第4話 魔力
「君達には想像できないだろうけど、もし、この世界から魔術がなくなったとしたら。こんな水一杯の為に人は殺し合うだろうね」
「大袈裟だろ」
「そうかな?」
「まあ、こっちには国というものがないからね」
「……『クニ』?」
「あ、そうだ」
急に何かを思い出したかのようにイルミーナは短刀を取り出した。
その切っ先を細い指先に当て「いてて」と顔を顰める。
指先からは赤い血がぷくりと顔を出した。
「何してんだ?」
「前に言ってたでしょう? モンスターと人の違い」
「……別に疑ってねぇよ」
「あら、傷つけ損だ」
血の出た指先を見せてきたのでため息を吐きながら治癒をする。
話をはぐらかされたと思い、アロットはあからさまに不貞腐れる。
その横顔を見てイルミーナは小さく笑った。
「ごめんよ。騎士についてどこまで知っているか。だっけ?」
とんがり帽子の影の下でその小さな口が弧を描いた。
嘲笑うかのような小悪魔めいた碧眼が覗く。
「フフ、回りくどいね」
「なんだと?」
「君が知りたいのは、君たちが『白き異形』と呼ぶモンスターと騎士の関係性だろう?」
「…………」
核心をつく言葉にアロットは沈黙する。
その首筋に流れる一粒の汗を見て、イルミーナは肯定と受け取った。
「ここらへんは私も知っていることだから正直に言おう。君の想像通りアレは前回の巡礼の騎士だ」
「っ……。それは──」
「いや、先に結論から言おう。フェリたんは白き異形にはならないよ」
「なんっ……何故、そう言い切れる。あんたは何を知っているんだ」
気づけば、アロットはイルミーナと正面から向き合っていた。
知らなければならない。
その逸る気持ちがアロットから余裕をなくしていた。
「フェリたんは今までの騎士とは違うからね。私も会ってみてびっくりしたけど」
「今までの騎士と違う?」
思い出した。
バルファローネが言っていたことだ。
【フェリシアには魔力を全く感じない】
それまでの騎士は魔術を使える程ではないが、僅かながら魔力があったという。
何故、この女がそんなことを知っているのかはわからないが。
「その様子だと気づいているみたいだね。いや、誰かに教えられたかな。ポル坊ならわかるかもしれないもんね」
「ポル坊?」
「バルファローネ家の現当主だよ」
ポルトラック・バルファローネ。
グランクレイグでも格式高い魔術名家の当主であり、魔導師団副師団長をそんなふうに呼べる人間などいない。
「バルファローネ副師団長とも会ったことがあるのか」
「ちょっと昔にね。まあ、それはさておきじゃない?」
「そうだな。それで魔力がないから白き異形にはならないと?」
「そうだね。そして、今までの騎士はアレになる可能性があった」
「可能性?」
「アレは一体だけさ。霊峰から引き返した前回の騎士がああなった」
どくん。と、心臓が一際大きく沈み込んだのを感じた。
それはつまり……。
「他の騎士はやっぱり霊峰で最期を迎えたのか」
「そうさ。律儀にあんなところに行ってね。前回の騎士は最初から無理だとわかっていたから引き返したのさ」
「だが、そんな話は聞いたことがない」
「そりゃ隠してたからね。表向きは死んだことになってるよ」
騎士が引き返したのなら、当然その随行魔導師も生きて帰ってきてるはずだ。
その二人の話は霊峰で終わっているのだから、誰も知らない場所に隠れていたんだろう。
いや、待て……
「その随行魔導師はどうなった?」
「私が彼女たちの隠れ家に行ったときには全てが遅かった。我を忘れた騎士だったモノに殺されていた後だったよ」
「……馬鹿げた話だ」
アロットは砂浜に尻をついて頭を押さえた。
何もかも信じがたい話──いや、信じたくない話だった。
「それで、フェリシアには魔力がないから白き異形にはならないと」
「そうだね。まあ、『おそらくは』としか言いようがないけれど」
「……残念ながら、フェリシアは白き異形と同じになりつつある」
「まさか」
「本当だ。フェリシアの身体は魔術を無効化するようになっている」
何もかも諦めたかのように海を眺めた。
遠くで無邪気に遊んでいるフェリシアとマルタ達の姿が見える。
直視するのも辛いのは、海に反射する陽の光が眩しいからだと言い聞かせていた。
「えぇ? 本当に?」
イルミーナは素っ頓狂な顔でアロットを見下ろしていた。
「そういえば、拘束魔術を掛けてるって言ったっけ。それが効かないと」
「ああ」
「それってどんな時だった?」
「どんな時?」
「アロッティさぁ、冷静になりなよ」
イルミーナはわざとらしく深いため息をついて見せた。
「ヒントあげようか?」
「ヒント?」
「魔術を無効化するんだったら、どうやって生活するんだい?」
「何を」
「水ありがとうね」
笑みを浮かべたイルミーナの顔を見てハッとした。
確かに拘束魔術は無効化された。
だが、フェリシアは今まで通りアロットが魔術で生成した水を飲んでいる。
全てを無効化するわけじゃない。
「拘束魔術を無効化されたのは……俺がフェリシアの相手をした時だ」
ヴェルナトでの出来事だ。
その時、アロットは思わず拘束魔術でフェリシアの動きを止めようとした。
だが、おかしい。
魔術を全て無効化できるなら、白き異形の時のようにアロットの障壁も破られていたはずだ。
それにフェリシアが持っている剣も魔術で造られている。
(待てよ。そう言えばエリオットが妙な事を言っていた)
ヴェルナトでの出来事を遡る。
エリオットは寝落ちしたアロットが目を覚ますと折れた剣がおかしいことを話していた。
顎に手を当て頭を捻らせていると、その頭にぽんとイルミーナの手が乗った。
「本当に忙しい頭をしているねアロッティは」
「触るな」
「あらあら反抗期かな? 結構いいこと教えたと思うのだけれどね」
「……少しフェリシアに確認しなきゃならない」
「そうだね。あんまり自分勝手に考えてたら駄目だよ」
「撫でるな」
アロットは立ち上がってイルミーナの手と砂を払う。
何か吹っ切れたかのように首の骨を鳴らし、肩を回した。
「頼むよ。君達で最後になってくれないと、そろそろ私も心苦しくなってくる」
イルミーナは杖を突いて帽子を被り直した。
「行くのか?」
「まあね。あんまり顔を覚えられたくないからさ。フェリたんによろしく」
そう言って軽く手を振って砂浜を歩いていく。
「アリアの夢の為にもね」
去り際の背中からそんな言葉が聞こえた。
慌てて振り返ると、既にイルミーナの姿はなかった。




