第3話 海と水着と
眼前には雄大な青が広がっている。
落ち着いた潮風が頬を撫でると、それだけで少しだけ肩が軽くなるのを感じた。
水平線は果てではなく、この世界の余白だ。
きっとその先には想像もつかない何かがあると予感させる。あるいは何かがあって欲しいと夢を見るような余白の部分。
その余白を埋められるのは実際にその水平線の向こうへと辿り着いたものだけだ。
「……なにを浸ってるんだか」
乾いた笑いが出た。
アロットはこの広い砂浜が嫌いだった。歩こうとすれば足を取られて、気づけば靴の中は砂だらけになっている。
ラディアメルクのビーチに来るたびに思うのは、自分は遠くから見ているだけで充分だということ。
背後にあるラディアメルクの街並みが遠くに見える。出来ればあの外壁の上から眺めているだけで済ませたい気持ちもあった。
観光客も多く。魔導師団の制服を着て遠くから眺めているだけのアロットは少し浮いていた。
そんなアロットをよそに、フェリシアとマルタは海に入り楽しそうにしている。
「服も剣もなければ、騎士と気づく人はいないんだな」
白い水着を着たフェリシアは、誰がどう見ても普通の女の子にしか見えないだろう。
十二歳という年齢に対して身体の発育具合は普通ではないかもしれないが、言われなければ気づかれないことだ。
マルタもフェリシアが騎士であることは言わずに、その場にいた人を巻き込んで遊んでいる。
気づけばフェリシアは数人の女子(おそらく地元民)に囲まれながら、好き放題に可愛がられていた。
「あっはあ。君は海に入らないのかい?」
背後から声が聞こえた。
反射的に振り返ると、いつの間にか背後に見知らぬ人物が立っていた。
全身を覆う薄手の黒いローブに、黒いとんがり帽子。触媒と思われる長い木の杖を持った、男性かも女性かもわからぬ怪しい人間。
砂浜を歩いてきたにも拘わらず足音一つ立てずに背後を取る。そんなことをする人間をアロットは睨みつけた。
「誰だ……?」
「ン? そうか、仕方ないな。声が一番忘れやすいとはいうからね」
「あ?」
とんがり帽子のツバを細長い指で上げて見せる。
影から覗くエメラルドの瞳。にやりと笑う顔は大人らしさの中に幼さも感じられる、まるで妖精のような顔立ち。
なによりも特徴的なのはその尖った耳だった。
「イルミーナっ」
「久しぶりだね。アロッティ」
こんなところで何をしている。
そう言おうとして、それ以上に気になったことがあった。
「なんだそのふざけた格好は」
「えぇ? まさに魔術使いっぽい恰好だと思わないかい?」
「いいや?」
「えぇ?」
「弓はどうした」
「置いてきたよ。アレはどうしても目立ってしまうからね」
「その恰好も充分目立つだろ」
「えぇ?」
イルミーナはわざとらしく驚いて見せる。
何故、そんな恰好をしているのかわからないが、一先ずこれ以上は深堀りしないことにした。
どうせ大した理由でもないだろう。今は他に聞きたいことがある。
「イルミーナ。あんたに聞きたいことがある」
「いいよ。お姉さんがなんでも教えてあげるから」
「言ったな?」
「…………ごめん嘘。なんでもは教えられないや」
「なら答えられることだけ教えてくれ、答えたくないこと場合は答えなくていい」
冷静に提案するアロットに、イルミーナは目を丸くした。
「あら、何が何でも聞き出すって感じではないんだね」
「喋られることだけ教えてくれればいい。どうせ旅には関係のないことだ」
「そうかい。なら何から知りたい?」
イルミーナはアロットの横に立つと二人で海を眺めながら話した。
お互いに顔を見合わせることもしない。
問い詰めたいわけではない。それとない問いにそれとなく答えてくれればいいだけのこと。
アロットはまだ冷静だった。
「まず、あんたは一体何歳なんだ?」
「そんなことかい? ン。正確な数は忘れてしまったけれど、まあ千は超えてないくらいかな」
「なるほど、とりあえず俺達の想像で及ばないくらいには長生きということか」
「あっはあ。信じてしまうんだ」
「もうあり得ないことは散々見てきたからな。逆に清々しい」
「不老不死の魔術かもよ?」
「……そこまで魔術を極めた奴が魔術を捨てる超自然派なんて奴になるとは思えない」
そういう生物だと割り切った方がまだ現実的に思えた。この世にはまだ知らないことが多すぎる。
ヴェルナトの遺跡で起きたこと。それも『エリュシオン』と『イルミーナ』という言葉に反応したあの遺跡のことを問いたいが、まだ公にされていない情報でもある。
腐っても末端の魔導師であるアロットは、自分からその情報を開示するつもりはなかった。
遺跡の調査自体はアロットの本分ではない。
なら何を聞くべきか。
「その長い時間を何して生きてきたんだ?」
「何して。って、冒険者として生きてきたよ」
「そうやって街中では姿を隠してか」
「そ。まあ、ずっと隠れているのもつまらないし、時々顔を出していたりするかな」
「あんたも魔力がないんだろ?」
「そうだね」
あっさりとイルミーナは認める。
この世界の異端──魔力を持たぬ者。
それが騎士以外にも存在することは大きな発見だが想像できたことだ。
超自然派などと言って弓を使い、今はこうしてわざとらしく触媒らしき杖を持っている。
「なら、魔力を持たない人間は他にもいるのか?」
「いないよ。この世界にはね」
きっぱりと断言するイルミーナの顔を思わず横目に見た。
「これはね断言できるよ」
「何故だ?」
「本質が違うから」
「本質?」
「悪いけどここまでしか教えられないよ」
「……何故だ」
「聞くべき人が他にいるから」
「…………わかった」
聞くべき人……それはきっとアロットも出会った筈の人物のこと。
一先ずは魔力を持たない人間は他に存在しないという答えを咀嚼する。
本質が違う。
もしかしたら魔力を持たない人間は──何か、理由があって生まれているのだろうか。
憶測にしかならない考えを、今は頭の奥底に沈めておく。
「なら、もう一つ聞かせてくれ」
「なんだい」
「仮に千年近く生きているとしたら、今までにも騎士に会ったことはあるはずだ」
「それはもちろん」
「なら、あんたは騎士についてどこまで知っている?」
「騎士についてねぇ……」
そこでイルミーナは背伸びをした。
「それにしても、喉が渇いたね」
「は?」
「いや、こんな格好をしているもんだから暑くてね」
「じゃあ脱げばいいだろ」
「えっちだなぁ」
挑発的な顔を見て思わず舌打ちをした。
話をはぐらかされている気がしてイライラしてきたが、とりあえず持っていた水筒を渡すことにする。
「ありがとうね」
「……そういえば、あんたは飲み水はどうしてるんだ?」
「その都度調達してるよ。街よりも森とかの方が私は生きやすいね」
「大変だな」
旅を終えたフェリシアもそんな暮らしになるのだろうか。
イルミーナは喉を鳴らしながら勢いよく水を飲み干した。
「さて、話の続きといこうか」
空になった水筒を渡されると、翠玉の瞳を目が合った。




