エピローグ
魔導師団の副師団兼南方統括官であるクウィン・リースは、この日珍しく夜の酒場へと足を踏み入れていた。
酒場では既に仕事終わりの労働者で賑わっていたが、突如やってきた銀髪の麗人を見て皆の酔いが覚めてしまう。
(な、なんでクウィン様がここにいるんだ!?)
(知らねぇよ! あの人だって飲みたくなるんだろ。ここ最近……いや、毎日忙しそうにしてるらしいじゃないか)
(ウィルの旦那がテキトーすぎたからなぁ……。魔導師の再教育と部隊の再編、ヴェルナトの調査もそうだが、ここにきて海から街へ襲撃してくる謎のモンスターと来たもんだ)
(ってことはあれか……やけ酒か)
(いや、クウィン様に限ってそんなことは)
酒飲み達は各々顔を合わせながらクウィンに聞こえないよう声を潜めて話し合う。
クウィンの氷のような青い瞳は一体何を見据えているのか、そのままカウンターに座る姿を周囲の人間は静かに見ていた。
その静かな店内をクウィンは不思議に思う。
「ここはこんなに上品な店だったか? 店主よ」
「恐らく騎士様の影響だろう。あんなに高貴な方を目の前にして、自らを省みた者たちが多いようだ」
「フ、騎士の歓迎と称して馬鹿騒ぎしていたのにか?」
「それも含めて反省中なんだろ?」
初老の店主は落ち着いた様子でクウィンと軽口を交わす。
普段からどれだけ馬鹿騒ぎをしても怒らず酒とつまみを用意する店主は、この場に不釣り合いな銀氷の麗人を前にしても動じることなく相手をする。
「注文は?」
「""月夜水""を」
「はいよ」
店主は淡々と注文に応えるが、店内の酒飲み達は一斉に目を合わせ動揺を顕にした。
月夜水は高級酒だ。
エールやウイスキーとは違い、まるで水の様に透き通った色の無い酒。
水よりも透明感があると言われ、度数のわりにアルコール臭はなく、落ち着いた華やかな香りが立つ滅多に見ることのできない酒。
甘みはなくその透き通った水面に満月を映してゆっくりと喉を通し、鼻を抜ける香りを楽しむ酒と言われている。
もちろん、こんな店の中では月など見えないが。
(あんな酒置いてたのか?)
(あったとしても俺等には手が出ないだろ)
(まあ、あの酒は違いのわかる奴じゃないと飲むだけ無駄だからな)
(お前飲んだことあるのか!?)
(今はそんなことどうでもいいだろ!)
酒飲みどもの見守る中、店主が月夜水を注いだグラスを置いた。
クウィンはその高級酒を────ひとくちで全て飲み込んだ。
「えっ!?」
風情もへったくれもない飲みっぷりに見ていた一人が驚愕し声を漏らした。
声が上がった方にクウィンの青い瞳がギロリと睨みつけてくる。
もちろん、それは本気で睨みつけたわけではないが、街の人間から冷徹な指導者として知られているが故にその迫力は充分だった。
(馬鹿野郎! 声を出すな!)
(だ、だってよぉ!)
酒場は再び静まり返り、一斉にカウンターから目を逸らした。
「もう一杯」
「はいよ」
安酒のような飲まれ方をしても、店主は気にせず同じ酒を注ぐ。
もっと丁寧に飲むべき酒だが、そんなことにいちいち指摘するつもりはない。
(……おい、誰か声かけてみろよ)
(冗談じゃねえ、死にたくねぇ)
月夜水の注がれたグラスに再びクウィンが口を付けようとしたその時だった。
「隣、失礼してもいいかな?」
長い杖を持った長い金髪の女性がクウィンに声を掛けた。
翠玉のような透き通った碧い瞳と目が合うと、クウィンは一先ずグラスを置いた。
「好きにしろ」
「ありがとう」
碧い瞳の女は微笑んでクウィンの隣に座る。
周囲の酒飲みたちは一気にカウンターから目が離せなくなった。
碧い瞳の女もクウィンと並ぶほどの美女であることもそうだが、クウィンに対して馴れ馴れしい口調で話しかけていることに皆の肝が冷えた。
「お嬢さん、注文は?」
「あっはあ。水、って言うのはだめかな? あいにく手持ちが少なくて」
「店主、こいつに私と同じ物を」
「はいよ」
「あら、優しい。それはそれとして水も貰いたいな」
「はいよ」
知り合いなのだろうか。と、周囲の人間は深々と二人の様子を観察していた。
クウィンはこの女のことを知らない。
だが、触媒という補助を借りて生活する者ということを見抜いて、一般市民の貴重な意見を聞く機会だと判断した。
クウィンは元々ラディアメルクの人間ではなく、よそから来てこの街を統括している立場にある。
それを本人は口にしていないだけで、ずっと気にしていることだった。
「月夜水と、こっちがただの水だ」
女の前に透明な液体の入ったグラスが二つ並んだ。
パッと見ではどちらが月夜水かもわからない。
碧い瞳は、まずは喉を潤すために水を一口飲み込んだ。
「……マスター。君の両親はグランクレイグの人かな?」
「よくわかったな」
「魔術の水は特徴がでるんだよ。グランクレイグ人はちょっと硬い水だね」
「初めて聞いたぞそんなことは」
クウィンは隣に座った女を横目に月夜水を一口飲み込んだ。
流石に酔っぱらった状態では貴重な話を聞けないので、先ほどとは違いゆっくりと飲んでいく。
それを見て碧い瞳の女も月夜水に口を付ける。
(くそ、ここからだとよく見えねえな……)
(馬鹿よせ、あんまり怪しい動きするな)
(美女二人が酒飲んでる顔見てえだろ!)
(キモイぞ、お前)
碧い瞳の女は月夜水に小さく喉を鳴らすと、じっくりと味わうように黙りこむ。
その第一声を見守るように、酒場の人間は皆杯を止めて注視してしまっていた。
「懐かしいな……」
静かに、そう一言だけ呟いた。
その物憂げな瞳にクウィンは一瞬だけ見とれてしまった。
「懐かしい?」
「こっちの話だよ。それで、お嬢様はどうしてそんなにもつまらなそうにお酒を飲むのかな?」
「お嬢様だと……?」
確かにクウィンは副師団長の中で一番若いが、隣に座った女も大して変わらない歳頃に見える。
ただ、余裕のある顔で酒を飲む女の横顔が、自分よりも遥かに大人に見えていた。
透き通った月夜水は青い瞳を映している。
酷い顔だ。自分自身でもそう思ってしまうくらいに。
「ラディアメルクの今後のことを考えているだけだ」
「あら、若いのに結構難しいこと考えてるんだね。もしかしてお偉いさんかな」
「私を知らないのか?」
「……おかしいかな?」
「いや、そうでもない」
ラディアメルクの長であることはもちろんのこと、この若さで副師団長になった実績とその美貌から、クウィンを知らない者の方が少ない。
とはいえ、それが当然とも思わないので「そんなものか」とクウィンは納得した。
碧い瞳が何故か少し泳いでいるように見えたのは酒が回っているせいかもしれない。
「ラディアメルクは今が正念場だ。今回のような出来事がまた起こりうる可能性がある」
だからなんとしても戦力を整える必要がある。
グラスを握る手に力がこもる。
「もしかして、怖いのかな?」
挑発的に笑みを浮かべ横目で見てくる碧眼に、酒飲み達の背筋が凍りついた。
(なんだあの女!?)
(喧嘩売ってんのか!? 相手は蒼師位の魔導師だぞ!?)
それでも、クウィンは静かにグラスの中を見つめていた。
「怖いさ。……ずっと怖いんだ」
力のない言葉が口から零れ出る。
「私はこんな立場にいてはいけないんだ。私よりももっと強い者はいる、私よりも勇敢な者はいる。私は……私の下した選択が正しかったのかと後悔するばかりだ」
酒のせいか、初めて人前で弱音を吐いていた。
気丈にふるまっているが自分が臆病な人間だということを理解している。
怖いからこそ、自分一人の力では全て解決できないことを知っている。
その言葉を聞いて周りの酒飲みたちも目を丸くするが、静かに各々耳を傾けていた。
「恐怖を乗り越えられるのは恐怖を感じる者だけだよ。怖いと思うのは間違いじゃない」
「だが……あの時、全てをアロットに任せてしまった。その結果あの男は死にかけた……。あの男は魔導師団に必要な人間だというのに」
「あっはぁ。アロッティが? あれはあれで危なかっしいからどうだろうねぇ」
「あの男を知っているのか」
「まあねぇ」
ゆっくりとグラスに口を付けてはぐらかす。
クウィンの方は酔いが回ってきたのか一向に杯が進んでいなかった。
「アロッティはあのモンスターについて何か言ってたかな?」
「人が……いや、なんでもない」
人がモンスターになる可能性。
そんな確証のないことをこんなところで言うわけにはいかない。
ギリギリのところでクウィンは口を噤んだ。
「そう? まあ、私から言えることは──逆かもしれないけれどね」
「逆?」
「んー……? アロッティが魔導師団に必要。って話かなー。あの子は危なっかしいから真似する人が出ると副師団長様も困るよね?」
「確かに……あの男の無謀具合は以前も聞いている」
はぐらかされたような気がしたが酔っぱらっているので正常な思考が出来ない。
だが彼女の言う通り、アロットが危なっかしいのは確かだ。
ヴェルナトの時も含めて、自らの負傷も顧みずに強敵に立ち向かう姿。
まるで命を投げうってでも敵を仕留めようとする意志は出来れば他の魔導師には真似してほしくないものだ。
否、そんなことを出来る人間の方が少ない。
「あの男はヴェーラと同じで──」
と、そこでクウィンの身体がカウンターに落ちた。
「あら、潰れちゃった?」
「魔導師は手配してあるから問題ない」
「あっはぁ。手際がいいねマスター」
店主は通信魔術でミーアに連絡し、ミーアから近場の女性魔導師に通信。
既に数名の魔導師がクウィンを回収しに向かってきていた。
店主の手際の良さに感心しながら月夜水に口をつける。
「…………嘘が下手なんだな」
店主が碧い瞳に問いかけた。
「うん?」
「さっきさりげなく副師団長殿って言ってただろ。あんたはクウィンを知っている」
「…………」
余裕そうな表情から一転して『しまった』と言う顔をして見せた。
だが、それはどうでもよかった。
店主は小声で更に問いを投げる。
「あんたがイルミーナだな?」
「そうだね」
「……ったく。うちの祖父さんが月夜水を切らすなって言ってたのはあんたのせいか。確かに美人だがよ」
店主が頭を掻いてため息を吐くと、イルミーナは三日月を浮かべて人差し指を立てた。
祖父から言い伝えられていた絶世の美女。
目の前の女がそれだとしたら、一体何年生きているのか。
信じられないことだが、多くの人間を見てきたせいか疑う気は全く起きなかった。
そして、それ以上は何も聞くことはなかった。
「ああ、そうだマスター」
「なんだ?」
「あの海から現れたモンスターから声を聴いたって話がちらほらあるんだけど、何か知ってるかな?」
「あんたは聞こえなかったのか?」
「ちょうどいなかったからね」
しれっと目を伏せて言うイルミーナの顔を見て呆れてしまう。
この女は嘘が下手なのだろう。
あえて問い詰めることはせずに店主は淡々と答えた。
「さあな、俺には『裏切り』とか、とにかく物騒な言葉だ」
「そう。ありがとうね」
そう言ってイルミーナは立ち上がると、倒れるクウィンを横目に帰る支度をする。
「ばいばい。クゥちゃん」
朧げな意識の中で聞こえたその声は、クウィンが子供のころにも聞いたことがある気がした。
だが、思い返す暇もなくクウィンの意識は泥の中に沈んでいった。
(((……俺、来月からここで働こうかな)))
銀氷の麗人のあられもない姿に、どこか妖艶な謎の美女。
対照的な二人の美女の姿が目に焼き付いてしまった酒飲みたちは、クウィンが残したグラスの残りを「もったいない」と言って飲み干す店主を羨んでいた。




