第17話 変化
──それはアロットが斬撃を受けた時のことだった。
胸を斬られた瞬間、アロットは死を予感した。
痛みすら感じる暇もなく、冷たい風が心臓の周りを撫でる感覚があった。
(やられた……?)
恐る恐る胸元を触れると、その手がぬるりと生暖かい感触に染まった。
思い出したかのように熱と激痛が遅れて襲い掛かる。
「ぐっ…………」
口からも大量の血が零れ落ち、脂汗が滝のように流れる。
今すぐにでも治癒を回すべきだ。
治癒を────
(…………何故、俺の腕は斬れてないんだ?)
それは一種の走馬灯なのかもしれない。
驚くほど冷静に、時間がゆっくりと流れる中でアロットは違和感に気づいた。
腕を交差して防御していたはずなのに、その腕をすり抜けたかのように胸元に斬撃を与えられた。
「…………」
傷はどこまで達したかわからない。
だが、このまま出血するのはまずいことはわかる。
アロットは鎖の拘束魔術──縛塞を斬られた傷に交差させるように胴体に袈裟懸けに掛ける。
「ッ──!!!!!」
激痛が走る。
だが、アロットは思考を回転させる。
自らの治癒よりも優先すべきことだ。
(あの斬撃は風刃とは違う。まるでその場に発生させたような……。
(そもそもこの影の群れもおかしい。あの黒い巨人は海にいたんだぞ……。
(さっきの通信魔術のような声も……)
そこでアロットの耳に声が届いた。
ミーアとの通信が繋がった。
《アロットさん! 無事ですか!? 街の方は片付いているので今から魔導師が援護に行きます。それまで──》
「少し黙ってろ」
ミーアとの通信を一方的に遮断した。
アロットの眼には黒い巨人しか見えていなかった。
霞む視界の先で、アロットには興味がなくなったのか黒い巨人は別の方向を見ていた。
「どこを……見ている?」
アロットの模倣は完璧ではない。だが、影の召喚魔術という存在が魔術解釈を広げることになった。
ずっと見てきたそれの斬撃のイメージを、影として模倣し顕現させる。
腕を突き出し、対象を選定。
狙いは空を舞うフェリシアを狙う赤い瞳。
「──なまくらが、お手本をみせてやるよ」
黒の閃撃。
騎士の斬撃を模倣した影の斬撃が赤い瞳を切り裂いた。
黒い巨人のものよりも強力な斬撃の魔術。
治癒を後回しにし、全魔力を攻撃に注いだ。
(ああ……まずったな……)
遠のく意識のなかで、最後に見たのは──
群がってくる影の群れに降り注ぐ光の刃だった。
「で? 何か言うことはありますか?」
「いや……」
魔導師団の教会の医務室にてアロットは目を覚ました。
ベッドで身体を起こしたアロットを、冷たい蒼い瞳が見下ろしている。
黒い巨人との戦闘は終わったようで窓の外には青空が広がっていた。
冷静に辺りを見渡してみるとこの医務室にはアロット以外の人間はいなかった。
どうやら大きな怪我をした人はいないようだ。
「なんでそんなに怒ってるんだ?」
「──ッ!!」
パシン。と、アロットの頬を一閃。
見切れぬ速さで振り抜いた平手打ちに、アロットは状況が飲み込めずに放心してしまう。
「そうやって自分の命を投げ出すのはもう……やめてください」
フェリシアの瞳から大粒の涙が零れた。
「死にかけたんですよ!? どうしてそんなに冷静でいられるんですか!」
「それは……」
「『命に代えても』ですか? アロットくん、酔っぱらった時に言ってましたよ」
涙をぬぐって目を腫らしながら静かな怒りを向けられていた。
アロット自身は酔っていた時の記憶がないが、朧気にそんなことを言った記憶もなきにしもあらず。
心の中では思っていたことだ。自分が死んでもフェリシアが生き残ってくれればそれでいいと。
「私に言いましたよね? 命を捨てるようなことはするなと」
「言ったな」
「アロットくんはどうなんですか? ユリウス様に怒られた時から変わっていませんよね?」
「……ごもっともだ」
アロットは頭を掻いた。
この先の旅でどちらかが死ぬことになったら、その時は自分が犠牲になることをアロットは考えていた。
今まで誰も生きて帰ってこなかった旅。フェリシアがどんなに強くても、その旅を二人で生きて帰ってこれるかはわからない。
そんな都合の良いことがあるのだろうかと、アロットは最悪の事態から逃れる方法を常に考えてしまっていた。
それでもフェリシアは……
「私はこの旅を生きて終えます。そして、この剣でもっとたくさんの人を助けたいんです」
フェリシアの決意をアロットは噛み締める。
剣を置いて普通に生きて欲しい。
それはアロットのわがままでしかない。
「私は生きて旅を終えます。私が私である為に」
「…………そうだな」
フェリシアは成長している。
だが、自分自身は何も変わっていない。
アロットはひどく情けなく感じていた。
「本気で叩きたいところですけど、怪我人なのでここまでにしておきます」
「……いや、もう一発くれ」
真面目な顔でアロットはフェリシアに要求した。
青い瞳が大きく見開いて、言葉を失っていた。
「正気ですか?」
「一番いいのを頼む」
フェリシアはこの旅を経て成長した。
だが、自分はどうだろうか。
アロットは未だ自分自身の命に価値を見出せずにいる。
(いや、『命の価値』なんてものを考えるのがどうかしている)
アロットはフェリシアの蒼い瞳を見つめる。
自分自身が変わらなければならないのだ。
「正気ですか??」
「今の俺には必要だ」
「……わかりました」
フェリシアが袖をまくって右手を上げた。
利き腕を抜刀し、蒼い瞳が冷たく輝いた。
久しく感じていなかった首筋の冷える感覚に全力の一撃がくるのを察した。
アロットは目を閉じて意識を集中させる。
フェリシアは一歩後ずさりすると…………
「行きます」
踏み込み、右手を振り抜く──白の閃撃。
強烈な平手打ちの音が室内に響き渡った。




