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あまりにもすぐ死ぬから

 独りで良い。ひとりがいい。

『池の主』と呼ばれる人外は、いつだってそう想っていた。


 へびうろこのうっすら浮いた白い肌、赤い瞳はかすみのかかったようにかすんで、目の前を見ていてもどこか遠くを見るような、そんなうつろなまなざしだった。


 独りで良い、ひとりがいい。

 だって誰を好きになっても、みんな先に死んでいく。人外としてもうんざりするほど長寿の身、誰と恋に落ちたって、どれだけ深く愛したって、みんな年老いて死んでいく。


 だから私は、ひとりがいい。

 そう想いつつ、オピスという名の女蛇は、もう長いこと地上にも姿を現さず、池の底に己の魔法でしつらえた城の中、ひっそりぽつんと生きていた。


 人型に変化した美しい姿を、誰にほめられることもなく、独りひっそり生きていた。


 池の底には春は桜の花びらが沈み、秋は赤や黄の落ち葉が積もり、冬はしいんとただ冷たく、魚の舞い泳ぐ窓の外をぼんやり見つめ、ただただ日々が過ぎてゆく。


 ……そんなある日に、オピスは泣き声で目が覚めた。しんしんとすすり泣く声がみしみし胸にこたえるから、舌打ちしながら起き上がる。


 オピスには人外の能力ちからがあるから、ひしひしと泣いている誰かの心の痛みが、己の胸にも響くのだ。おそらく池のほとりあたりで、誰か人間が泣いている。


 おい、うるさいぞ……そうたしなめてやるつもりで、オピスは魔法の力でまたたく間に城の中から池のほとりに転移する。ほろほろ泣いていた少年が、ひとの気配にふっと目を上げ、青い瞳を見開いた。


「……綺麗なひと……っ」

 思わず知らずこぼれる言葉に、少年がはっと口をふさぐ。あんまりぶしつけだと思ったのだろう。こっちはこっちで「うるさいぞ」のひと言がもうそれで言えなくなってしまって、何だか気まずく口ごもる。


「……何で泣いていたのだ、少年」

「……え? ああ、あの……蛇を、殺せと言われたので……」

「へびを?」

「はい……ぼく、池のはずれの孤児院の子で……孤児院は教会付きの施設で、その教会は蛇を『悪魔の使い』と言ってるから……」

「……殺したのか? 蛇を」

「と、とんでもない! 孤児院の庭に子蛇が迷い込んできて、ぼくがこっそり逃がそうとしたのに職員も他の子どもも気がついて……殺せ、ころせって言われても、ぼくはどうしても出来なくて……」

「……それで、この池に逃げてきたのか」

「はい……ぼくは殺さずに済んだけど、あの子蛇は、今きっともう……」


 言いつつまた、綺麗な目から涙があふれる。

 うっくうっくと泣きべそをかく少年に、オピスはそっと歩み寄り、ぽんと頭に手を置いた。それからまるきり恐るおそる、そっと小さな頭をぜる。


「……ありがとう……」

 ぽつんとつぶやく美人の腕に目をとめて、少年はぱっと顔を輝かす。


「――鱗だ! 綺麗な白い肌に、透き通る綺麗なうろこがある! じゃあ、それじゃあお姉さんは、もしかしてこの池のぬし様ですか?」

「う……いや、まあ……」

「じゃあ! 主様、どうかぼくを池底の城に雇ってください! ぼくもう、あんな可愛い子蛇を殺すような人たちのとこには居たくないんです!」

「…………は?」

「何でもします、出来ることなら! 洗濯もします、掃除もします、今はほとんど出来ないけど、ちゃんと料理も覚えます! だから主様、お願いします!」

「主ぬし呼ぶな! 大げさな! 私にはちゃんとオピスという名があるのだ!」

「じゃあオピス様! ぼくはルデーニっていいます! 今日からよろしくお願いします!」

「はぁ!? ちょっと待て、雇うのはもう確定か!?」

「はい! よろしくお願いしまーす!」


 そんなこんなで、なし崩しに二人暮らしが始まった。

 何てことはない、雇うもなにも『聞き分けの良い子どもが一人増えた』だけ……自信満々に己を売り込んだわりには、ルデーニはえらく不器用だった。


 掃除をすれば床はかえって水浸し、洗濯すれば洗剤が残って着るたびかゆくなる衣服の出来上がり、料理をさせれば火加減を間違えすぎてルデーニの両腕がやけどで駄目になりかねない。


「こんなはずじゃ……」と落胆するルデーニの肩を、オピスはそのたび優しく抱いた。


 いてくれれば良い。いてくれるだけで良い。独りにどんなにうんざりだったか、彼が来てくれて初めて分かった。


 ――分かったけど、分かったからこそ、いつか来る別れは恐ろしかった。


 そんなこちらの想いも知らずに、ルデーニはなおも頑張っていた。毎日挑むうちさすがの不器用も改善されて、二人はまるで親子みたいに、一緒になって家事をしていた。


 日々はしずしず過ぎていき、出逢った時に十歳だったルデーニはもうじき十六になる。金色の短髪に海のような青い瞳、少年は青年に近づくにつれ、うっとりと美しくなってゆく。


 ただ、うれいも増してくる。その青い目はしっとりとしたうれいをはらみ、しみじみとオピスを見つめるようになってきた。とうとうその目に耐えきれず、オピスはある日問いただした。


「これルデーニ。お前はそうして好物のメープルウォールナッツをほおばりながらも、に私をそんな瞳で見つめるのだ。言いたいことがあるのなら……」

「好きです」

「…………は!?」

「お慕い申しております、オピス様……ぼくはあなたにパートナーとして見られたい、恋人になりたい、夫になりたい……でも、ただの人間のぼくなんかじゃ……」


 言いたいことを言いたいだけ言ってうつむくルデーニに、煮えたぎるような想いがふつふつ胸に湧き上がる。


 ――お前は。この私に、また絶望をくれるのか。

 遠いとおい記憶の中の愛しい誰かみたいに、自分勝手に愛をくれて、自分勝手に死んでいくのか――、


「……そんなことを言っておいて、死んだらどこに行くつもりか」

「……はい?」

「死んだらもうそれで関係は切れる。お前は永く生きる私を置き去りに、どこか遠くで生まれ変わって、今度は別の誰かと恋に落ち、結婚して子どもに恵まれ……」

「――そんな! そんなことありえません!」

「誓えるか? 何度生まれ変わっても、私のもとに戻ってくると……」

「誓えます! 誓いますとも!」

「よし、ならば……お前はこれから一万年、人間として転生し、そのたび私を選ぶのだ……」


 言った瞬間、しまったと思う。己が神だなんて思い上がりはないけれど、確かに自分には人外としての能力ちからがある。


『これから一万年、人間として転生する』……きっとこれは呪いとして、この瞬間ルデーニの身にふりかかった。


 ……ああ、でもきっと呪いはそこまでだ。自分が本当にかなってほしいことなんて、何にも本当にならないから。


 今までずっとそうだった、誰も私みたいには長生きなんて出来なかった。だからきっと、ルデーニも何度も生まれ変わって、絶対に私のもとには戻らない……。


 そう想っていた。胸にあきらめを秘めながら、それでもルデーニとは夫婦になった。彼はおぼれるようにオピスを愛し、人外と人間とのあいだに子など生まれるはずもなく、やがてルデーニは年老いて、池底の城で微笑をたたえて亡くなった。


 それから十年……百年……千年……ルデーニは何度も生まれ変わり、生まれ変わっては成長し、池のほとりへと戻ってきた。


 注がれる確かな愛情と、自らを責める気持ちにさいなまれ、やがてオピスは全てを忘れた。自分のかけた呪いのことを、きれいさっぱり忘れてしまった。


* * *


 ……そして、今。一万年の呪いを終えて、『くちなしの木』の人外に生まれ変わったルデーニが、しみじみと妻の寝顔に見入っている。


 今は全てを想い出し、夫はそれを妻に明かさず、自分ひとりの胸に秘めて……。


 オピスは眠っている。眠り姫みたいに、深く。永く生きた蛇の化身は、見た目に若いままに静かにしずかに衰えていき、もうじき、永い生を終える。


 もうオピスは一日の大半を寝て過ごし、赤いくちびるはかさついて、鱗の浮いた白い肌には、よく見ればそれと分からない、かすかなしわが浮いている。触れられるのも、手を握られてもしんどいようで、だからルデーニはただただじっと寝顔ばかりを見つめている。


 ……赤い目にかぶさったまつ毛が震え、ひとしずく透ける水が白いほおを伝い落ちる。オピスはひくひくまつ毛を震わせ、かすんだ瞳をそっと開いて、ルデーニへ手をさしのべる。


「……何? どうしたの、オピス……のどが渇いた? 水がほしい?」

「……ルデーニ……、」

「うん、ここにいるよ……なに?」

「……ルデーニ……呪いを……ごめん……」


 言いながらさしのばす手にそっと手を触れ、雪虫を抱くように握りしめる。


 ――ああ。想い出したんだね、ぜんぶ。

 それが分かって、分かったから、ルデーニは黙って深くふかくうなずいた。


「……今度はぼくの番だよ、オピス……」


 いつまでだって、待つよ。百万年でも待つよ。言葉にせずに目で語り、白く小さな手に手を重ねてそっとさすって。


 ……オピスの赤い目から、またすうすうと涙がこぼれ、そうしてそれが最期だった。紅玉ルビーのような目はうっとりとして半開きに、夢見るようにもう死んでいた。


 ルデーニはオピスの亡骸を魔法で雪さながらに散らし、自分がされていたみたいに散らして、あとはただただ待っていた。


 一年……十年…百年……ただただ独りで待ち続けた。あまりの孤独に気がつけば狂いそうになりながら、オピスとの再会だけを夢見てひたすら待ち続けた。


 ある冬の始まり、ふっと背後に何者かの気配が満ちて、ルデーニはもろもろともろい視線を後ろへ向けた。


 少女が、立っていた。

 肌はうっすらと褐色に、頭には一対、可愛らしい角のように木の枝が生え、枝はいくつもつぼみを持ち……そのつぼみがふるふるとかすかに震え、まばたくようにみるみるうちに花開く。


 ……赤い、椿つばきの花だった。


「……ただいま、ルデーニ……」

「――おかえり!」


 それだけ言って、あとは何にも言えなくて、ルデーニは少女に駆け寄って小さい体を抱きしめた。ひしひしとすがりつくように抱きしめた。


 冬の初め、池底に椿が花開き、二人にとっての『永い春』が始まった。窓の外、冬眠している魚の一匹がひくっと小さく尾びれをふって……、


 二人の目の届かぬ池のほとりに、しんしんと真白い雪が降り出した。しんしん雪は静かに積もり、池のほとりに咲く椿を、白く清らかに彩っていく。


 冬鳥の声がちりちりりりと森に響き、美しい季節の訪れを告げていた。


* * *


 読み終えてほっと息をつくぼくの前に、コトリと小さなお皿が置かれる。


「……え、何これ?」

「見ての通りクルミでーす! 今読んだお話に出てきたメープルウォールナッツとやらさ! さあさあありがたく食らうが良い!」

「え、これリリカが作ったの?」

「そーでーす! いや、これ作んのカンタンよ? クルミ炒ってメープルシロップからまして砂糖衣にすりゃあイイだけだもん! さあさあ紅茶もれてきたから、糖分補給タイムじゃあー!」

「いや、でも図書館でこんなことして、他の利用者が入ってきたら……」

「ほかのりようしゃ?」


 きょとんとした顔で訊き返されて、あれ? とぼくも首をかしげる。そういや、ここって今まで別の人が出入りしたこと一回もない……。


「……え、何ここぼく専用のスペースなん?」

「あ、今気づいたん? そうだよー! 言っちゃあここは『分館』だね! 蔵書は本館と地続きになってて、いっくらでも本読めるけど、基本は分館にいちメイドといち利用者ってカンジでね! まーホテルの個室ってカンジかなあ?」

「ほー!」


 ぼくは感心して息をつく。ずいぶん各個人に配慮した作りなんだな……そう考えて、何だか隔離されてるようだとも思ったけど、それは口に出さずにおいた。


 お茶を飲み、ほの甘いクルミをぽりぽりかじりつつ、目の前には可愛いメイド。なんか夢みたいだなあ……あ、これ夢の中か!


「……ディーチェ、なんか変なこと考えてる?」

「あ、ああ、いや……!」


 リリカにふっとそう訊かれ、ちょっとあわてて口ごもる。他に話をそらすつもりで、前から少し気になってたことを訊ねてみる。


「い、いやあ……なんか、今まで読んだ話さあ、続き物もあるけどさ……」

「うん?」

「どうも読んでると、いろんな人が書いたって正直思えなくてさ……もしかして、みんな同じ人の書いたお話?」

「え、そうだよ?」

「――え? マジ?」

「そうだよ、あれえ? 分かってると思ってたけど……この図書館、読む人の好みを読むからさぁ! みんなディーチェ好みのおんなじ作者の話だよ?」

「ああ? そうなの? え、じゃあ他の人の話は読めない……?」

「やあ、そんなワケないじゃん! 仮にも図書館、読みたくなったらいくらでも他の話も読めるよ!」

「そうなんだ、さすが夢の世界の図書館……!」


 感心しながら、頭のすみで考える。ぼく好みの話を書いたこの作者は、いったいどういう人なんだろう? どういう事故や事件で亡くなった人なんだろう……?


 考えて問いかけようとして、訊かれたって困るよなあと、リリカに問うのをあきらめる。たぶん知ってるんだろうけど、リリカはそのことについては言わずに、本棚から次の本を抜き出した。


「このお話はどう? たぶん気に入ると思うよ!」


 そう言って笑うその顔が、ごついメガネごしのトルコ石みたいな水色の目が、あまりに綺麗で可愛く見えて……、


 ぼくは思わず目をそらし、ごまかすようにぽりぽりと甘いクルミをほおばった。

ただいま戻りました!

数日前の深夜、救急車で運ばれた家族もそこそこ回復してきたので、合間をぬって書きました!

(※それにともない、前回あげた『未発表の習作』は削除しました)


これからもぼちぼち投稿していきますので(←おそらく亀の歩みですが)気長にお付き合いいただけると嬉しいです!

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