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白い象牙の塔さながらに

 賢者と呼ばれる青年がいた。


 青年の名はエストワール……燃え立つような赤髪の、それは美しい人外だった。腰まで伸びたさらさらの赤毛を背に流し、ふだんは一日読書をしていた。そうして屋敷を相談者たちが訪れると、図書館もかくやと思われる本の山から目を上げて、にこやかに知恵を授けるのだ。


 彼は本を愛していた。恋も愛も必要なかった。ただ切れ長の赤い瞳はページをたどり、細く長い指先はそっと文字をなぞって、それで芯から満ち足りていた。


「愛しています」「結婚してください」……二百年の齢を重ね、そう言われたことは数知れず、エストワールはどれにもって首をふり、静かで穏やかな賢者生活を続けていた。


 そんな彼に、一人の姫が恋をした。姫の名はリリス。リリスの愛はねばっこかった。なにかとねちねち言い寄って、「わらわと結ばれればお前は次期国王じゃ」とか、賢者にとっては一つも魅力的ではない提案ばかり押しつけてきた。


 ある日いきなりお忍びで屋敷に押しかけられ、胸もあらわな衣服であからさまに誘われて……読書の邪魔をされたエストワールは芯から頭に血が昇り、とうとうきっぱり吐き捨てた。


「お帰りください。正直わたしはあなたのような、本の方から読まれることを拒否するようなご婦人には、かけらも興味が持てないのです……わたしの恋人は本なのです、この屋敷に数ある本以外にないのです!」


 姫は言葉を失って、その白いほおが火のついたように赤くなり、それからまるで幽霊みたいに青ざめて、リリスはあまりの言いぐさに物も言えずに帰っていった。


 それっきり、姫は訪ねて来なくなった。城から使いも来なかった。気位の高い姫のことだ、このままで済むとはとうてい思えぬが……そう案じつつ、エストワールは相変わらず本を友として過ごしていた。


 果たしてその半年後、城から多くの兵士たちがやって来た。エストワールはきたならしい罪人のように捕らえられ、縄をうたれて別な図書館に移された。


『自らを賢者と偽り、善良な市民をたぶらかした罪』……適当な理由を並べられ、人外の青年は『この館での終身刑』を言い渡された。


(すまん、こうせねば今度は我らの首が飛ぶのだ)

(命令を下した姫本人が亡くなれば、すぐさまあなたを解放する……)


 そう目だけで必死に伝えられ、賢者はかすかに笑みを含んでうなずいた。なんの不足も不満もない、これだけの本がそろっているのだ。人間の寿命は短いものだ、ものの数十年、これならいくらでも待っていられる……、


 そう思いながら手近な本棚に手を伸ばし、一冊の本を抜き出して、賢者の表情が凍りつく。白紙だ。めくってもめくっても、本の中には一文字の印刷もされてはいない。


「……これは……」

 焦りを切れ長の目に浮かべ、エストワールは次々に本を取り出してはめくっていく。白紙、白紙、はくし。何冊本を抜き出しても、手当たり次第にめくっても、何も記されてはいない。


 そのさまをいつの間にか背後に来ていた姫が見つめ、からからと高らかな笑いを立てる。


「――はは! 良い気味だ、エストワール! それこそがお前に対する罰だ、何も書かれていない『白紙の図書館』が! だがそれではあんまり気の毒だからな、魔法の万年筆を一本お前に与えよう! 白紙の本を日記帳がわりに、つらつらと恨み言でも綴って永い日々を暮らすが良い!」


 姫は歪んだ笑いを立てつつ、兵を引き連れ『白紙の図書館』を去っていく。


 残された賢者は長いこと、黙ったままでたたずんでいた。やがて穏やかな強さをたたえた、挑むような微笑を浮かべ、万年筆に手を伸ばした。……


* * *


 百年が過ぎた。姫は人の身でありながらびっくりするほど長生きし、しわだらけの老婆となり果てて亡くなった。


 白亜の建物、『白紙の図書館』は相変わらず国の外れにひっそりあった。いつかの兵士たちの子孫が、言い伝えの哀れな賢者を救けだすため、図書館の閉ざされた扉を開けた。


 ……ほこりの舞い飛ぶ館内に、扉から外の光がさしこんで、中の様子を照らし出す。長い長い燃え立つような赤毛を細い背に流し、人外の青年はこちらを見つめて微笑んだ。


 何も食べず、何も飲まずに百年生きた生き物の笑みは弱っていながら、どこか消せない強さがあった。


 人々はやせ細った白い手をとり、その口に持ってきた食物を運んでやりながら、百年の辛抱をしのんで思わず涙した。こんな白紙の本ばかりをあてがわれて、どんなに辛かったろうに、と一人が手近な本を手にして、目をまん丸に見開いた。


 ……物語だ。少しくせのある手書きの文字で、白紙だったページがびっしり書き埋められている。それぞれに本をめくった人々が、声もなくあんぐりと口を開けてゆく。


 白紙のものなど見当たらない。本という本一冊残らず、手書きの文字で飾られている。人々の驚嘆のまなざしを受け、エストワールは知性にあふれた笑みを浮かべる。


「万年筆は良かったな……おかげで今まで読んだ書物を話の種に、百年のあいだ新しい物語を邪魔も入らず、ゆっくり綴れた……!」


 本当は、何とかして逃げることなどわけもなかった。だがそれでは、誰かが責められ血を見ることは明らかだ。だからあえて選んだのだ、永い幽閉生活を。


「リリス、お前は歳をとって亡くなった。そしてわたしの百年間で作り上げた、この物語の山を見よ……!」


 誇らしげにひとりごち、賢者はやせ細った白い両手を羽のようにひらと広げる。ほこりだらけの図書館の中、やつれきった人外は扉からさしこむ光を浴びて、一人の聖者のようにも見えた。


 ……それからまた、永いながい時が流れた。生者の運命さだめで歳を重ね、人外のエストワールも世を去った。最期まで本が恋人の、静かで幸せな生涯だった。


 エストワールの物語を収めた館は、いまだにちゃんと残っている。今は『手書きの図書館』という愛称で、国の名物になっている。本を愛する人々が、国外からも訪れて日々にぎわいを見せている。


 古いインクのにおいのする、唯一無二の本ばかりがずらりとそろう館は今日も、白い象牙の塔さながらに、本好きの訪れを待っている。

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