プロローグ
西方魔術都市グランクレイグを取り囲む高い外壁の上。
魔導師団総師団長ユリウス・アルヴェインは冷たい風に煽られながら、魔導師団のコートを靡かせていた。
眼下に広がるグランクレイグの街並みはいつ見ても窮屈そうだが、その景色がたまらなく好きで微笑みを浮かべる。
魔導師団本部とグランクレイグ魔術学院という、外壁よりも高くそびえ立つ二つの建物の影に隠れた街の裏側。
背の高い家が密集して建ち並び、人々がその狭い路地裏を行き交う。
運び屋たちは小さな翼獣を使役し、風の魔術で誘導してベランダから手紙を届ける。
華やかさには欠けるが、この窮屈そうなところがグランクレイグらしくてユリウスは好きだった。
「こんなところで何をしているんですか?」
外壁の上にもう一人、女性魔導師が歩いてやってきた。
長い赤髪を風に靡かせるその女性を見て、ユリウスは目を丸くした。
「アルテ一等魔導師……? 何故ここに?」
本来ならばローインクレーに居るはずの旧友の姿を見て、ユリウスは少し口角が引き攣った。
「白き異形の報告書を持ってきました。ユリウス総師団長殿」
「そうか……。ありがとう」
昔馴染みであるのによそよそしい態度のアルテに戸惑いつつも、ユリウスも総師団長として部下に接することにした。
魔術学院時代からの旧友であり、その頃のユリウスを知る人の中でも特に生意気だった頃を知っている人間である。
「はぁ、昔の話し方の方がいいかしら?」
「……そうして貰えると助かるよ」
「仕方ないわね」
溜め息をついたアルテは改めてリラックスした様子で話し始める。
どうせここにはユリウスとアルテの二人しかいないのだ。上司と部下の関係だろうと気にする者はいない。
ユリウスは乾いた笑いを浮かべながら、アルテから受け取った報告書を読み始める。
魔術による不可視の結界で風除けを張ると、一枚一枚を読み進めた。
「おおよそ、ポルトラック殿から事前に聞いた通りか。既に特等魔導師を何人か捜索に回している……が?」
報告書は通信魔術でバルファローネから大雑把に話を聞いた通りだが、最後の方に付け足したかのような一文を見つけた。
その内容はアロット・クランツがローインクレーを発つ前に報告されたものだ。
「これは?」
「アロットがグランクレイグを出発する日、巡礼の騎士の旅立ちの日に、空を飛ぶ大きな白い翼獣を見つけたそうなのよ」
「それが今回の白き異形、もしくは同種の可能性があるということかい」
「アロットも『寝ぼけいたから曖昧だった』とは言ってたけど、一応の報告はしておくことにしたわ。あの子は本当に……」
アルテは少し呆れながら風に靡く赤髪を手で押さえた。
聞けばアロットは巡礼の騎士の旅立ちの日という大事な日に、そんなことも忘れてのんびり昼寝をしていたのだという。
アルテにとって教え子と言える程の関係ではないが、昔は面倒をよく見ていたこともある。
真面目な人間だと思っていたことへの失望が少しだけあった。
「むしろ変に緊張しないところが彼の長所だと思うけどね」
「そうかしら、せめてもうちょっとフェリシアちゃんと会話して置くべきじゃないの?」
「それは……」
そうかもしれない。
自分が緊張していなくても、巡礼の騎士であるフェリシアの方は変に気負っていた様子があった。
ならば随行魔導師であるアロットはフェリシアの緊張を解いてあげるべきだった。
過ぎたことなのでユリウスは誤魔化すように再び報告書に目を通した。
「雲よりも高く飛ぶ白い翼獣か……」
「それも曖昧だけどね。アロットの記憶では今回の白き異形のように大剣のような尾は持っていなかったらしいわ」
「だが、魔力を持たない、魔術を使えない生き物が雲よりも高く飛ぶことなんて」
「できるわけがないわね」
ユリウスの言葉に食い入るようにアルテは否定する。
運び屋達の飼い慣らす翼獣のように、風の魔術による補助もなしにそんな高さまで飛べるわけがない。
魔術を使うモンスターも少なからずいるが、そんな高さまで飛ぶ程の魔力があるはずもない。
そもそもそれ程の魔力があれば雲よりも高く飛ぶ必要なんてないはずだ。殆どの外敵を返り討ちに出来る程の脅威を備えているだろう。
だが、ユリウスは一つの可能性が頭に過ぎる。
「あるいは……魔力がないから、そこまで飛べるのか」
「え?」
外壁の裏側──グランクレイグ西方には果てしない荒野が広がっていた。
冷たい風の吹き抜ける枯れた大地。
生気を失った細い木々が散りばめられ、ひび割れた土は雨が降ろうとも潤うことなどない。
岩の陰で小さく光る紫は強い魔力の残滓。
荒野の手前は今も魔術士たちの修練場となっているが、その奥は強力なモンスターも徘徊している為立ち入り禁止区域である。
西風荒野……またの名を────
「塔の墓場」
荒野の奥に広がる景色を見てユリウスが呟いた。
立ち入り禁止区域にあるのは無数の巨大な塔の残骸。
塔……だったものというべきか、今となっては瓦礫の山にしか見えない過去の産物の数々が横たわっている。
「僕らの祖先、偉大なる大地の魔術師たちが天を目指し、魔術によって高い塔を伸ばした。けれど、誰一人として天へ届いた者はいなかった」
グランクレイグの魔術学院で教わる昔話。
ユリウスは真剣そうに荒野を見つめているが、アルテはこの昔話を馬鹿な事としか思っていない。
「急にどうしたの?」
「ある者の塔は雲を超えたが、そのあたりで不自然に崩れた」
「らしいわね。空白の章を挟んで更に昔の話とされているから、殆どが憶測にすぎない話だけど」
「…………雲の上に──」
ユリウスは空を見上げて呟いた。
「魔力を拒絶するモノが居るとしたら」
そうだとしたら、魔力のないものだけが雲の上にたどり着ける。
雲の上を飛べるのだとしたら。
「あったら、なんなの?」
「……なんなんだろうね?」
小さく笑いながらユリウスが振り返る。
風除けの魔術を解き、銀色の髪が風に靡いた。
意味深な表情にアルテは目を丸くし、少しだけ彼のことが心配になる。
「どうかしたの、ユリウス?」
「別になんでもないよ。昔馴染みと話すとさ、ついくだらないことを言いたくなるんだ」
「そう」
それ以上の詮索はしないように興味なさげにアルテは呟いた。
「興味があるのならあなたが目指してみたら? 現代でそんなことを出来るとすればあなたしかいないでしょう?」
「やらないよ。無駄に高いだけの塔を建ててなんになるんだい?」
「総師団長としての威厳を示すためでしょ?」
「そんなもので示せると思わないよ。……というか、今は威厳がないのかい?」
ユリウスは魔導師団の制服のボタンを締めなおして言う。
「魔術は人々を守る為に使うものさ。自分勝手に使うわけにはいかないだろ」
迷いのない瞳。
まるで子供のような純粋な青い瞳を見て、アルテは困ったように笑った。
「じゃあ、私は帰るから」
「なんだ、せっかくだからもう少し話そうじゃないか。君とこうして話すのもいつ以来──」
「悪い人ですねぇ。ユリウス様?」
含みのある笑みを見せるアルテを見て、ユリウスの顔が引き攣った。
「冗談ですよ。女性の口説き方は相変わらず成長してませんね」
「まるで僕がいつも女性を口説いてたみたいな言い方はやめてくれないか」
「あら? そうではありませんでしたか?」
「アルテ。君が言うと皆信じるからやめてくれないか?」
「ふふ、失礼します」
意地悪そうに笑いながらアルテが立ち去る。
ため息を一つ吐いて、ユリウスは頭を掻いた。
仕事が残っているのですぐに帰ろうと思ったところで、もう一度だけ荒野を振り返った。
果てしなく広がる荒野……その果ての果てには魔術工房が一つある。
ここからでは視認できないほど、荒野の──この大陸の最西端。
そこには全ての魔術を究めた人間が居る。
魔王。
その時代でただ一人にしか名乗れない称号。
騎士を任命するのも魔王だというのに、魔導師団とは関係を断っている為、魔王自身が表に出ることはまずない。
ユリウスも工房の前までは行ったことがあるが、実際に会ったことはなかった。
「……あなたはそこで何をしていますか」
全ての魔術を究めた者ならば、知っているのだろうか。
彼方から届く冷たい風は、やはり何も教えてはくれなかった。




