先輩のジョークグッズは伊達じゃない
リスティナは内政卿にして第二皇子派筆頭、ガルフォード・ノーグレストの娘……要するに帝国において大貴族の家に生まれた娘になる。
リュシアとフリックスも家が大貴族と称されているだけあり、帝都の事情についてはそれなりに詳しかった。
セレーネ含め、突如現れた黒仮面の人物があの紋影官であると気づいている。
「あの仮面の男性はいったい……?」
そんな中、アヴィエスは知らない様子だった。ずっと北のヴァルツァー領から出たことがなかったのだ、黒紋監察室という組織についても詳しくはないだろう。
そんな彼女に対し、セレーネは声を抑えて説明する。
「紋影官……お父様直属のエージェントで、普段は表には出てこない人たちです」
「紋影官……?」
「はい。表沙汰にできない事件や事故を秘密裏に解決していると聞きますが……なるほど。今回の事態もお父様はとっくに存じておられたのですね」
セレーネの言葉を聞いてリスティナも納得した。
皇帝陛下の実兄が帝都崩壊計画なんてものを立てていたのだ。しかも〈アーク・ガルダ〉という前代未聞の巨大アーティファクトを使うという、恐ろしく大規模な計画を。
たしかにこんな事件を処理するとしたら、騎士や軍では手に余る。有効な対抗手段としては全員が異能を持ち、1人1人が一軍に匹敵すると言われる紋影官だろう。
だがリスティナは不安が払しょくできなかった。
「でもあの入れ墨の男……わたくしでもかなり危険な人物だとわかります。いくら紋影官でも、勝てる相手なのでしょうか……?」
リスティナは多少は氷の魔術が使えるが、戦闘に特化したものではないし自分自身も相手を見ておおよその実力など計れない。
それでも入れ墨の男からは不気味なプレッシャーを感じていた。
そんなリスティナに対し、フリックスもうなずきを見せる。
「ぼ、僕も紋影官を見たのは初めてだが……少なくとも彼がどうにかしてくれないと、帝都の危機は去っていないということだ……」
あの紋影官が現れても、リスティナたちが不安を払拭できない理由は2つ。1つは紋影官が何か武装しているように見えないこと。
そしてもう一つが、やたら甲高い声を出しているという点だ。
まさか地声ではないだろう。男性がふざけて甲高い声を出しているとしか思えない。要するに帝都崩壊という緊急事態を前にして緊張感がないのだ。
せめて黒仮面の男性が自分たちを安心させるような態度を取ってくれればいいのに……と、思うのは贅沢なことだろうか。
「なんやぁ? 変な声の兄ちゃん、こぉへんのかぁ?」
「……………………」
「だんまりかいな。ほな……こっちから行くでぇ!」
ドンッ……と音がしたと思ったら、入れ墨の男は紋影官のすぐ側まで移動していた。
リスティナには……いや、リスティナたちには彼の動きがまったく見えなかった。あれだけ大きな剣を持っているのに、どうしてそんな動きができるのか。
入れ墨の男はそのまま紋影官に剣を振るう……が。
「へぇ! ちょっとは足が速いやん!」
紋影官もまた少し離れた場所に移動していた。これもリスティナでは見えなかった動きだ。
しかし入れ墨の男には見えていたらしい、彼は再び視界から消えて高速移動を行う。
「はははははは! そらそらそらそらぁ! 変な声の兄ちゃん、逃げてばっかかぁ!?」
もはや目の前で何が行われているのかわからなかった。わかっているのは、この広大な地下空間を2人の男性が高速で走り回っているということだけ。
しかし入れ墨の男の反応を見るに、黒仮面の男は反撃をしていないようだ。つまり一方的に攻撃をされているということになる。
「こ、このままじゃ……帝都は……」
分が悪いのは紋影官。その空気感はしっかりとリスティナたちにも伝わってきていた。
トラヴィンも勝利を確信したのだろう、笑顔を見せている。
「ふ、ふふふふふ……! これぞ〈黒曜聖団〉の黒曜聖徒が持つ実力です! えぇ、黒曜聖徒からすればあの紋影官といえど、敵ではないのですよ!」
まずい。このままではアヴィエスがとめたはずの帝都崩壊計画が、再び息を吹き返してしまう。
アヴィエスは黙って2人の戦いの行方を見ていた。たしかにアヴィエスも強いが、さすがに入れ墨の男ほどではないだろう。それくらいに動きが段違いなのだ。そして。
「あぁ……!」
入れ墨の男によって吹き飛ばされたのだろう、紋影官は等間隔で並ぶ柱の1つに激突していた。
体勢を崩して膝を折ったところに、入れ墨の男の声が響く。
「これでしまいやぁ! おらああぁぁぁぁぁぁ!」
超高速で紋影官の側まで移動した男が、決着をつけるべく剣を振るう……が。
「あぁん!?」
そこでまたしても紋影官の姿が消えた。視線を上げると、少し離れた場所に移動しているのが見える。
「なんや……急にこれまでよりも足が速く………………っ!? こ、これ、は……!?」
ここで入れ墨の男は初めて焦ったかのような声をあげる。そして腕で口と鼻をおおった……が。
「ふぇ……ふぇ……ふぇぇぇぇぇっくしょぉぉぉぉぉい! しょぉい! しょ、しょおぉぉぉぉぉい!」
「っ!?」
これまで一方的に相手を追い詰めていたはずの男が、その場で激しくくしゃみをし始める。しかもくしゃみ音はあまりにもでかく、この広い地下空間に響き渡っていた。
「んっしょおぉぉぉぉぉい! ふぇっくしょんっ! くあぁぁ……! ふ、ふ……んなっしょおぉぉぉぉぉい!」
「せ、聖徒ザルカー! 何をふざけているのです!?」
「ち、ちゃうねん……! こ、これ……ぶぇっくしょい、しょい、しょいぃぃ、ぶああぁぁぁぁ!」
明らかに異常事態が生じている。それは入れ墨の男の表情を見れば一目瞭然だった。
「こ……これは……っしょいいぃぃ! 毒、やないぃ……! くしょ、くしゅぅぅぅぅん! まさか……くしょいいぃ! 変な声、の……! 兄ちゃんの、異能かあぁぁぁしょおおぉぉぉぉぉい!」
「へ!?」
そうだ……! 紋影官といえば全員が何かしらの異能を持つエージェント……!
これまで逃げてばかりと思っていたのは、リスティナたちが素人だったからだろう。
きっとこれまでの行動にはすべて意味があったのだ。だって現に優勢と思われていた男は、とまらないくしゃみに苦しんでいるのだから……!
「あ、あんなに恐ろしい男を……これほど簡単に戦闘不能にした……!?」
「これが……紋影官の実力……!」
普通の戦闘不能よりもたちがわるいだろう。
何せとまらぬくしゃみにより、まともに戦闘もできなければ集中力も欠く状態異常にさせられたのだから。
「あ……あっかんんんんんん! しょいいいぃぃぃ! こ、これぇ……! いつとまんねやあぁぁぁぁぁぁぁぁいいいぃぃぃぃぃ!」
「だ……だいたい半日くらいだ……」
「んマジかよおぉぉぉぉおおおおおおぃぃいぃぃぃ! くしょぉぉぉぉぉぉおいいいぃぃい! と、トラヴィンんんんっしゅんんんん! だ、ダメやあぁぁあおおおぃいぃぃぃぃぃ! こ、こんなん、戦えへっくしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉいいいいぃぃぃい!」
「ば……バカな……!? 半日も続く異能だと……!? そんな能力……い、いや、事実だとして……! いったいいつ聖徒ザルカーに仕掛けた!? だいたいの異能や武技、魔術の類であれば、聖徒ザルカーは察知するはず……!」
ここでリスティナはハッとある事実に気づく。素人である自分たちが、紋影官が異能を発現させた瞬間を見過ごしたのは理解できる。
だがトラヴィンの態度からして、入れ墨の男……ザルカーは相当な実力者のはず。
そんな彼ですら、いつ自分に異能を発動させられたのかがまったくわからなかった……ということは。
「紋影官の実力は、ザルカーを上回っている……!?」
本当に半日も続くのなら、もはやザルカーに打つ手はない。くしゃみをあれだけ連発するだけでも相当な体力を奪われることだろう。
「て……撤退、やあぁぁぁっくしょぉぉぉぉおおおおおおおぃぃぃぃ! にげ、逃げるでトラヴィンんんんんんんっくしゅおぉぉぉぉぉ! も、もう、あかんわ、これぇぇっぶふぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!」
「く……! お、おのれ……! あと一歩のところでぇぇ! おのれ紋影官……っ!」
広大な地下空間に豪快なくしゃみ音がやむことなく響き渡る。正直うるさい。
こうして紋影官の活躍により、今度こそ帝都崩壊計画は食い止められた……かのように思えた。
しかしトラヴィンや紋影官たちを、ベイルオール学院長は〈アーク・ガルダ〉が座すイスの上から見ていた。




