プロローグ
「先生! アロット君!」
揺れる獣車の荷台の上で、フェリシアに体を揺すられて起こされる。
目を開けるときらきらと輝く蒼い瞳が必死に顔を覗いてきていて、少しおかしくなって思わず笑みがこぼれた。
「どうした?」
「あ、あれ! あれが海ですか!?」
フェリシアが指を差した先。
広大な青が世界を覆いつくしていた。
ヴェルナトからラディアメルクへ向かう山岳地帯を抜ける道のりは、特にその景色を一望できて絶景とも呼べる。
日の光を反射し煌めく水面にフェリシアもまた蒼い瞳を輝かせていた。
「そうだな。それと、あれが南方魔術都市ラディアメルク」
眼下に広がる低い建物の街並み。
グランクレイグやローインクレーと異なり、魔術木造の建造が多い街並み。
魔術で接合した木の建物は潮風に耐えるべく魔術で補強されている。
その街の中で一際大きな魔術建造物が魔導師団の南方支部教会になる。
そんな街並みよりもフェリシアは広大な海に目を奪われていた。
「すごい……」
山を下りやがて獣車は広い緑で覆われた平野に出る。
木々の少ないなだらかな平原に整備された街道。
標高が低い場所に出ると、ラディアメルクの低い外壁の向こうに海が隠れてしまった。
「ラディアメルクってどういう街なんですか?
「一言でいえば『自由の街』か。俺はあんまりいい印象はないけれどな」
「そうなんですか?」
「生真面目な人間には向かない街だな」
「生真面目……?」
「そこは別に疑問に思わなくていいだろ」
はて? と、首を傾げるフェリシアをアロットは睨みつけた。
むしろ不真面目と思わていたのだろうか。アロットは少し腑に落ちない顔をして見せる。
「冗談ですよ。アロットくんが真面目な方なのはわかってますから」
「そうだろ」
「ヴェルナトで同じ話を五日間したのは本当に腹が立ちましたが」
「あれも鍛錬の一つだ。これからの旅はもっと過酷になっていくからな、精神的なストレスへの耐性を得る為にも必要なことだった」
「……そう、なんですか?」
「いや、ここからも別に険しい道とかはないな。霊峰以外は」
「アロット君?」
今度はフェリシアに睨み返され、アロットは明後日の方を向いて誤魔化した。
「アロット君って、適当なことを言うときはよく喋るようになりますよね」
「そんなわけ」
「まるで嘘をそれっぽく言い聞かせようとしてる感じがあります」
「……そんなわけ」
「あります」
果たしてそうだっただろうか。
アロットは思い返すフリをして空を見上げた。
ガタガタと、獣車に揺られながら雲一つない青空を見上げた。
「海の匂いだな」
潮風が鼻を擽り、ぽつりと呟いた。
その言葉にフェリシアも目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。
静かに、街道を走る車輪と蹄の音が鳴り響く。
その時だった。
「……歌?」
アロットの耳に何か……人の声のようなものが聞こえた。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
フェリシアには聞こえなかったようだ。
騒がしい車輪の音で歌が聞こえてくるわけもない。
きっと気のせいだろう。
「街の中はどうなってるんでしょうね」
「それは……まあ、街に入ってからのお楽しみだな」
「ふふ、そうですね」
笑顔を輝かせるフェリシアを見てアロットも笑みがこぼれた。
現在、アロットの拘束魔術はフェリシアに掛けていない。
いや、正確に言えば……
(フェリシアの身体は……俺の魔術を無効化している)
ヴェルナトでフェリシアの剣を受けたとき、白き異形の時と同じ感覚にアロットは寒気がした。
反射的に拘束魔術でフェリシアを抑えようとしたが、その魔術が白き異形と同じように無効化された。
もしも……もしも、フェリシアが白き異形のようになったら。
そんなことはあり得ないかもしれない。
だが、あり得ないことはもう既に散々見てきた。
「……なにがあっても不思議じゃない」
自分に言い聞かせるように言葉を呟いた。
「何か言いました?」
「いや、今度は面倒ごとにならなきゃいいなって」
「あはは、確かにちょっとゆっくりしたいかもしれませんね」
白き異形、ガーゴイル、ドラゴン……ここまで来るのに散々面倒ごとを相手した気がする。
それが巡礼の騎士の役目だと言えばそうなのだろうが、正直巡礼の騎士の相手にしては度が過ぎるというものだ。
所詮、騎士と言うのは魔力のない者が行うパフォーマンスでしかないのに。
「なにもなければいいが……」
改めて、アロットは獣車に揺られながら呟いた。




