↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令息のほしいものリスト  作者: ボアの本棚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/69

28話 『い い よ』


誰かが私の膝に、木の板に彫られた文字の表を置く。


そして、私の指を文字に置いて文章を作る。


『こ と ば』


『つ く る』


『じ ー な』


『は な す』


「叫ぶのは喉が痛くなるのでぇ!!! 板で文字を作るので、喋ってください!!!」


「……はい、わかりました」


そう答えたものの、私はしばらく動かなかった。


喋る。


その言葉を、頭の中で繰り返す。


たったそれだけのことなのに、胸の奥がざわついた。


六年間。


自分の声が誰かに届くことなど、考えたこともなかった。


そもそも、自分の声がどんなものだったのかさえ、もうよく覚えていない。


「……声を、出せばよろしいのですね?」


『は い』


「……聞こえますか?」


『は い』


即答だった。


その瞬間、私の指先がわずかに震えた。


聞こえる。


私の声が。


誰かに届いている。


「……では」


一度、唇を閉じる。


呼吸を整える。


「……こんにちは」


声が出た、と思う。


自分の喉から生まれた音が、空気を震わせる。


けれど、自分には聞こえない。


それなのに――。


『こ ん に ち は』


すぐに返事が返ってきた。


「……」


私は何も言えなかった。


ただ、唇をきゅっと結ぶ。


『?』


「……いいえ」


大丈夫。


そう言おうとしたのに、声が少し震えた。


「……本当に、私の声が聞こえているのですね」


『は い』


ちゃんと。


その言葉が、胸に刺さった。


ちゃんと、私の声が届いている。


六年間、誰にも届かなかったと思っていた。


何かを伝えたくても伝えられず、誰かの声を聞きたくても聞けず。


世界から取り残されたような気がしていた。


それが今は――。


「……不思議です」


『?』


「私が話して……あなたが答えてくださることが」


『ふ つ う』


「……そうですね」


普通。


昔は、何も考えずにしていたこと。


けれど今の私にとって、それは奇跡に近い。


文字板を指で示される。


『な ま え』


『の あ』


「……存じております」


『あ な た は ?』


「私は……」


一瞬、言葉に詰まる。


「ジーナ・ストラディです」


『よ ろ し く』


「……よろしく、お願いいたします」


胸が、また少しだけ温かくなる。


名前を告げる。


それだけなのに。


誰かと初めて会った日のような気持ちがした。


『す き』


『も の』


『な に ?』


その言葉を口の中で転がす。


「……好きなもの」


考えてみる。


花。


読書。


乗馬。


――乗馬。


その言葉が浮かんだ途端、胸の奥が痛んだ。


六年前。


あの頃も、私は馬が好きだった。


馬に乗ることが楽しくて。


風を感じることが嬉しくて。


まさか、その日を境にすべてが変わってしまうなんて、思いもしなかった。


「……花、が好きです」


ようやく答える。


『は な !』


「はい」


『ど ん な ?』


「……そうですね」


考えようとした。


けれど、今の私には花を見ることができない。


以前なら、色や形を思い浮かべながら答えられたのに。


「……分かりません」


『?』


「今の私には、もう見ることができませんから」


自分で言ってから、胸が締めつけられた。


しまった。


悲しい声を出してしまった。


せっかく、楽しく話していたのに。


「……申し訳ございません。つまらない話を――」


『お し え る』


「……え?」


『の あ お し え る』


あまりにも迷いのない声だった。


『い ろ』


『か た ち』


『に お い』


『の あ お し え る』


「……」


胸の奥が、じんと熱くなる。


そんなことを言われたのは初めてだった。


この方は違う。


できないなら、自分が教えると言ってくれる。


「……ノア様」


『は い』


「どうして……そんなに親切にしてくださるのですか?」


少しの沈黙。


返事が無い。


ノア様は考えているようだった。


『じ ー な と』


『は な し た い』


「……私と?」


『は い』


その答えが、あまりにもまっすぐで。


私は、思わず微笑んだ。


「……そうですか」


たったそれだけの言葉。


なのに、心が満たされていく。


もっと話したい。


そんな気持ちが、胸の奥から静かに湧いてきた。


六年間、ずっと忘れていた感情だった。


「……ノア様」


『は い』


「もう少しだけ……お話ししてもよろしいでしょうか?」


声が震える。


けれど今度は、悲しいからではない。


『い い よ』


返事を読んだ瞬間。


私は、そっと目を閉じた。


見えない瞳の奥に、六年前の世界が浮かぶ。


笑い声。


風の音。


馬の蹄の音。


母の声。


そして――。


もう二度と戻らないと思っていた、あの日までの世界。


けれど今。


その世界とは違う、新しい『音』がある。


目が見えなくても。


耳が聞こえなくても。


誰かが自分に言葉を返してくれる。


それだけで、世界はこんなにも温かくなるのだと。


私は、初めて知った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。