンちゃんロガンちゃんとうるさいわね。
侯爵夫妻とはあまり話をしたことがなかった。ロガンが両親と私を会わせたがらなかったのは、これが理由なのかもしれない。
「初日から妻を放って義妹と関係を持つ夫などいりません。絶対に離婚いたします」
「なんですって?」
「それから、未婚の女性と体の関係を持ったのです。ロガンはその責任を取るべきだと思っています」
「ロガンちゃんから、あなたの妹に迫られたと聞いているわ! 悪いことをしたのはあなたの妹! 姉が責任を取らないでどうするの!?」
「では、あなた方はロガンの親として責任を取ってください」
言い返す言葉が見つからないのか、侯爵夫妻は視線をそらして黙り込んだ。
騒ぎを聞きつけたメイドたちも集まり、固唾を呑んで見守っている。
パンナと執事だけは、私を心配そうな目で見つめていた。現在働いているメイドたちは、お父様の代から働いている。
……ということは、ソレイユに味方する者も多いということだ。
時戻しをする前の私は、騎士たちに見張っておくように指示したが、メイドには何も言っていない。ソレイユが騎士に頼んでメイドを呼んだのかもしれないが、私はソレイユの世話をすることをメイドたちに許可していない。 彼女たちは私に断りもなく、ソレイユの世話をしようとしていたことになる。
たとえ、ロガンが許可していたとしても、私に一言何かあってもいいはずだ。
「ベェェー!」
突然、ベェが鳴いたかと思うと、扉をすり抜けて外へ出ていってしまった。慌てて追いかけようとしたが、私の目の前にはオウガ侯爵夫妻が立ちはだかっている。
「話すことがないようでしたら、ロガンを連れてお帰りください」
「本気で離婚するつもりなのか? 女は所詮代理止まり。お前の代でレイハート公爵家を途絶えさせるつもりか?」
「ご心配いただきありがとうございます。どうするかはこちらで考えますので、お気遣いなく」
「女のくせに生意気な!」
微笑んで答えると、侯爵はまた腕を振り上げた。それと同時に、勢いよく彼の背後の扉が開いた。
「ベェェー!」
「ウォフ!」
ベェとルピが大きな声で鳴きながら、邸に入ってきた。
どうしてルピが?
驚きながら二匹の後ろを見ると、眉根を寄せたイライアス殿下の姿があった。
「何があったかは知らないけど、女性のくせにというのは違うんじゃないかな」
予想していなかった王子の登場に、侯爵は焦った顔で手を下ろし、侯爵夫人は近くにいた騎士の後ろに身を隠した。




