エピローグ
物語には始まりがあり、終わりもある。
彼女は人の死に方に憧れていた。
エルフの寿命は千年を超える。だが、千年を生きられるかは保証されていない。
華奢で繊細な身体は、病気や外傷によって死に至ることも少なくない。
エルフに……悔いのない死に方はあるのだろうか。
「あなたは人と関わりすぎたのよイルミーナ」
穏やかな川のせせらぎが耳を撫でる森の中。
木々の隙間から差す陽の光は、鬱陶しくも心地よかった。
「それはエルもそうでしょう?」
エルと呼ばれたエルフは弓を片手に空を見上げていた。
碧眼は閉じられ、腰まで届くような長い髪をしていて、美形ばかりのエルフの中でも群を抜いて美しいと言われる容姿を持っていた。
容姿だけではなく、弓の腕も他を寄せ付けないほどの実力の持ち主である。
音もなく性格に相手の急所を射抜く。
やられた相手は自らの死に気づくこともなく倒れこむ様は、まるで眠らせているようだった。
「私はあなたみたいにお喋りじゃないのよ」
「充分お喋りだと思うけれど?」
「私がよく喋るのはあなたにだけよ」
「プロポーズ? その口説き言葉はどこで覚えたのかな」
「違うわ。どうせ死ぬ相手と喋るつもりがないのよ。イルは友達だから」
聖母のような笑みを浮かべて物騒なことを言うエルに、イルミーナは顔が引き攣ってしまう。
こんな顔をしていながら、心の内では弓を極めることしか考えていないのだ。
狩りでは満足できなくなり、命を懸けることに楽しみを見つけた異端者だ。
「……里の皆は違っていうの?」
「だって私を追い出したじゃない」
「まあ、やったことがやったことだからね」
里一番の弓撃ちと勝負していたエルは、ついにはお互いの命を賭け始めた。
その結果、同胞殺しとしてエルは追放された。
「それで? 里の皆はイルの悩みを聞いてくれたの?」
「何言ってんだこいつ。って目で見られたよ」
「あはっ。そりゃそうよね」
無邪気に笑うエルを見てイルミーナはため息をついた。
イルミーナもまた里を追放された異端のエルフだった。
隠れて里を抜けては人間と関わり、それを危険視した族長に追い出された。
「大往生っていうんだってさ。病気や怪我とかじゃなくて、寿命を全うして老衰で死ぬこと」
「確かに、その言葉は私達からは程遠いかもしれないわね」
そう言ってエルは靴を脱いで川に足を入れる。
水の冷たさに小さな悲鳴を上げながら、楽しそうに笑っている。
森の中から小鳥の囀る声が聞こえてくる。
「だったら私と勝負しない?」
「断る。まだ死にたくないからね」
「えー?」
エルは子供の用に拗ねて頬を膨らませた。
冗談ではない。確実にどちらかが死ぬまで勝負は付かない──付ける気もないのはわかっている。
そして、エルに勝てる者などいない。
「悔いのない死に方か……」
パシャパシャと跳ねていた足を止め、エルはぽつりと呟いた。
「私は戦いの中で死にたいな」
この女はイカレている。
イルミーナはドン引きした顔でエルを見ていた。
ここまで闘争心に飢えたエルフは他にはいないが、エルフと言う種族は自尊心が高い。
己の弓への過剰な自信がエルを闘争へと駆り立てるのだろう。
だからこそ、エルは人間側からのある提案を受け入れていた。
「だから旅に同行するって?」
「ふふ、そうだよ」
笑みを浮かべ、開かれた翠玉の瞳は笑っていない。
獲物を狩る時の笑みをしていた。
「世界を救う英雄様の旅ですって」
「それもよくわからないよね。世界を救うって」
まるで世界が危機に陥っているかのような言い方だが、そんなことは聞いたこともない。
人間がでっち上げた嘘としか思えない。
人が人をそそのかして英雄を仕立て上げる茶番に過ぎないのだと。
「そこはどうでもいいのよ。私はもっと強い者と戦いたいから」
「ドワーフもいるんでしょう?」
「ええ、そうね」
ドワーフはエルフと長く対立してきた種族だ。
お互いに相いれない存在。本能的に拒絶する間柄ではあるが、エルはそんなことも気にしていない様子だ。
(むしろ、死合たいとでも思ってるんだろうな)
ドワーフは華奢なエルフと違って屈強な身体を持つ。
通常のエルフからすれば醜いと言われるドワーフの身体だが、この女からすれば闘争本能を刺激するだけでしかないのだろう。
「呆れた」
「いつもそうじゃないかしら」
「今回は特に呆れたよ」
イルミーナは立ち上がると、再び自分の旅に戻ろうとする。
おそらくこの女とはもう会うことがないだろう。
朧気ながら、そんな気がしていた。
「待ってイルミーナ」
「何?」
「これを受け取って頂戴」
エルは首に掛けていた木の札をイルミーナに投げる。
小さな木の札の裏面には彼女の名前が書かれていて、それを見たイルミーナは一言呟いた。
「……君は本当に弓矢以外を作るのが下手だね」
「べ、別にいいでしょ!」
「それで、これはなんなの?」
「人間の冒険者の風習ですって」
「冒険者の?」
人間と交流の多いイルミーナも冒険者は知っていた。
自分の命を賭けることでしか生きられないろくでなし。
「本当は死んだ後に誰かに回収して貰って故郷に届けるらしいんだけど、先にイルミーナが持っておいてくれない?」
「死ぬ気なの?」
「そうかもしれないわ」
イルミーナの問いにエルは楽しそうに笑った。
「戦いの中で死ねたら本望じゃない?」
「…………いや? そうでもないと思う」
「あはっ。やっぱりそうかー」
同意を得られなくてもエルは心底楽しそうに笑った。
この女が死ぬとは到底思えない。
とはいえ、この女から何かを頼まれるのも初めてのことだった。
阿保らしい。そう思いながらも、イルミーナはポケットにしまい込んだ。
「じゃあ、もう行くから」
「ええ、バイバイ。イルミーナ」
「帰ってきたらコレは返すから」
「ええ、それでいいわ」
帰り際、エルは小さく呟いた。
「魔物……か」
その横顔は恋をする乙女のようにも見えた。
これからの戦いの相手を妄想しているのだろう。
きっとその旅は、くだらない英雄計画な気がしてならないが、楽しそうに待ち望んでいる彼女に水を差すようなこともしたくはない。
「さようなら。エリュシオン」
もう一度、彼女の名前を読んでその場を後にした。
──彼女とそうやって話したのは今から何年前だっただろうか。
ふと、イルミーナは木の上で目を覚ました。
木漏れ日の心地よさにうたた寝をしてしまったようだ。
「懐かしい夢……」
胸元を触る。もう、あのタグの感触はそこにはない。
鬱陶しくも思っていたが、いざなくなると寂しいものだった。
同じ異端同士で分かり合えたかというとそうでもなかったが、会わなきゃ会わないで落ち着かなかった。
あの時──エルにはもう会えないと思った時、本当は引き止めようと思った
それでも、彼女が悔いのない死に方を求めているとしたら、イルミーナには止める術はなかった。
「あっ」
と、イルミーナが何かを思い出した。
記憶を遡り、頭の中を確認する。
「報酬貰い損ねた……」
アロット達から護衛の報酬を貰っていないことに気づいた。
「やっぱり、格好つけるのはよくないな」
頭を抱えながら、イルミーナは空を見上げた。
雲一つない快晴は、あの時のように青かった。




