第10話 特異点
黒い空から見下ろす金の瞳が薄く照らしていた。
「何処へ行くんですか?」
庭を歩くアロットにフェリシアが声をかけると、ゆっくりと振り返った。
森は静まり、イオナも既に眠っている。
静かな夜だった。
「何処にも行かない。少し風に当たっていただけだ」
「本当ですか?」
「本当だよ。……なんでそんなに疑われてるんだ」
肩を竦めるアロットだが、フェリシアは警戒するように見つめていた。
このまま一人でキメラの討伐に向かうわけではない。それはフェリシアもわかっている。
そんなリスクの高いことをする人間ではないことはわかっているが、危機的状況に陥った場合は自らの命を顧みない男なのも知っている。
「フェリシアももう寝たらどうだ」
「アロット君が寝たら寝ますよ」
「俺ももうすぐ寝る。けど、確認したいことがある」
「またそれですか」
「別に禁術について調べようとはしていないから安心しろ」
地下室の扉はイオナの魔術で鍵が掛かっている。
夜中に迷い込んだ人間が地下室に入り込む可能性も無きにしもあらず。
限りなくあり得ないことだが、一応警戒して鍵を掛けていた。
それがアロットの指示なので、少なくとも地下室に立ち入ることはしないように見える。
睨みつける蒼の瞳に観念して、アロットは溜め息を吐いた。
「周囲を警戒してたんだよ。この家がモンスターに襲われない可能性もないからな」
高い壁に囲まれた街や魔導師の巡回する村などと違い、周囲にはモンスターの侵入を拒むものは何もない。
人里離れた森の中の家はアロットの言う通り、いつモンスターがやってきてもおかしくはない。
「それなら私にも言ってくれてもいいでしょう」
「こういう仕事は随行魔導師がやらないと駄目だろ。騎士には常に万全の状態で動けるようにしてもらわないとな」
「そうやって言い訳として騎士と魔導師の関係を持ち出すのはどうなんですか?」
「手厳しいな……」
アロットが何かを隠しているのはわかる。
自分が信頼されていないようで、フェリシアは少し苛立っていた。
(隠しているように見える……のもそうですけど、ラディアメルクの時からアロット君はどこか変なんですよね……)
ラディアメルクでリヴァイアサンに魔術を放った時のアロットの姿が脳裏を過ぎる。
何か人ではないモノになろうとしていたような不気味な気配。
あの時はリヴァイアサン以上にアロットから目が離せなかった。
アロットの方が脅威に感じていた。
そこでフェリシアは何かに気づいた。
「騎士……、騎士について何か気づいたんですか?」
「……まあ、な。研究日誌の中には騎士について書かれているのもあったからな」
「アロット君、騎士とはなんですか?」
「それは俺にもわからない。……いや、わからなくなってきた」
「なら、白き異形とは関係がありますか?」
確信をつく問いにアロットの目が見開かれる。
フェリシアは薄々気づいていた。
この魔術の世界で自分が魔力を断つ力があること、そしてそれは白き異形も持っていたこと。
騎士という生まれながらにしての異端。白き異形はその末路なのではないかと、別のモノになろうとしていたアロットを思い返して気づいた。
「関係あるんですね?」
「まだ確証がない」
「それでもアロット君は疑ってないはずです」
真実を求める蒼い瞳がアロットを見つめた。
「あの時の白き異形は前回の騎士なんですよね?」
はっきりと、その言葉を口にした。
「……そうだ。だがそれは──」
「わかっています。あくまでアロット君の推測なんですよね。でも、今の私にはわかるんです」
小さな手を握りしめ、フェリシアはあの時の感触を思い出す。
あの首を切り落とした時の感覚、あの時の自分が唯一剣を振るのを躊躇った理由を。
「あれは騎士でした。そして、私が斬りました」
「フェリシア、それは──」
「大丈夫です。慰めの言葉はいりません。……私が殺したんです」
忘れないように握りしめた手を胸に当てる。
「きっと彼女は望んでいましたから」
白き異形は最期にフェリシアの剣に首を差し出すかのように抵抗をやめた。
その姿は今でもフェリシアの記憶に強く残っている。
「教えてください。あの時の私はいつもと違ったはずです」
「あの時のフェリシアは確かにいつもと違った。それまでは剣を抜くと人格が変わるような感じがあったんだ。……それこそ、今はコントロール出来てるその魔を断つ力の片鱗だったと思うが、それが白き異形相手には発動していなかった」
「それはつまり、昔からアロット君と訓練している時にも私はその状態になっていたんですね」
「ああ、その時の自覚はないんだな」
「特別な力……とは思っていなかったんです」
そして、その力が白き異形の時には発動していなかった。
この事実を改めて確認する。
魔を断つ力が魔力に対して発動する。考えてみればそのトリガーは当然のことだが、そもそもこの力が何なのかは依然として不明。
「フェリシア、無理はするな」
「無理なんて……していません」
「嘘をつくな。手が震えてる」
言われてフェリシアはハッとなる。
いつものように思考を冷たくすれば割り切れるはずなのに、自分が過去の騎士を殺したという事実はそれすらも許さないほどに動揺を与えていた。
だが、それだけではない。
「私は、この世界にいてもいいんでしょうか」
「何を……。急にどうした?」
「魔力を断つ力。こんな力がある私は、この世界ではありえない存在です」
この世界における自分の異常さを考えた時に、自分が何者なのかわからなくなる。
白き異形のようになるか──否、例え白き異形にならなくとも、この身体は魔術世界においてイレギュラーな存在であることには変わらない。
むしろ、人の姿をしているのが余計にタチが悪い。
「私は本当に人間なんですか?」
不安に思っていたことを率直に伝える。
モンスターだけではなく、アロット達人間に対しても発動していたこの力は、まるでこの世界の人間を殺す為の力だと。
フェリシアはそう思わずにはいられなかった。
だが、アロットは…………
「何を当たり前のことを」
「え?」
「人間に決まってるだろ」
呆れながら、深いため息を吐いた。
ゆっくりとフェリシアに近付くと、その頬に手を当てた。
「お前はフェリシア・ブレイクハートと言う一人の人間だよ。間違いなくな」
「けど、私が白き異形になる可能性だってありま──」
「ならねぇよ。つーか、させねぇよ」
「どうやって……」
「知らん」
「えぇ……」
「別に白き異形になると決まったわけでもないだろ。それとも体におかしいところはあるか?」
そう言われると、体調的におかしいところは何一つない。
それでもフェリシアは反論したかった。
「他の子供たちよりも成長が早いです」
「まあ、よく食べるからな」
「魔術が使えません」
「俺も似たようなもんだ」
「そもそも魔力がありません」
「イルミーナもないな」
「え!?」
初めて聞く情報にフェリシアは目を丸くした。
「イルミーナさんも?」
「そうだよ。だから変な事気にすんな」
「アロット君……」
アロットの手が優しく頬を撫でると、くすぐったい感触に思わず肩を竦める。
触れた個所から熱が伝わる。
その熱がフェリシアには心地よかった。
「……あったかい」
「お前が人として生きている証拠だ」
「獣だろうとモンスターだろうと、生きているなら温かいはずですけどね」
「まだ言うか」
「ふふ、冗談ですよ」
アロットの優しさに触れ少し気が楽になる。
慰めでもよかった。
ただ、胸につっかえた気持ちを打ち明けて楽になりたかっただけだった。
「たとえ魔術がなくても、力を合わせて生きていけるはずだ。それが、それこそが──」
と、アロットが言葉に詰まった。
その先の言葉を無意識に口にしようとした。
──アリアの夢。と。
「アロット君? 泣いてるんですか?」
「……なんでだよ」
「だって、なんだか目が赤いですよ?」
「んなわけないだろ」
アロットが手を離すと、フェリシアは少し名残惜しそうにした。
「夜更かししてるから変な事考えるんだよ。早く寝ろ」
「そうやって子供扱いしないでくださいよ」
「するにきまってんだろ。お前はまだ十二歳なんだから」
いつもならムキになって怒るところだが、今はその言葉がフェリシアには少し嬉しかった。
「わかりました。アロット君も早く寝てくださいね」
「わかってるよ。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
いつもよりも優しいアロットの声にフェリシアは笑みを浮かべた。




