第3話 その①
カフェRoost。そこのテラス席に陽と隠世はいた。
スプレーで髪色を変えてメガネと帽子で変装した二人は、セットの前菜を食べ終え、メインを待っていた。
今は十一月上旬。予報では気温は十五度と言っていた。
この席はインテリアの木に囲まれており、外からは見えにくくなっている。
世間から追われる身としてはありがたい。
世間から追われているなら外食などしない方がいいだろう、という人はいるだろう。確かにその通りなのだが、それだと気が滅入ってしまう。
それにまさか同じ店内で食事している人間が、犯罪者だとは思わないだろう。
「ランチのメイン、お待たせしました。燻製サーモンと野菜のクリームパスタ……燻製ベーコンのカルボナーラです」
陽の前にサーモンと野菜のパスタ、隠世の前にカルボナーラが置かれる。
この店は訳アリ陽の御用達だ。理由は店員も訳アリで探ろうとしてこないから。今、メインを持ってきた彼も訳ありの一人だ。実年齢は十六だが、長身のおかげか十八程度に見える。勤続年数二年以上のベテランだ。
「おいしそー。今回は何の燻製なの?」
「今回の燻製はヒッコリーのチップを使用いたしました」
「へえ」
「ごゆっくり」
スタッフは一礼して出ていった。
「お前はこの店好きだよな」
隠世はメインと一緒に運ばれてきたカトラリーを引き寄せた。
Roostにはだいたい三ヶ月に一回は来ている。ここに来るときは、だいたい新作を書き始めたときか、それが書き終わった時だ。
「前にも言ったじゃん。自分で初めて稼いで食べた外食がここだったって。初心を忘れないように的な? あとぉ──」
陽が不必要に言葉を貯めている間に、ナイフとフォークを渡す。
「単純に美味しい」
「そうでっか」
パスタを口に含むと、ヒッコリーの香りが鼻から抜けた。
もう少しで完食というところで、ドリンクとデザートが運ばれてきた。
陽はいつもドリンク&デザート付のCセットを頼み、隠世はメインと前菜のみのAセットを頼んでいる。陽は食べたいものを食べるというスタンスで、隠世は帰り道の警護もあるし、身軽のほうが良いという観点からいつもこの量だ。
「お待たせしました。ダージリンのホットとフォレ・ノワール~ピスタチオの雪~です」
スタッフはティーポットとケーキを置いた。
「ありがとー」
「ごゆっくりどうぞ」
スタッフは一礼して戻って行った。
「なんだそれ」
「サクランボのケーキだよぉ」
「ほーん。なんでこう店で出るデザートってよく分かんねえ名称が多いんだろうな」
これは隠世の長年の疑問だ。
「そっちのほうが美味しそうだからじゃない?」
そう答えて陽はケーキを頬張った。
「んー美味しー!」
美味しそうに食べる陽を隠世は頬杖をついて見ていた。
「ってか、昨日も甘いもん食ってなかったか? 電菊が持ってきたやつ。さすがに太るぞ?」
陽の食べる手が一瞬止まった。その瞬間に隠世の脛に衝撃が来た。
「陰湿か。鍛えてるから痛くねえけど」
陽はテーブルの下で隠世の足を蹴るのを辞めた。
「その分運動してますう」
「帰ったら手合わせと筋トレな」
陽はそういう隠世を無視して食べ進める。
隠世は徐々に中身が減っていくカップに紅茶を注ぐと席を立った。
「一瞬、席外すわ」
「トイレ?」
「おまっ……わざと言葉濁したんのに」
「いってらー」
陽はひらひらと手を振って見送った。
既に前菜とメインで結構満腹だった陽は、スマホのメモ機能で次作の構想をまとめながら少しずつ食べ進めた。
「あ、君。ホットコーヒーとティラミスお願い」
男の声でそう注文したのが聞こえた。それはテラス席と店内の境目で行われて陽は嫌な予感がした。
声の主は隠世が座っていた席に座って陽の空のカップに紅茶を注いだ。
「何の用?」
胸から下の服装と注文の時の声で誰かわかった陽は冷たく言った。
「少し協力して欲しくって」
「協力?」
続きを訊く前に男が注文したものが運ばれてきた。
「お待たせいたしました。ホットコーヒーとティラミスでございます」
「ありがとう」
コーヒーにはフレッシュとスティックシュガーが付いていたが、男はどちらも入れずに口をつけた。
続けてティラミスも口に運ぶ。
「うっま。さすが、君が度々来るだけのことはあるね」
「早く、用件」
陽は自分のケーキを食べ終わり組んだ腕をテーブルの上に置いた。
「そうだった。君にある絵を書いてほしいんだ」
「私じゃ無くても良くない?」
陽は食い気味に言った。
「いいや? 君に書いてほしいんだよ、SUN」
会話をしつつも食べ進めて男は最後の一口を頬張った。
そして、席を立った。男がコンマ五秒前にいたところには、男の首筋があり隠世はそこにどこからか持ってきたフォークを突き立てていた。
「あぶないあぶない」
「何者だ」
隠世は男を睨んだ。本当は殺気を出したいところだが、今は外出先で、少し離れているとはいえ一般人もいる。この状況で殺気を出すのは良くない。
「おー怖い怖い。SUN、良いの見つけたね」
男は怖いと言いつつも、そんなことは微塵も思っていなそうだ。
隠世は男と陽の間に立った。
「で、協力してくれる?」
男は覗き込んで訊いた。
「知り合いか?」
隠世の問いに陽は小さくため息をついた。
「恩人……の一人かな」
「おっ、恩人認定してくれんの? 嬉しいねぇ」
ニヤニヤとした男の様子に隠世はさらに警戒を強めた。
「おい、本当に恩人なのか?」
「……一応」
その後、陽は小声で「癪だけど」と続けた。
「で、どう? SUN」
「お前、主に何をさせるつもりだ」
「何って、創作だけど?……もしかしてこのワンちゃんにボクの事言ってないの?」
陽はため息をついて男を紹介した。
「隠世、この人は同業者のトール。絵が主だよ」
「どうもトールでーす。以後お見知りおきを」
トールはゆるーく敬礼した。同業者ということは非正規創作者だろう。
「お前と主が同業なのは理解した。が、その創作は本当に主が必要なのか?」
「ああ、必要だね。必須と言ってもいい。なんせ、今回は超短期間で制作する必要があってね。正確に描写するSUNの力を貸して欲しいんだ。他の絵師にも声を掛けて色付けを頼んである。SUNに書いて欲しいのは線画だけだよ」
背中の陽を見ると顎に手を当てて考えているようだ。
「………分かった。協力する」
「感謝するよ! SUN。これで間に合う!」
トールの顔がぱあっと明るくなる。「お礼にここは奢るよ」とテーブルに置いてあった伝票を手に取った。
「へぇ、『シェフの本日おすすめランチセット』頼んだんだ。今度頼んでみ……高くない?」
「おかげさまで、稼いでるから」
「それはそうか。お会計してくる先に出ててよ」
トールが席を立つと、陽と隠世も荷物を持って席を立った。
「あいつ、本当に信用していいのか?」
店のすぐ外でトールが会計しているところ見ていた隠世は陽に訊いている。
「信用はしても良いと思う。結構嘘臭いけど」
その声にはどこか諦めが含まれていた。
「隠世的にはどう?」
「嘘臭いっていうのは同感だ。第一印象としては裏が透け無いって感じだな」
トールは追加で緑一色の金平糖を買ったようだ。
「おまたせー。じゃ、ボクのアトリエに案内するよ」
トールは二人を先導して歩き出した。
カフェRoostからトールのアトリエは少し距離があった。まさか町の中心から郊外まで出るとは思わなかった。
「ここがボクのアトリエだよ」
辿り着いた一軒家はかなり大きく、広めの庭もあった。
「大きいね」
「そりゃあね? たくさん人が出入りするから。さ、入ろうか」
陽に続いて隠世も入ろうとしたが、トールが止めた。
「ああ、君はダメだよ。ワンちゃん」
トールは制止して理由を話した。
「今回は結構、機密が多いんだ。なるべく人の出入りは少なくしたいんだよ」
「俺はSUNの護衛だ。いついかなる時も側にいるのが仕事だ」
隠世はほんの少しだけ殺気を出す。一般人ならこれで少しは物怖じするはずなのだがーー。
「いっちょ前に殺気なんか出しちゃって……本当にワンちゃんだね」
トールは笑うだけで臆する様子はない。
「でも、ダメなものはダメ。安心してよ、SUNはボクが十日間、ちゃんと面倒を見るからさ」
「十日?」
「そ。このアトリエで十日、泊まり込みでやってもらう」
隠世はトールの言葉に殺気を膨らませる。
「っふざけ──」
「──隠世」
陽は隠世の言葉を遮って続けた。
「家からとりあえず二泊分の着替え持ってきて」
「主!」
「で、食料を買って十日分の食事を作って。それを、毎日夜十八時に三食分差し入れしに来て」
「……差し入れ?」
「うん。で、その時に着替えの交換をする。それなら一日最低一回は互いに顔を確認出来るでしょ?」
「考えたねぇ、SUN」
「信用はしてるけど信頼はしてないから」
陽はトールを一瞥した。
「それでいいよね? トール」
「良いよ。今回は急だったし、それぐらいは譲歩してあげる」
「隠世、次に会うときは今日夜十八時。良い?」
隠世は膨らませていた殺気を抑えて頷いた。
「……分かった。夜十八時、だな」
「うん。お願いね」
「ちなみにワンちゃん、ボクのご飯は」
「てめえは自分で出前頼むなり自炊するなりしろ。主のを勝手に食ったら殺す」
隠世は食い気味で言った。
「こわあ」
トールはわざとらしく肩をすくめた。
「じゃ、行こうか。SUN」
「分かった」
陽が答えるとトールは玄関を閉めた。中から鍵が閉められて音がする。
隠世は閉められた玄関を見つめていた。
ふいに首輪に手が伸びる。首輪を掴んで何回か息を吸っていると不思議と気持ちが落ち着いてきた。
「(陽なら大丈夫。)急いで帰らねえと」
「ここが君の仕事場だよ」
陽はトールにこれから缶詰めになる部屋に案内された。
陽が部屋を見渡すと、ある辺の壁にびっしりと写真が貼ってあった。
「君が線画を描くモデルたちだ」
近づいてよく確認した陽は目を丸くした。
「──これって!」
今までの朗らかだった陽を見るトールの目が、嘘のように冷たくなる。
「今更、怖気づいた?」
「……」
「ボクが声を掛けた時点である程度分かってたでしょ? こういう仕事だって」
「――っ」
トールはまた朗らかな目つきに戻した。
「まぁこの十日、気楽にやっていこうよ。ハードスケジュールだけどね」
トールは予め(あらかじめ)決めておいたスケジュール内容を思い出して笑った。
「大丈夫、君の名前は絶対に出さない。そういえば、この前のBCMで共同制作したんだってね? 今回は逆の立場になったね」
ニコニコと話すトールに陽は腹をくくった。
「何から手を付ければ良い?」
「これから順番に頼むよ」
陽はトールが指した写真を手に取って描き始めた。
十日後の深夜、陽は久しぶりに帰って来た。
「ぁー…………つっかれたあ……」
リビングのソファーに飛び込む。
「おつかれさん」
隠世は陽にマグカップを差し出した。中身はホットココアだ。
「しばらく絵はみたくないかきたくないぃ……」
陽は起き上がりマグカップを受け取って口に含んだ。適温より少し熱めにされた甘さが、喉を通って身体を温めた。
「隠世が差し入れしてくれた食事が唯一の癒やしだったよお」
「それはどうも」
「はあ……ココア沁みるぅ……」
「飯は? 冷凍したスープならあるが」
「いらなーい。ひるまでねるー」
陽は飲み終わったマグカップを隠世に渡すと自室に向かった。
「あ、寝る前に歯ぁ磨けよ。せめて洗口液だけでもしろ」
「うーん。わかったあ」
隠世がマグカップを片付けている間に陽がベッドに倒れこむ音がした。
隠世の寝る準備は既に済ませてあるので、特に時間もかからず入室した。
陽は布団をかぶらずに寝息をたてていた。
「風邪ひくぞ」
布団をかけなおしてから照明の光量を絞る。
「お疲れ様、主」
隠世は陽のベッドの横であぐらを掻いて目を閉じた。
一応自室はあるのだが、使ったことはほぼ無い。
理由は―――
「……ッ、……あ……う……イヤッダメ………!」
陽はうなされて空中に手を伸ばしている。
顔を覗き込めば寝ながら泣いている。
「陽、それは夢だ」
陽の手を握って耳元で囁く。
「過去の出来事だ……ゆっくり息を吸え」
隠世の声に反応してか呼吸が穏やかになっていく。
「そうだ……そのままゆっくり息を吐くんだ…………そう、上手いな」
しばらくすると、陽の呼吸が安定し、穏やかな寝息をたて始めた。
「今度こそおやすみ、我が主」
部屋から出ると、廊下で同じようにあぐらを掻いて目を閉じた。




