65話 ドルツ公爵の日記
王国暦五一〇年
本日、セレスに公爵位を譲った。
これまで私が背負ってきたドルツ公爵家の家督と領地、その一切を、まだ若い息子に託すことになる。
正直なところ、不安がないと言えば嘘になる。
しかし、今の私には公爵として領地を治め、社交に励み、政務に追われている余裕などない。
ノア。
アロア王女殿下。
ローザ。
レオン。
クライヴ。
あの日、忽然と姿を消した五人。
捜索を始めてから、すでに幾日も経つ。
目撃証言すらない。
まるで、この世界から五人だけが切り取られてしまったかのようだ。
私はセレス、リアムと相談し、屋敷の敷地の端に別邸を建てることにした。
公爵家の政務から離れ、五人を探すためだけの場所。
ここを、捜索の拠点とする。
セレスには家を任せる。
私には、別の務めがある。
必ず見つける。
ノア。
アロア殿下。
ローザ。
レオン。
クライヴ。
五人とも。
何年かかろうとも、必ずこの手で見つけ出す。
◇◇◇
王国暦五一一年
王都だけを探していては足りない。
近隣の街や村にも捜索隊を派遣した。
街道、森林、山道、古い遺跡、廃屋。
人の立ち寄りそうな場所はもちろん、通常ならば人が足を踏み入れぬ場所まで調べさせている。
教会にも協力を求めた。
五人の似顔絵を用意し、各地へ配った。
リアムも毎日のように捜索へ同行している。
本来ならば、今頃はレティス嬢との婚約を正式なものとし、結婚へ向けて準備を進めている時期だった。
私は何度も考え直すよう説得した。
だが、リアムの意思は変わらなかった。
「父上。今はノアたちを探すことを優先しましょう」
あの言葉を聞いた時、何も返せなかった。
……すまない。
本来ならば、子供たちの未来を守るのが父親である私の役目だ。
それなのに私は、息子たちにまでこの捜索を背負わせている。
いつか必ず、この借りを返さなければならない。
◇◇◇
王国暦五一二年
奇妙な報告が届いた。
国王陛下の治世に、明らかな変化が見られるという。
税が引き上げられた。
貴族に対する監視と締め付けも強くなった。
民に対する処罰も以前とは比べものにならぬほど厳しい。
最初は、アロア殿下を失ったことによる精神的な混乱なのだと思っていた。
だが、それだけでは説明がつかない。
陛下は以前、民の暮らしを気にかける御方だった。
貧しい者への救済を命じ、領主たちにも民を守るよう幾度となく仰っていた。
それが、まるで別人のようになっている。
一体、陛下の身に何が起きているのか。
◇◇◇
王国暦五一三年
国王陛下の悪政は、さらに深刻になった。
陛下の政策に異を唱えた貴族が処罰された。
民からも不満の声が上がり始めている。
しかし、陛下は一切耳を貸されない。
そして本日。
信じ難い命令が下された。
『アロア王女殿下を、死亡したものとして扱う』
私はすぐに陛下へ申し上げた。
アロア殿下は死んでなどいない。
あの日、ノアたちと共に行方が分からなくなった。
だが、遺体は発見されていない。
死亡を断定できる理由など、どこにもない。
それにもかかわらず、陛下は淡々と仰った。
「そのような娘は知らぬ」
……耳を疑った。
私は長年、陛下に仕えてきた。
陛下がアロア殿下をどれほど大切にされていたかも知っている。
それなのに。
まるで、最初から存在しなかったかのように語られた。
背筋に冷たいものが走った。
これは病などという言葉では説明できない。
何かがおかしい。
何かが、確実に起きている。
◇◇◇
王国暦五一四年
リアムと長時間話し合った。
我々は、陛下の身に何らかの異変が起きていると判断した。
病。
呪い。
魔術による精神干渉。
そして……。
悪魔。
その言葉を口にした時、二人とも黙り込んだ。
悪魔など、御伽噺の中の存在だと思っていた。
だが、今の陛下を見れば、可能性を捨てることもできない。
調べる。
たとえ王家の禁忌に触れることになろうとも、真実を突き止める。
この国のためにも。
そして、アロア殿下のためにも。
◇◇◇
王国暦五一五年
調査を続けた結果、王城内から奇妙な魔力の痕跡が見つかった。
王城地下に残された古い魔法陣。
そこから漂う異質な魔力。
そして、国王陛下の周囲から感じられる、禍々しい気配。
間違いない。
陛下には何かが取り憑いている。
リアムも同じ結論に至った。
だが、確たる証拠はまだない。
下手に動けば、我々が反逆者として処断される。
それでも、このまま見過ごすことはできない。
そんな中、キャリー伯爵家より知らせが届いた。
ローザの葬儀を執り行うとのこと。
胸が締めつけられた。
遺体すら見つかっていない。
それでも、家族としては何もしないわけにはいかないのだろう。
私は、その知らせを何度も読み返した。
ローザ。
お前まで、死んだことにされてしまうのか。
◇◇◇
王国暦五一六年
ついに、正体を暴いた。
国王陛下に取り憑いていたもの。
それは、悪魔だった。
長きにわたり陛下の精神を蝕み、その判断を歪めていた。
アロア殿下の存在を忘れさせたのも、あの悪魔の仕業だった。
許せなかった。
陛下だけではない。
この国の民も、貴族も、すべてが悪魔の思惑に巻き込まれていた。
我々は勇者セイジ殿へ協力を求めた。
あの日、ノアが保護した幼い少年。
あの子は立派に成長した。
世界を旅する冒険者となり、仲間たちと共に数々の戦いを乗り越え、ついには勇者の称号を得た。
そして今日。
セイジ殿は悪魔と対峙した。
激しい戦いの末、悪魔は陛下の身体から引きずり出された。
それは黒い影のような姿をしていた。
あれを目にした瞬間、これまで感じたことのない恐怖を覚えた。
だが、セイジ殿はその悪魔を討ち果たした。
脅威は去った。
ようやく、この国を蝕んでいたものが消えたのだ。
……しかし。
喜ぶことはできなかった。
レイス侯爵家から、クライヴの葬儀の案内が届いた。
五人を探し続けているというのに。
また一人。
失ったことにされてしまった。
◇◇◇
国王陛下は正気を取り戻された。
悪魔に操られていた間のことを、すべて覚えているわけではないらしい。
だが、自らが何をしていたのかを知り、深く後悔されている。
そして今日。
陛下は退位を表明された。
王妃様と共に王宮を離れ、離宮で暮らされることとなった。
新たな国王には、リオ王太子殿下が即位される。
王国は、ようやく本来の姿を取り戻し始めた。
だが私にとっては、何も終わっていない。
ノアたちは、まだ帰ってきていない。
五人とも、まだ見つかっていない。
私は再び捜索に戻る。
国王が変わろうと。
政変が起ころうと。
何年が過ぎようと。
私が探すべき者は変わらない。
◇◇◇
王国暦五一七年
セレスは、公爵として立派に家を守っている。
私が捜索に専念できるのも、あの子が家を支えてくれているからだ。
本来なら、父親である私が背負うべき役目だった。
セレスには苦労をかけている。
リアムも、今なお私と共に捜索を続けている。
婚約まで解消してしまった。
時折、申し訳なさで胸が痛む。
だが、リアムはいつも同じことを言う。
「父上が気にすることではありません」
……あの子は強くなった。
強くなりすぎてしまったのかもしれない。
父親として、それが嬉しいのか、悲しいのか。
今の私には分からない。
◇◇◇
王国暦五一八年
今日も手掛かりはなかった。
五人の絵姿を携え、いくつもの村を訪ねた。
「この子たちを見ませんでしたか」
何度、この言葉を口にしただろう。
返ってくる答えはいつも同じだ。
「見ていません」
それでも探す。
五人全員でなくてもいい。
誰か一人でもいい。
生きている。
そう知らせてくれるだけでいい。
それだけで、私はまた歩ける。
◇◇◇
王国暦五一九年
今日、クロエがノアの部屋を掃除していた。
十年近く経つというのに、あの部屋だけはほとんど変わっていない。
本。
玩具。
服。
小さな机。
どれも、あの日のままだ。
まるで、明日にでもノアが扉を開け、
「ただいまお父様!セレスお兄様!リアムお兄様!」
と帰ってくるかのように。
クロエは何も言わず、黙々と部屋を掃除していた。
私は、その光景を見ていられず、部屋を出た。
屋敷の外へ出て、空を見上げる。
雲一つない空だった。
ノア。
お前は今、どこにいる?
◇◇◇
王国暦五二〇年
最近、身体の衰えを感じる。
以前のように、一日中馬を走らせることも難しくなった。
馬から降りた後、膝が痛むことも増えた。
だが、まだ歩ける。
まだ探せる。
ならば、やめる理由にはならない。
ノア。
アロア殿下。
ローザ。
レオン。
クライヴ。
お前たちがどこにいるのか。
父さんは必ず見つける。
十年かかってもいい。
二十年かかってもいい。
何十年かかろうとも、私は待つ。
……ただ。
オルン伯爵家から、レオンの葬儀の案内が届いた。
もう、これ以上「死んだことにされた子供」を増やしたくない。
頼む。
どうか生きていてくれ。




