第9話 エリュシオン
「それじゃあここでお別れだね」
トルメリア街道を抜けて山を降りたところでイルミーナが言うと、前を歩いていたフェリシアとアロットは振り返った。
この先の山道は二手に別れる。
片方はヴェルナト、もう片方はラディアメルク方面に向かう道だ。
「え、イルミーナさんはヴェルナトには行かないんですか?」
「うん。わたしはあそこはあまり好きじゃないからね」
「そ、そうなんですか?」
「別に悪いところじゃないんだけどね。ただわたしが苦手なだけだよ」
軽く手を振って別れの挨拶もしないままイルミーナは立ち去ろうとする。
それをアロットが止めた。
「待て」
「どうしたのアロッティ?」
「ヴェルナトには古い遺跡がある。もし、イルミーナが──」
「嫌だよ」
アロットの提案を最後まで聞かずにイルミーナは掌を返した。
「苦手なんだよね。ああいう暗くてじめじめしたところ。……嫌いっていうか嫌いな奴がいそうっていうか」
「そうか」
「あら、あっさり。引き止めないんだね」
「別に。本当に古い言葉を知ってたら役に立つ──と思ったが……アンタが適当に言ってる可能性もあるから。やっぱりどっちでもいい」
「なんだ。ただ美女とのお別れが寂しかっただけか」
「黙れ」
イルミーナが揶揄うように微笑むと、アロットは追い払うように手を払った。
その様子がおかしくてイルミーナは小さく笑う。
「私はイルミーナさんとお別れするのは寂しいですね」
「あらあら、可愛いなフェリたんは。ハグしてしまおう」
「えっ、えっ」
イルミーナはフェリシアに近づくと言葉通りに抱きしめた。
小さな胸の中でフェリシアは戸惑いながら、顔に何か硬いものが当たる感触が会った。
それに気づいたイルミーナがフェリシアを胸から放す。
「ああ、ごめん。痛かった?」
「いえ、首から何か下げてたんですね」
「そ。これはね、昔は冒険者がみーんな首から掛けてたんだけどね。古い風習だからいつの間にかなくなったんだ」
「風習、ですか?」
イルミーナは胸元からひもで括りつけられた小さな木の板を取り出した。
「冒険者が何故、冒険者と呼ばれるか知ってる?」
「いえ、わかりません」
「元々は『冒険者』というのは自分の命を懸けることでしかその日を生きられない奴らへの──命知らずへの皮肉の言葉なのさ」
フェリシアがアロットの方を見る。
その話はアロットも噂話で聞いたことがあるが、あくまで冒険者を馬鹿にする魔導師達から聞いたことがあるだけだ。
冒険者自身が自分たちのことを言うのは聞いたことがない。
アロットは頷いて、イルミーナが言うのは嘘じゃないとフェリシアに伝える。
「それでこれはね。冒険者たちが自分が生きた証を残すために胸から下げるんだよ」
「生きた証……」
「そう。名前を刻んで胸に下げることで、魂が宿るとされている」
イルミーナは木の札を握った手を胸に当てると、もう片方の手をフェリシアの胸に当てた。
小さな命の証が、大きく脈打つのをお互いに感じていた。
「ここに吊るすことで魂が宿り、たとえ誰にも知られず死んで朽ちたとしても、どこかの誰かがこのタグを見つけて皆の元に連れて帰ってくれる」
イルミーナは優しく語り掛ける。
その表情は今まで見たことがないほどに安らかで、自愛に満ちた微笑みで……どこか悲しそうにも見えた。
「木の札も朽ちるだろ」
「あっはぁ。人の心がないねアロッティは」
アロットの容赦ない言葉にもイルミーナは怒らずに笑って見せた。
くしゃり。と、フェリシアの頭を撫でたイルミーナは、首に下げていたタグを外してフェリシアに渡す。
「イルミーナさん?」
「フェリたんにあげる」
「えっ?」
「古い風習だからね。そろそろ捨てようかなって思ってたんだけど、なんかただ捨てるのもなんかね?」
「今の話聞いて受け取れる奴がいるのか?」
「ふふっ。確かに、重いかもね」
アロットがジト目で言うと、イルミーナはとびっきりの笑顔を見せて笑った。
アロットには何が面白くて笑っているのかわからない。
「まあでも、持っててもいいと思うよ。ここに刻まれてる名前は古い言葉でもあるからね」
「『イルミーナ』ではないんですか?」
裏面を見てフェリシアが問う。アロットにも見たことがない文字で書かれている。
冷たい風が吹く。
イルミーナは風に靡く金色の髪を押さえながら呟いた。
「エリュシオン──『英雄の眠る場所』って意味だよ」
「英雄の眠る場所。この名前は…………」
「わたしが最も尊敬してた人の名前だよ」
「ますます受け取れないだろ」
イルミーナとフェリシアが良い雰囲気で話しているが、アロットはツッコミを入れざるを得なかった。
これまでの話からすれば、あのタグは言わば大切な人の形見である。
そんなものを急に渡されても困るだけだ。
「この人が生きてたら返してほしいんだ」
「形見ってわけじゃないのか」
「さあ? 旅立つときに渡されたんだよ。わたしは探しに来たけど見つけられなかったからもういいかなって」
「いいのかよ」
「いいよ。でも、旅が終わったら返してね」
イルミーナはフェリシアの首にタグを掛ける。
「つまり、絶対に生きて旅を終えること。だよ?」
「っ──はい!」
そう言われて、アロットとフェリシアはタグを託された意味を理解した。
イルミーナなりの激励なのだろう。
そして、それだけ大切なものを託すということは、生きて帰ってくると信じているということを示している。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「本当にいいのか?」
「寂しがり屋だなアロッティは」
「そうじゃない。いや、別にいい」
引き止めようとしたアロットに笑みを向けて、イルミーナは再度二人に手を振って別れを告げる。
雲の隙間から光が差すと、風に靡く金色の髪が煌めいていた。
背中に背負う弓が翼のように見えて、どこか幻想的でこのままいなくなってしまうかのようにも思えた。
別れ道を、その背中が見えなくなるまで二人は見送った。
「本当にいいのかよ……」
その背中を眺めて呟くと、フェリシアが顔を伺ってくる。
「アロット君?」
「いや、報酬貰わなくていいのかって」
「えっ、あっ!」
護衛の報酬は何も渡していない。
それについて言おうとしたのだが。
「まあ、本人がいいって言うならいいか」
「いいんですか!? アロット君!?」
「どうせまた会うだろ」
引き止めるべきか悩んでいるフェリシアの腕を掴んで、半ば強引にアロットは歩きだした。




