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リンドウは手を伸ばす  作者: 長坂青空 加良奈志翠 山葵大福
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29/35

第3話 番外編

※1.作中に虫の名前が出てきます。

調べるかどうは自己責任でお願いします。

虫の名付け話しは作者の又聞きです。違う場合がありますので鵜呑みにしないで下さい。


※2.スペイン語が出てきます。

翻訳サイトを使って出した為、細かい所が異なる場合があります。

一日目 十四時


「これから順番に頼むよ」

 陽はトールが指差した写真を手に取る。

写っているのは一丁の銃。

「あ、線画書いたらクリップで写真止めてね。しばらく経ったら回収しに来るから」

「分かった」

陽が短く返事をするのを確認したトールは階段を降りる。

階段を降りきって廊下を歩く音を確認した陽は作業机に写真を置き、上着をクローゼットに仕舞った。この部屋はまるで誰かが問題なく住めるように、と部屋の持ち主の趣向を計算して作られたように感じる。

(誰か、じゃなくて私か……)

窓の近くにセットされた作業机の前に座ると、椅子の高さと机とのバランスは気にならない。むしろ『昔からこの高さで使い慣れてますよね?』と言わんばかりのしっくりさだ。部屋の趣向やら家具の高さやら一体、いつ調べられたんだろう。あの男は多忙のはずだ。ここまで露骨に自分に合わせれると恐怖すら感じる。

同時にそこまでしてあの男は、自分に描かせたいのだ。と嫌でも察する。

陽は用意された紙の束から1枚引き抜き机の中央に置き写真を写真立てにセットして全体像を眺めた。

写真の中には白机に一丁の銃が置かれていて黒々と光っている。恐らく、これは─否、この10日間で描く全ての写真が─自然光を当てて現物をそのまま写真越しに認識できるようにしているのだろう。

わざわざ写真を撮って絵を描かせて誰かに見せる為に創る、そんな回りくどい事をする程だ。余計な詮索はしないほうが良い……どうせ、あの男絡みな案件はそんなものが多い。

陽はどういう風に描くかを頭の中でシュミレーションし鉛筆を手に取り紙の上を滑らせ始めた。


数時間後、トールがノックをし部屋に入ってくる。

「調子はどう?」

陽は手を止めて机の脇にあるカゴを指差す。

「そこ」

トールがカゴの中を覗く。

「思ってたよりスピード早いじゃん」

カゴの中には最初の銃から始まり付属の銃弾や中の構造がイラストで書かれた写真を大きなクリップで止めてあった。それが三束置いてある。

「どれどれ……」

トールはカゴの中の一番下のやつを掘り出して近くにあった折りたたみの椅子を出して座った。陽が描いたイラストと写真を猛スピード行き来しなおかつ丁寧にチェックしていく。

体感として十分あるかないかのような気がしたが実際は五分も掛かってない事が壁掛け時計の時報で分かった。

「ここ、」

トールが一枚の絵を出す。それは銃の構造を描いたもの。トールの指が細い部品の所を指す。

「ここの所、二本の線が潰れてて見えない。この構造はだいぶ前に教えただろ? 銃の機能性が分かる大事な部分だ。この線はもっと細く書いて」

陽は指摘された所と写真を見比べる。たしかに、自分が描いた所と写真で示されている部分が若干違う。線一本で大幅な違いは見受けられないが、模倣をするに当たっては重要な違いだろう。

「分かった。描き直す」

今描いてるものを端に置き、新しい紙を用意して書き直しを始める。

トールがその作業を見ながら言った。

「よく分かったね」

「何が?」

「セットの道具や分解した写真がある事」

「あれだけ順番に貼られてたら誰でも分かる」

トールはその言葉に小さな笑みを浮かべた。

「さすがはSUNだ。これならいちいち指示しなくても良さそう」

その言葉に陽は作業を止めずに言う。

「試したの?」

「ノーコメント」

その言葉に心の中でため息を零す。初めて会ったのが五年前。その時が最初で最後の邂逅だったが、その時と変わらないトールに無理矢理 納得付けた。

「これでどう?」

陽は鉛筆を置いて修正した絵をトールに渡す。トールは鋭い目つきで修正した箇所を見て数秒後、笑みを見せた。

「上出来」

その言葉に少量の息を吐き出す。自分の腕には自信があるが本の形にする前段階で他人の目に触れ評価される時が何よりも緊張するのだ。

「あ、そろそろワンちゃんの時間じゃない?」

トールが指差す壁掛時計を見る。

時刻は十七時五十五分。約束の五分前だ。

「キリが良いし、夕食にしたら?」

「そうだね」

 トールと一緒に部屋を出て玄関に向かう。

玄関の磨りガラス越しに人影が見える。きっと、あれは絶対に隠世だ。

──ピンポーン

隠世が押したチャイムが家に響く。

「出なよ、君が来るのを待ってる。あ、土間からは出ないように」

トールに言われて備え付けの草履を引っ掛けて─自分が履いていた靴は隠されていた─玄関を開く。

およそ三時間離れていたが、隠世は明らかにホッとした表情だ。だがそれは一瞬だけ。陽の後ろにいるトールに気づき険しい顔を見せる。

「言われた食事だ。明日の昼まで用意した。流石にレンジはあるよな?」

隠世から赤色の紙袋を渡される。チラリと見えた一番上のタッパーには付箋に夜用と書かれており出来立て独特の匂いがした。

「あるよー。ここを建てた時に一般器具は揃えたからね」

隠世の疑問にトールが答える。

それが気に食わなかったのか、隠世の目尻が一瞬つり上がったように見えるが隠世にとってトールの印象は良くないのでその反応は当たり前だろう。

「あとこれ……絵描きの仕事ってたから絵を描く道具と二日分の着替えと一式。髪、染めただろ。」

白色の紙袋にはいつも自分が使う仕事道具、少し大きい水色の袋には自分がよく使っているシャンプーとリンス。所謂お泊りセットが入っていた。

「ありがとう。髪の事、忘れてた」

陽が答えると隠世の口角が微かに上がる。

「別に。……主」

「ん? なあに?」

「あいつと一緒で本当に大丈夫なんだな?」

隠世の声色で陽は悟った。

トールの依頼を本当に請け負うのか、最終確認だ。もしここで陽が「否」と答えたなら隠世は即座にトールに武器を向けて陽を連れ出すつもりなのだろう。微かに緊張しているのが感じられる。

「うん。大丈夫だよ」

主からのその答えに隠世は目を細めた。

「それに私は二等級・SUNだよお。等級が下の同業者の助っ人ぐらい任せなさい」

家で会話するようないつもの調子で答える。

「……そうか。夜更かしだけはするなよ」

「はーい」

隠世の顔がいつもの顔になっていく。

どうやらこの現状に納得してくれたようだ。

「それじゃ、また明日。十八時に」

そう言って隠世は背を向けて出ていく。

陽はそれを見て数秒後、玄関を閉めた。

「過保護なワンちゃんだねぇ」

廊下で二人を見ていたトールが小さく呟く。

「さ! 夕食にしようか」

 トールがリビングに案内する。

陽がリビングに入ると先客が居た。

ソファに座って外国の画集を見ている。肩までの金髪を耳に掛けラフな格好をした外国人。

「色付けの助っ人ってもしかして……」

「線画担当はやっぱりSUNでしたね」

「琥珀(コハク)……」

陽が琥珀と呼んだ男性は画集を閉じてカバンに仕舞った。

「SUNの夕飯も届いたことだし、食べよ」

トールはそう言いながらダイニングテーブルを布巾で拭きながら言った。

「二人の分はあるの?」

「ワンちゃんに断られたからねー。ちゃんと用意した」

「わたしが、用意したんですけどね」

琥珀はそう言いながら何度もメディアに取り上げられた高級店のロゴが入ったビニール袋を拭き終わったばかりのダイニングテーブルに置く。

「聞いて下さいよSUN。この人、わたしがこの家に着く直前に男二人分の夕食を頼んだんですよ」

「ごめんって」

トールの声には反省の色が全く無い。

「トールの突然の頼みごとには慣れてますから、全然、まったく、これっぽっっちも、気にしてませんが?」

「めちゃくちゃ気にしてるじゃん……」

当たり前じゃなかろうか、と思う。

この寂れた郊外に着いて食事の調達をする為にまた町中に行くなんて自分だったら絶対に嫌だ。

「これ、レシートです。こちらのレシートは一人分で良いですよ」

トールがレシートを確認して眉を潜めた。

「…………げっ。ねぇ、琥珀? この値段正規価格?」

「あたり前田のクラッカーです。これからの十日間のわたしとSUNの士気が上がるように奮発しました。それがこちらです」

「ボクのは……?」

満面の笑みで、流れるようにもう一枚のレシートを出した。トールは恐る恐る見る。

「ひゅ……」

トールから変な音がした。

「デザート代です。それもよろしくお願いしますね。デザートは冷蔵庫にありますから」

そんなトールには目をくれず、琥珀はビニール袋から次々と出した。

 夕飯であろう超有名店のロコモコ丼。

中央で輝くのは目玉焼き、しかも卵の一つ一つが小さい。たしかこの店はうずらを推していたはずだ。そのうずらの黄身の塊が十個ほど固まって目玉焼きになっていた。どこかの知識で鶏の卵一個=鶉(ウズラ)の卵5個分って書いてあったような……。と言う事はこのロコモコ丼、一人前に卵が2つ分入っている事になる。流石、贅沢且ヘルシーに全振りしたお店だ。

そして目玉焼きの下に隠れているハンバーグ。ハンバーグが分厚い。そのハンバーグの周りには素揚げした色とりどりの野菜たちが転がっていた。

その下には一口大に切られたレタスが微かに見える。

テイクアウトのカップの透明な蓋には『白米黒米MIX』というシールが貼られていて茶色いタレが別添えで付いていた。

「……お気遣い、ありがとう」

 陽は自身の夕食を袋から取り出す。夜用の付箋があるタッパを取り出すとまだほんの少し温かい。蓋を開ければパスタが入っていた。具は秋らしく、しめじや舞茸等のキノコがたっぷり入っていてよく見ればベーコンや玉ねぎも入っている。こちらも同じように味がパサつかないように別添えで和風のタレが付いていた。もう一つの夜用のタッパにはミニトマトが添えられているサラダがあった。こちらはすでに味がついておりそのまま食べれるようになっているようだ。

「彼の作った物も美味しそうだね」

陽が出したタッパの中身を見ながら琥珀が呟いた。

「琥珀ー。いくら美味しそうでも彼女の食事は食べちゃ駄目だよ。でないと、怖ーい番犬が襲ってくるから」

「あなたじゃ無いんですから食べませんよ。わたしにはロコモコ丼がありますから」

トールがお盆を持ってくる。お盆にはそれぞれのカトラリーとほうじ茶が乗っていた。

「ほうじ茶で良いよね、はい」

「ありがとう」

三人分の食事が揃いそれぞれが席に着く。

「それじゃ、いただきます」

トールの号令でそれぞれ食事を始める。

陽はフォークでサラダを食べ始めた。



食事中はポツポツと雑談し、今は琥珀が士気上げとして買ってきたミニフルーツタルトがそれぞれの前に鎮座していた。

茶色いタルト生地の上に色とりどりのフルーツが積み重なっている。フルーツの頂点にはホイップクリームがちょこんと乗っており上に乗っている果実の台座の役目を果していた。フルーツの頂点に輝いているのはこの時期の王様と言っても過言ではないマスカット。フルーツのピラミッド全体にツヤがあり所々にジュレがかかっていてフルーツピラミッドが崩れるのを防いでくれる。

タルトを買ってきた琥珀によれば、タルトの中にはプディングが入っているらしい。

「紅茶をどうぞ、SUN」

「ありがとう」

琥珀が入れた紅茶が前に置かれる。

薔薇の香りがした。

「薔薇の香り……? 何の紅茶なの?」

「ディンブラです。スリランカ産でクセが無く、このタルトと相性が良いんですよ」

「へぇ。いい香りだね」

「でしょう? オススメです。茶葉を余分に買ってきたので後で分けましょうか」

「お言葉に甘えて。分けてもらえる?」

「ガッテン承知の助」

琥珀が席に着く。

トールは目の前にあるタルトを見ながら頭の中で金額を呟いていた。

その様子に琥珀はクスッと笑う。

「では、わたし達の十日間を健闘して」

「あーその前に一ついい?」

食べようとした途端、トールが手を上げて止めた。

「ここで生活するに当たっていくつかルールを設けたいんだけど」

「ルール?」

「まず、朝昼晩の食事は必ず一緒に取る」

「わたしは構いませんよ。むしろそうしてもらった方が助かります。集中すると食事を忘れてしまうので」

「……分かった」

それからトールはいくつかのルールを言って二人が賛同し、時には逆提案をしながら10日間だけのルールを作り上げた。

「と、こんなものかなー。あとは追々」

食べるの邪魔してごめん、どうぞ。と手で促される。琥珀はその合図が出ると早々にフォークを手に取りタルトを食べ始めていた。

陽も琥珀にならいフォークを持ってタルトを食べ始める。

「あ、琥珀。SUNが早速 線画を三束も描いてくれたから絵付けよろしくね」

「あっちょんぶりけ……速くないです?」





三日目


 廊下を挟んで隅にある琥珀のアトリエでは、トールとの言い合いの声が聞こえている。

「だから、ここはもう少し明るい色でって指定してるんだけど」

「それではこの写真と違ってきますよね? あなたが一番最初に言った指示とは真逆になりますが」

「だからそれは──」

仕事を開始してから時折言い合いがあったがここまで激しいのは初めてだ。

陽がため息をついた瞬間、壁掛け時計の時報が鳴った。ペンを置いて思いっきり伸びをしながら窓の外を見る。

外に見える道路の街路樹にはイチョウがハラハラと舞っていた。

この時期は石焼き芋が美味しい。不定期に現れる昭和時代の焼き芋売りが現れて隠世と共に買いにいくのがここ数年のお楽しみになっている。

 陽は作業を辞めて琥珀のアトリエに入室する。

言い合いがヒートアップしたのか大きい声で言い合いをしていた。陽は小説や絵、どのジャンルも制作するが主に小説を執筆している。絵は時たま描く程度だが琥珀とトールは絵を専門としている。それ故に両者共、絵に対してのこだわりがありぶつかっているのだ。

「ねぇ、お昼だけど」

陽の声に一瞬だけ静まる。

「今はこのヒトと食べたくありません」

「奇遇だね。ボクもだよ」

顔だけをそれぞれいない方向に向ける。 

(喧嘩した子どもか……)

目の前の光景がマンガのコマとして脳内再生する。

陽は絵の前に立つ。

「問題の部分は?」

「……ここです」

琥珀が指差す。

それは陽が一日目に書いた三束目の絵だ。

写真と色付けされた絵を見比べる。問題の被写体は手榴弾。手榴弾の上の部分─空き缶のような形をした上にウイスキーの蓋のような形が付いてる─の色で揉めているようだ。どの色か、と言われれば金色。写真では色が暗めになっているがそれでも金色と認識できる。

「#CBA135(サテンシーンゴールド)だね」

「そうです。なのにトールは……!」

トールはこの色を『もう少し明るめの色』と指定していた。陽は頭の中で色見本帳を並べながら妥当の色を探る。

「……#D3AF37(メタリックゴールド)は?」

「「#D3AF37(メタリックゴールド)?」」

琥珀とトールの声が重なる。

「きっとトールは#CFB56B(オールドゴールド)を指定したんじゃない?」

「そうなんです! それだと写真とは違う色になってしまう」

「だからそれはっ……この写真が少し暗い所で撮られたからで本当はもう少し明るいんだって」

トールが琥珀に突っかかる。やっぱり男子の喧嘩だ。

「はいはい、琥珀に突っかかるのはやめて。視界に男二人は暑苦しい」

陽は二人を引き剥がす。幼稚園の先生になった気分だ。

「琥珀は写真通りに暗くしたい。トールは明るくしたい。ならその中間は?」

陽の問いに二人は沈黙する事数秒後。

「……SUNの言うとおり、か」

トールはお手上げと言うように両手を上げた。

「SUN、あなた腕を上げましたね」

「分かるー。数年見ない間に実力付いてるよね」

いつの間にか琥珀とトールは仲良く話していた。さっきまであんなに喧嘩してたのにコロッと態度を変えている。

(こういう所が男子なんだよなあ……)

「SUNの言うとおり、ここは#D3AF37(メタリックゴールド)にしましょう」

「その色で良いよ。それなら現物と近い色だし」

「さ、食べましょう。オナカペンペコリンです」

二人がさっさと部屋を出る。

規定の時間を過ぎて十分ぐらいたった。昨日からこの生活リズムでやってるのだ。

こっちはすでにお腹が空いている。

腹いせに二人のお茶にナニか仕込もうか、と考えてやめた。少なくともトールには秒でバレる。琥珀はこういうお茶だと信じそうな気もするが。

「SUーN! 早く食べよー」

持ち前の運動神経で階下に素早く降りたトールが陽に声を掛ける。

「今行く!」

さて、隠世が作ってくれたお昼ご飯はなんだろうか。





五日目

約束の期間の中盤。

おやつの時間を過ぎた時間帯。

陽の仕事は順調だ。組まれたスケジュールよりも若干早い日程で線画が進んでいる。

琥珀やトールもそれぞれの役割分担に精を出している……かと思いきや、何故か陽の部屋に集まっていた。集まって絵に対しての意見を交換していると思いきや耳をすませば、ただただサボっている。

そんな環境の中で集中できるかと言えば否だ。陽は早々に筆を置いた。

「ちょっと」

陽が声を掛けると男性陣はこちらを向いた。

「あ、SUNも休憩?」

「二人とも、今は作業時間じゃないの」

トールがへにゃりと笑った。

「先方の返事がまだで何にも出来ないんだー」

琥珀も笑顔で言う。

「スランプです」

訂正、涼しい顔で堂々と笑顔で言い放った。

「SUNはすごいよね、中だるみしやすい期間なのに。集中力切れないんだから」

「今、二人のせいで切れたけどね?」

「では、わたしはお茶を入れてきますね」

「よろしくー」

まるで陽の集中力が切れるのを待っていたかのように連携し始めた。

琥珀はお茶を入れに(きっと茶菓子も持ってくるのだろう)、トールはどこからか持ってきたミニテーブルを設置して座布団を置き始めた。

「ほら、SUNも休憩しよ。仕事詰めだと後々大変だよ」

「スケジュールは大丈夫なの?」

「たぶん? ……まぁ、今日は雨だし」

トールが窓を指差す。

今日は日付けが変わった頃から雨が降っていた。一定に聞こえる雨音が心地良い。

「分かった」

陽は椅子から下りて少しだけ伸びをした。お昼休憩から三時間ほど経過して体が固まっている。ここ数日はそれの繰り返しだ。

ストレッチしながら琥珀が戻ってくるのを待つ。

「体が柔らかいね」

ストレッチをしていた陽を見ながらトールが呟いた。

「毎日、時間がある時にしてるから」

「へぇ。感心感心」

簡単なストレッチを終えて座布団に座る。

その数拍後、琥珀がティーセットを持ってきた。

「おまたせしました。……お茶はダージリンですよ」

そんなに広くないテーブルに三人分の紅茶を置いて中央にコンビニで買ってきただろうスタンダードなシュークリームを置いた。

「買いに行ったの?」

陽が琥珀問うと琥珀はピースしながら言った。

「トールに買いに行かせました」

「早朝、出る予定があったからね」

「その時に引っ捕まえまして」

「コンビニスイーツってこんなに高かったっけ?」

紅茶を一口飲む。華やかな香りが鼻を抜けて気分を切り替える。

「値上がりの世の中だからねえ……なんでも高くもなるよ」

「わたしが日本に来た時は『歴史的な円安』なんて呼ばれてましたしね」

それぞれシュークリームを手に取って袋を開けて黙々食べる。

スイーツを食べ終わるのは一瞬だ。軽ければ軽いほど食べ終わるのは早い。

「ねぇ、SUN。何か話して」

「は? いきなりすぎるんですけど」

陽は脳内で検索して雑談を探す。

「……調べるのは自己責任だからね。数年前、友人が教えてくれた虫の命名の話。トゲアリトゲナシトゲハムシがどうやって名付けられたか」

「トリ……?」

琥珀は困惑するが、トールは吹き出した。

「あ、それ知ってる。いかにも日本人って感じだよね。でもそれってトゲトゲじゃない? そう聞いたんだけど」

「そういう呼び方もあるらしいね。友人はトゲハムシ呼び派って言ってた」

陽は紅茶を一口含んだ。これから早口言葉のような羅列を口にするためだ。

「ざっくり説明だったけどね。棘があるハムシが発見されてその種はトゲハムシと名付けられた。で、トゲハムシの種に今度は棘が無いトゲハムシが発見されてトゲナシトゲハムシと名付けた。それまた、その種に棘が少しだけ生えてるトゲナシトゲハムシが発見された。区別する為にトゲアリトゲナシトゲハムシと名付けられたハムシの一種がいる」

陽の説明に呆然とする琥珀。なんとか自分の中に呑み込み、一言。

「有り無しを付ければ良いと思ってます?」

「あと聞いた話しだと、ゴミムシに似ているけど違うグループにいるゴミムシダマシ」

「『騙し』を付ければ良いって問題ですか⁉」

淡々と話す陽にツッコミをする琥珀。

トールはその二人を見て爆笑している。

「そのゴミムシダマシの中にてんとう虫に似たテントウゴミムシダマシ」

「てんとう虫に似てるからって、てんとう虫の名前を追加するんですか……」

「で、その中に黒い斑点のあるテントウゴミムシダマシの事をクロホシテントウゴミムシダマシと名付ける」

「……まだ理解はできます。特徴を記載するのは大事ですから」

「更に調べるとよく似てるけど違う模様を持っているクロホシテントウゴミムシダマシが発見された」

「まさか……」

「名付けられたのは『偽』を付けたニセクロホシテントウゴミムシダマシの名前を付けられた虫が誕生した」

「虫の名前まで寿限無にする事無いじゃ無いですか!!」

「あっはっはっはっは‼ 思った通りの反応! 流石 琥珀っ…………ゲホッ」

トールがついに咳き込んだ。

「まさかこんな話で寿限無を聞くとは思いませんでした……」

予想外の話でツッコミ疲れたのか、琥珀は紅茶を飲んだ。陽も口を潤す為に紅茶を手に取る。

トールは笑い転げていた。

「まあ最初に言った通り、さっき言った虫を調べるのは自己責任だよ」

「分かりました……それにしてもそのご友人はとても詳しいんですね」

「虫を題材にした物を創作した時に調べたって言ってたと思うけど」

「ハーっ……どこで役にたつか分からないのに、創作に必要だからっていう理由で頭に入るんだよね。そういう知識って」

大笑いから復活したトールが座布団に座り直して話に入ってきた。

「学校で習う勉強は頭に入らないのに、自分が興味あるものだとすんなり入るんだよね」

「それが私達(創作者)の宿命でしょ。トールがそう言ったんじゃなかった?」

「そうでした」

 その時、トールから音楽が流れた。

陽と琥珀が音楽の発生源であるズボンのポケットに視線が向く。

トールは携帯を取り出しながら咳払いをして電話に出た。

「Hola(ハロー.). Llega(随分) bastante (遅かっ) tarde(たね)」

微かに聞こえるのは男性の声だった。

「……¿Y,(で、) pudo(上手く) despis(撒け)tarlos(たの)?…………Hm(ふーん)…………」

陽は琥珀と目で会話する。

(……何語?)

(……スペイン語、ですね)

「¿Qué(え?)? ¿Habla(それ) en serio(本当に?)?」

トールの焦る声。何事かとトールを見る。

「¿Eso nos (こっち) toca a(の) nosotros(負担?)?…………Hm(っ)……Entendido(分かった).

Envíeme (追加分)los datos(はボク)adicionale(のパソ)s a mi (コンに) portátil(送って)」

陽はスペイン語は分からない。

トールの反応と琥珀の表情で察するしかない。琥珀を見れば、目を丸くしてトールを凝視していた。

「De acuerdo(了解)…………Ya lo sé(分かってるよ)……Adiós(ばーい)」

通話を切り、大きな溜息をつく。

「あ゛ー」

「トール?」

「……悪い知らせがある」

陽と琥珀の視線がトールを見続ける。

「あと十種類追加になった」

「は?」

琥珀が今までに聞いたことのない低音を出した。

陽は壁に貼られてある写真を咄嗟に見る。

初日から六割は確実に減っている。だからこうして雑談が出来ているのだ。

「あと五日でこれに追加で十種類が追加されるの……?」

壁にある写真を指差しトールに確認する。

「約束の期間は変更しない。SUNはあと五日で残ってるのと追加分を書き上げて」

その言葉に陽と琥珀は頭の中で組んだスケジュールをすぐさま修正にかかる。

「今からデータが送られてきてボクがプリントアウトする。それをSUNに渡す」

トールはそう言うと残っている紅茶を飲み干し立ち上がった。

「SUNは急ピッチで全部上げてボクに回して。琥珀はなんとか一日延ばすからそれで仕上げて」

「トール、あなたは?」

「ボクはプリントアウトしたやつをSUNに追加した後、馴染みの印刷所に日程変更を伝えてくる」

トールは二人に指示を出しながら部屋を出る。

「待ちなさい、トール」

琥珀がトールを引き止めた。

「一日延ばす必要はありません。わたしのマジ本気、見せてあげます」

「……できる?」

「人気画家を十日間も捕まえてもう一日延ばす? 冗談じゃありません。翌日から次の予定が入ってるんです。『できる?』ではなく『やり切る』んです」

琥珀が強い口調で言う。

その言葉には己のプライドと経験による確かな自信があった。

「助かる」

トールはそれだけ言うと、自身の部屋に向かった。

陽と琥珀はそれを見送った。

「さてSUN。なるはやで線画、お願いしますね」

「りょーかい」






十日目

日が昇らない早朝。

陽は短時間の睡眠を取った後、アラームを鳴らしてこの時間に起きる。

トールによるあの追加分の宣言をされてから、怒涛の日々が過ぎた。正直に言えば寝食の時間を削って描きたかったが、隠世と『夜更かしはしない』と約束し三食を頼んでいる以上、その二つの時間は絶対に確保している。

陽は簡単に顔を洗い、すぐ部屋に戻り写真を見ながら絵に向かう。

最終日に描くのは色付け無し、サイズの記載をメインとした絵だ。追加分が増えたせいで夕方には帰ることが不可能になってしまったため、隠世には一昨日の夜時点で終わるのが夜になる事を言ってある。

その為、追加で今日の簡単な夕食分を頼み四食分を昨日持ってきてくれた。

隠世が迎えに来るのは本日の二十一時。それまでには終わらせなければ。

約二時間後、朝日が窓を通り部屋を照らす。

それを肌で感じながら絵を書き進めた。

コンコン、と部屋の扉を叩く音が聞こえる。

「SUN、起きてる……?」

「起きてるよ」

トールの声にすぐ様答えると、扉が開いた。

「早いね」

「今日までだからね。速く書き上げたいから」

写真を見ながら言う陽は気づいてない……トールが真っ青な顔をしている事を。

「えっと……SUN。いや、SUN様」

陽の手が止まる。

「…………なに」

トールが勢い良く何かを出した。

「何、これ」

陽の声が低くなる。

当然だ。目の前に出されたのは数枚のプリントアウトされた紙。

どれもこの十日間で見たことの無い物が被写体として写っている。

「…………本当に最後の追加分デス」

「一昨日の追加で最後って言ってなかった?」

トールが空気を察して正座する。

「……イイマシタ」

「なのにまだあったんだ」

「……ハイ」

「ふーん……」

陽は無言でトールからプリントを奪い、パラパラと見ていく。

時間は一分ぐらいだったが、朝日が暖めた部屋が急激に冷やされていく。

「………………ハァ」

陽の大きなため息が溢れる。

トールがビクッと体を揺らした。

「早く自分の作業に行ったら?」

「やってくれる……?」

「引き受けた以上、やるよ」

トールは勢い良く手を併せて拝みだした。

「神様仏様SUN様ー!」

「はいはい」

陽は手で軽くあしらってトールを部屋から追い出す。

「絶対に終わらす」

非正規創作者としてのプライドがラストスパートの燃料になる。



二十二時

 隠世との約束の時間を一時間オーバーしてしまったが、なんとか描けた。

今はトールが描けた分をチェックしている。

「………………うん。完璧」

その一言で全身の力が抜けた。

トールは一度机に絵を置くと立って陽に頭を下げた。

「ありがとう。SUNのおかげで助かった」

「…………あなたの為じゃない。あの人(・・・)の顔を立てただけ」

「……それでも。ありがとう」

数拍の沈黙が落ちる。

「帰る。隠世が来てるんでしょ?」

「うん。玄関で待ってる」

陽は十日間で溜まった荷物と上着を持って部屋を出る。

「SUN、終わったんですね」

廊下を挟んだら部屋から琥珀が出てきた。顔には隈(くま)が濃く出ている。

「琥珀は?」

「わたしはもう少し掛かりそうです」

部屋からはインクの独特な匂いが漏れている。

「ダイジョウブです。わたしは『琥珀』ですよ? あなたも、お疲れ様でした。帰ってゆっくり休んでください」

「琥珀もね」

この十日間を耐え抜いた戦友同士、互いに握手をする。

普段から命の危険があるこのご時世、今度はいつ会えるか分からない。今回は互いに仕事を熟しながら技術を盗み合った。

これからの創作人生の助けになるだろう。

「それじゃ」

琥珀に別れを告げ、玄関に向かう。

靴を履き終わったあと、トールが最後に呼び止めた。

「SUN。これ」

トールが陽に渡したのは大量の札束が入った茶封筒だ。

陽は黙って受け取り、荷物へ突っ込む。

「トール、本当に私達の事は漏れないんだね?」

「うん。キミたちの事は絶対に悟らせない」

「……分かった、信じるよ」

陽はそう言うと玄関を開ける。

外では隠世が立っていた。

「お疲れ様、主」

「隠世、待たせてごめんね」

陽と隠世の視線が交わる。

「平気だ」

隠世は陽が持っていた荷物を代わりに持つともう片方の手を差し出した。

「夜だし疲れもたまっているだろ?」

「……ありがと」

街灯が少ない道を人知れず二人が歩いていく。

その光景を窓越しからトールが無表情で見ていた。

人物紹介


 井戸口(いどぐち) 陽(はる)

女性/22歳/非正規第2等級

・ペンネームはSUN(サン)。

・今回、トールと琥珀と共に10日間の缶詰で某図鑑(という名のカタログ)を制作した。

・6日目から量が多くて空気がピリついていたが隠世が作ってくれたご飯だけが唯一の息抜き時間だった。

・このあと、家に帰り爆睡(悪夢付き)する。



 隠世(かくよ)

男性/28歳

・陽の護衛。第三者がいる時は陽の事を「主」「SUN」と呼び、陽の名前を絶対に言わない。

・トールに強制的に陽と引き剥がされ若干荒れた。陽への差し入れを作る時だけは心が安らいだ。似た者主従。

・毎週土曜日に電菊と手合わせをしているがこの日はいつも以上に厳しかった(by電菊)

・毎日18時に陽と瞬間的な再会で心を持ち直していた。陽と再会出来た瞬間、何もかもがリセットされた。



 トール

男性/31歳/非正規創作者第3等級

・ペンネームがトール。

陽とは知り合い。陽の恩人らしい。

・依頼人が頼んだ武器業者から追加の仕事が来る度に陽と琥珀に低姿勢で仕事を追加していった。

・陽と琥珀が絵を描いている間、ページのレイアウトや値段の確認等の事務作業をしている。

・このあと、徹夜で馴染みの印刷所へ駆け込んだ。

【馴染みの印刷所】

非正規(犯罪者)が活用する印刷所は当然、違法経営している印刷所である。

その為、法外な値段でふっかけられるときもあるが、馴染みになればなるほど価格はほんのちょっとだけ下がる。が、それでも法外な値段である。

故に、あまり売れてない非正規は自分で和綴じをする。



 琥珀(こはく)

男性/32歳/非正規創作者第2等級

・ペンネームが琥珀。

・生粋のイタリア人。日本に来たのは15年前らしい。

背が高く、黄金(こがね)色に輝く金髪がチャームポイント。たまに死語を使っているが、本人は死語だと気づいていない。周りも通常過ぎてツッコまない。

・10日間、陽と共に仕事をしながら互いに技術を高めた。

・このあと、仕事を完遂して即、自分のアトリエに帰った。

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