学院の清廉知将セレーネ様
今や数多くのセレニアンを従え、崇め奉られているかもしれない第五皇女セレーネは、ずっとこのチャンスをうかがっていた。
いつか自分にとんでもない承認欲求を与えるであろう最高の獲物であるレオン。
彼とアストラ学院で出会えたとき、〈笑顔で人心掌握〉セレーネはたしかに天啓を受けた。
『おお、〈帝都の歩く魅了魔法〉セレーネよ。この10日でその男を見事にセレニアンにしてみせよ。さすればそのとき、お主にはさらなる力が宿るであろう……あろう……あろう……あろう……あろう……』
そう……その天啓とは試練だったのだ。
たしかにセレーネとしても、いつまでも1人の男に時間を使いたくはない。“質”はともかく、清楚知将セレーネは“数”も大事だということをよく理解できている。
レオン1人にかける時間をもっと有効活用すれば、その何倍ものセレニアンを生み出すことができるのだ。
「これは……10日で決着をつけなさいと、つまりはそういうことなのですね……!」
思えば1年以上前、ハグリアの街でレオンという存在を知ってから、いつも心のどこかに彼の姿があった。
レオンのことを考えると動悸がはやくなるし、少し苦しくも思う。
あの男だけはなんとしてでもセレニアンにせねばならぬ。これはセレーネが〈大いなる実り〉を得るために必要なこと。そしてその時こそ今感じている苦しみからも解放されるはず。
いつかくる再会の時を信じて、セレーネはこれまで雨の日も風の日も奥義を磨き続けてきた……と言えば過言になるが、修練は積んできた。
この学院という閉じた環境で突如始まった時限イベント。試練を前にしたセレーネはその恐ろしさに震えるのではなく、むしろ闘志をみなぎらせていた。
ここで決着をつける。長きにわたる因縁に終わりの刻を告げる日がきたのだ。そして皇宮での再会とは異なり、学院というバトルフィールドはこちらに有利。
だが焦りはしない。冷静可憐なセレーネは最初の4日を情報収集にあてた。敵を知って己を知れば、なんかすごいということがわかっていたからだ。
そして十分に情報を集め終え、レオンの動向を調べたうえでいよいよ清純皇姫セレーネは動き出す。
レオンは自分の妹であるアナスタシアたちのテーブルへ近づいて話していた。どうやら知り合いがいたようだ。
一応、アナスタシアも皇宮でレオンと会ってはいるのだが、顔は見ていないので覚えていないだろう。問題はここからのアクションだ。
まず間違いなくレオンは話が終わったら所定の位置へと戻る。なぜならそれが兵士の務めであり、これまで見てきたレオンの動きでもあるからだ。
それとなく耳を傾けて会話の流れと雰囲気を読む。何を話しているのかははっきりとわからずとも、なんとなく会話が終わりそうな気配は読み取れる。
そうしていよいよ会話が終わり、それによって生まれた絶妙な隙を玲瓏皇女セレーネは見逃さない。
スススと床を滑るような自然な動作で歩き、レオンの背後へと移動する。タイミングはばっちり完璧だ、そこでレオンは一歩引き、自分とぶつかった。
「きゃっ!?」
計算通り……! このまま違和感のない動きで倒れ込むっ!
先制攻撃は決まった、この時点でこちら側には大きなアドバンテージがある。
だが相手はあのレオン。この程度で勝てるのであれば、天は自分に試練を課したりなどはしないだろう。
「わ……と。だ、だいじょうぶ、ですか……!?」
上からレオンが心配そうな声をかけてくる。感触はしっかりある……いける!
「はい……わたしならだいじょうぶです。どうか気にしないでくださいね?」
ここでセレーネは55ある奥義の1つを発動させる。
体勢を男性の保護欲をかきたてるように計算し、床にへたり込んだまま上目遣いでレオンの顔を見上げ、そのまま右手を伸ばす。そして少しうるんだ声でこう告げるのだ……。
「あの……立たせていただいてもよろしい、でしょうか……?」
奥義〈姫式懇願招手〉。甘えるような声と自然な動作で自分と手を握れる機会を提供する、破壊力マシマシの奥義である。
類似奥義で〈麗姫求援の儀〉や〈可憐誘導手〉というものもあるが、共通点は腕を差し伸ばすという行為のみ。
〈姫式懇願招手〉は地面にへたり込んだ白亜廉潔皇女セレーネを救い出すという、男性に栄誉をも与える究極奥義。他2つの奥義とは一線を画す清楚力である。
さらにこのバトルフィールドでは他にも学生が多い。不慮の事故(?)とはいえ、皇女を突き飛ばしたのだ。
皆の見ている前で差し出された手を取って立たせるのは、レオンが負うべき……そして全うすべき義務である。
普通であれば、だれもが迷うことなくセレーネの手を取るだろう。そして立たせたところで謝罪をし、自分はそれを謙虚に、かつはにかむようなどこか照れた笑みで受け止める。
いいえ、わたしの不注意ですから……と。
なんと慈愛に満ちあふれすぎてダムが決壊寸前な皇女だろうか!
おそらくレオンだけでなく、波及効果で周囲の者たちもセレニアン侵攻度……いや、信仰度も上がるに違いない。
勝った。10日もかからず、今日ここで決着をつける。そう期待してレオンからの言葉を待つ。
この間、現実世界でおよそ0.9秒(体感)。そしてレオンがゆっくりと口を開き、同時に自分に向けて腕を伸ばし……。
「何を無礼なことをやっている、新人!」
「っ!?」
すぐ近くから別の兵士が走ってくる。彼はレオンの近くに来ると、まずは自分に向かって頭を下げた。
「申し訳ございません、セレーネ様! この男、少し前に入ったばかりの新人でして……!」
「え……あ、はい」
「くぉの新人がぁ! もういい、お前はさっさと次の場所に行け!」
「え……でも先輩……」
「いいからいけ! セレーネ様の前からはやく姿を消すんだ! これ以上セレーネ様に不快な思いをさせると、不敬罪になるかもしれんぞ!」
「り、了解っす! それじゃアヴィエス、また今度!」
そう言うとレオンは足早に去って行く。残った兵士がなんでもないような表情で自分に手を伸ばす。
「本当に失礼いたしました。さぁセレーネ様…………あれ?」
セレーネはなんでもないようにその場から立ち上がると、パッパッと服を払って埃を落とす。そして目の前の兵士に笑みを向けた。
「お騒がせしてすみませんでした」
「い、いえいえ! 困ったことがあればなんでもおっしゃってくださいね!」
そう言うと兵士は所定の位置へと戻っていく。セレーネは曇りのない笑顔のまま、その背中に心中で呪詛を吐きかけていた。
なんということだろうか。奥義〈姫式懇願招手〉の発動タイミングは完璧だった。
ここまで有利なバトルフィールドで、実際にレオンは自分の手を取ろうと腕を伸ばしかけてもいた。
そのすべてを場外から乱されてしまった……いや、違う。正確に言うのであれば、ここは自分だけでなくレオンにとっても有利なバトルフィールドだったのだ。
(も……盲点でした……! なんという……また情報を集めなおさなければ……!)
ただでさえ学院内では兵士たちは自分たちの動向によく注視している。彼らの目のあるところでレオンに戦いを仕掛けても、場外乱入されるリスクがあって当然なのだ。
勝てると思ったのに予想外の結末を迎え、結果としてレオンをセレニアンにできなかった。これによりセレーネの中でさらなるストレスとレオンに対する執着心が増していく。
だが最後に彼は1つ、気になる言葉を言い残していた。それも自分ではなく、他の娘に対して。
セレーネはそのまま彼が接していたテーブルへと移動する。そしてアナスタシアに微笑みかけた。
「アナスタシア、元気そうですね」
「……は、はい。セレーネお姉さま……」
「ふふ……っ。友達ができたみたいでよかったわ」
アナスタシアと同じテーブルに座る2人の女生徒はセレーネも把握している。大蔵卿の娘であるリュシアと内政卿の娘であるリスティナだ。
大蔵卿と内政卿はそれぞれ第一皇子派の筆頭と第二皇子派の筆頭。まさか学院内でその娘同士がこうして仲良くランチを食べているとは思っていなかったので、少し驚きを覚える。
2人はセレーネを前に少し緊張した表情を浮かべていた。
ある程度の身分のある貴族子女であれば当然の反応だ、こういう類はセレーネとしても積極的にセレニアンにしたいという気持ちがわかない。
しかし残り1人……ツヤのあるグレーの髪をした女生徒は知らない顔だった。
この3人と一緒にランチを食べているのだ、それなりの人物なのだろうが……しかし表情から感情が読めない。
その女性はアナスタシアに視線を向ける。
「えっと……アナスタシアの知り合い?」
「っ!」
じ……自分を……知らない……っ!? いや、それだけではない。今、アナスタシアを呼び捨てにした……!?
「あ、うん……。アヴィエス、こちらはわたしの……姉さま……」
「っ!?」
アナスタシアも呼び捨てにした!? あのアナスタシアが、同い年の貴族令嬢に呼び捨てで呼び合う関係になった!?
「はぁ……そういうところを見ると、やっぱりアヴィエスなんだなって安心するわ」
「フフ……あまりにもアヴィエスらしすぎる気もしますけど」
「もう、リュシアもリスティナも。からかわないでください」
「っ!!?」
え……大蔵卿と内政卿の娘相手にも呼び捨てで呼びあう間柄……!? しかもなんだか親しそうだし……!?
ここで気づいた。これは人の感情やその流れを読み解くのに時間を費やしてきたセレーネだからこそ気づけたとも言える。
このテーブルは、アヴィエスを中心にして団結しているのだと。
おそらく彼女がいなければ、本来この3人が仲良くランチを食べるような関係までたどり着けていなかったはず。
「えぇと……はじめまして、わたしはセレーネといいます」
「アヴィエスです、よろしくお願いします先輩」
「まぁ先輩だなんて……気軽にセレーネと呼んでくださいね?」
「わかりました。ではセレーネもわたしのことはどうかアヴィエスと呼んでください」
「っ!!!?」
ヌルリと呼び捨てにした!? 普通もっとためらいとかあるはずなのに!?
しかも声色に緊張感や気負った感じが出ていない。素だ。完全に素で自分を対等な相手と見て、呼び捨てで気安く名前を呼んでいる。
「あの……ところでアヴィエスさ……アヴィエスは、レオンさんとはどういう……?」
レオンは立ち去るときにアヴィエスの名前を出していた。
何か関係があるのだろう。そしてその答えはすぐに彼女からもたらされる。
「あ、彼はわたしの兄さんです」
「っ!!!!?」
「兄は兵士をしているのですが、たまたま学院に配置されたとかで……」
「い……いも、妹さん……!?」
この瞬間。楚々端麗皇女セレーネは、衝撃と同時にあらたな閃きを得ていた。




