第10話 原初の災厄
──それは山のようだった。
──それは翼を広げ、空を飲み込んだ。
──それは槍のように尖った牙と、剣のように鋭い爪を持ち。
──それは全てを弾く堅牢な鱗を身に纏い。
──それは全てを焼き尽くす炎を吐く。
────それは、原初の災厄である。
「…………ありえないだろ」
頭の中に吟遊詩人の詩が流れた。
この大陸では有名な詩。
原初の災厄、恐怖の根源、真なる支配者、無垢なる慈悲なき力……数多の詩人がその存在をあらゆる言葉で表現する。
だが、一度その姿を見たことがある者にはどれも意味のないものである。
ただその名を口にするだけで、脅威を表すのには充分だった。
「ドラゴン……ッ」
ドラゴン。最強のモンスターとも呼ばれる異形が部屋の中に佇んでいた。
血のように赤黒い大きな鱗、軽く振るだけで空気の裂ける音を鳴らす太い尻尾。
雄大に広げられた大きな翼は、それだけで見る者に次元の違う存在感を与える。
紅玉のような瞳の奥の縦に割れた瞳孔は、深淵への入り口のようにも見えた。
何よりもこの場に不釣り合いな赤い巨躯は、依然として部屋の中央に佇んでいた。
「皆さん撤退しましょう」
最後尾にいたエリオットが声を抑えて提案する。
「何故こんなところにドラゴンが居るのかはわかりませんが、勝てる相手ではありません。まだこちらに気づいていないうちに──」
「気づいていないわけないでしょう」
エリオットの言葉を遮ってヴェーラが踏み出した。
彼女の細い手足が震えている。だが、その表情に見えるのは怯えなどではない。
「あれだけうるさく扉を開けて、目障りな明かりを散らされて。気づいていないわけないじゃない」
「戦うんですね」
剣を構えたフェリシアがヴェーラの隣に立つ。
フェリシアの方はまるで感情が揺らいでいない。
もちろん、ドラゴンの話はしたことはある。
伝説、力の象徴……最強のモンスターとして一般的に語られている範囲で説明をしたことがある。
フェリシアの首筋に一つ汗が伝う。
それでも彼女は笑みを見せた。
「あんたは怖くないの?」
「怖いですよ。ただ、それ以上に──」
銀の刀身に冷たい蒼い光を乗せる。
「私の剣が通用するのか試してみたいです」
剣を抜いた状態のフェリシアが笑ったのを初めて見たかもしれない。
巡礼の騎士は各地を巡り、その脅威を取り除き人々を守るとされている。
騎士の威厳を魅せる為──そんな舞台装置の如くモンスターの討伐を任される。
それはあくまでこの旅の設定でしかない。
本当に人々の脅威になるモンスターがいれば、それは魔導師団で対応しなければならないはずだ。
(白き異形のことを思うと今更か……)
今、騎士の使命を背負った少女は剣を構える。
旅の使命を果たす為の相手にこれ程ふさわしいモンスターはいない。
「構いませんね? 先生」
顔を後ろに向けずに確認を取ってくる。
気負いをしているわけではない。
どこかこの状況を楽しんでいるようにも見える。
二人の少女が覚悟を決めているのだからアロットも引き下がるわけには行かなかった。
ただ、深い溜め息は出た。
「……アロットさん。あなたも戦うつもりですか?」
「随行魔導師なんでな。騎士が戦うなら逃げるわけには行かない」
「あなたは……あなたは何故、そんなに落ち着いているんですか……?」
少なくともエリオットには落ち着いて見えるのだろうが、アロットもドラゴンに対して恐怖しているのは間違いない。
ただそれ以上に意地があった。
この場でただ一人の魔導師だから、フェリシアの随行魔導師だから、自分よりも幼い女の子二人が立ち向かおうとしているから。
「……まあ、アレに背を向けるほうが怖いだろ」
それっぽい言葉をアロットは選んだ。
ドラゴンは既に顔をこちらに向けている。
今背中を見せればその背中から焼かれる未来が見えていた。
「それは……そうですね」
エリオットも腹を括る。
ここまで飄々としていた笑顔を見せていたエリオットだがドラゴンを前にして余裕が消えていた。
普通はそうなのだ。
ここに居る天才少女と巡礼の騎士と随行魔導師がおかしいだけなのだ。
「僕は後方支援に徹しますよ」
「ああ、任せた」
エリオットが使える魔術をアロットは把握していないが、それでも身体強化の魔術を使えたということもあり補助には長けているはずだ。
「作戦はあるのかヴェーラ」
「ないわ。頭使って戦うように見える?」
隊列の先頭で腕を組んで仁王立ちしたヴェーラが顔をこちらに向ける。
その表情からは既にドラゴンに対する恐れはない。覚悟を決めた赤い瞳は不敵な笑みを浮かべていた。
「一応聞くが、フェリシアは?」
「剣の間合いに入ります。斬ります」
「……どうやって間合いに入るつもりだ?」
「走ります」
「わかった。大丈夫だ」
この二人はとりあえず全力をぶつけることしか考えていないらしい。
「あんたはあるの?」
「それは────」
刹那、ドラゴンが叫んだ。
迷宮が崩れてしまうのではないかと思うほどの咆哮が四人の耳を劈く。
時間切れ。耳元で死神がそう呟いたかのように錯覚した。
ドラゴンが口を開き牙を見せる。
煉獄の窯の蓋が──開いた。
「全員、後ろに隠れなさい!」
業火────原初の災厄の炎が四人に襲い掛かった。




