黒き巨人
第二章 失われた文明編
第86話 黒き巨人
前書き
敵とは、
何でしょう。
こちらを襲う者。
傷つける者。
壊そうとする者。
ならば。
こちらを知っている者は、
敵なのでしょうか。
そして。
苦しんでいる者もまた、
敵なのでしょうか。
その日。
ノアは初めて、
倒してはいけない敵と出会いました。
⸻
黒き巨人は、動かなかった。
崩れた道路の中央。
地下から這い出したその巨体は、周囲の高層建築物と肩を並べるほど巨大だった。
全高、六十三・四メートル。
表面を覆う黒い結晶。
人間に似た二本の腕。
二本の脚。
頭部らしき場所。
だが。
顔はない。
ただ中央に、一つ。
赤い光。
眼。
それだけがあった。
【対象:超大型侵食体】
【全高:63.4m】
【構造解析:不能】
【生体反応:不明】
【危険度:測定不能】
その赤い眼が。
ノアを見ていた。
『――七……番……目』
ノイズ混じりの声。
耳から聞こえたものではない。
ノアの内部通信へ直接届いている。
「……自分を」
ノアは巨人を見上げた。
「知っている」
⸻
E-01が巨大な盾を前へ出した。
「E-07」
「後退」
ノアは動かない。
「命令」
「後退せよ」
「……待って」
E-01の頭部がわずかに動く。
ほんの少し。
だが。
それは以前ならなかった反応だった。
「理由を提示」
「通信している」
「敵性個体と?」
「不明」
E-03が刃を構えながら言う。
「十分敵だろ」
「こちらを見ている」
「だから敵だ」
「違う」
「何が違う」
ノアは答えられなかった。
論理的な説明ではない。
巨人は自分を知っている。
ただ、それだけ。
しかし。
それ以上の何かを感じる。
【敵意:判定不能】
【攻撃行動:なし】
【苦痛反応:――】
ノアの処理が止まる。
苦痛。
なぜ。
その単語が出た。
⸻
巨人が。
動いた。
E-03が即座に前へ出る。
「来る!」
E-02の砲口が巨人の頭部を捉える。
「射撃準備完了」
E-06も重火器を展開。
「同時射撃可能」
E-01が判断する。
「待機」
E-03が振り返った。
「何?」
「攻撃動作を確認していない」
「さっきまで敵だった連中と同じものだぞ」
「E-07の報告を確認する」
一瞬。
ノアがE-01を見る。
【行動:待機】
【理由:E-07の情報を優先】
以前なら。
E-01は敵性反応を確認した瞬間、攻撃を命じていた。
命令。
戦術。
効率。
それがE-01だった。
だが今は。
待った。
ノアの言葉を聞くために。
⸻
巨人はゆっくり腕を上げた。
七機が警戒する。
だが。
腕はノアたちへ向けられなかった。
巨人は。
自分の胸を掴んだ。
黒い結晶。
そこへ巨大な指を食い込ませる。
ギギギギギ――
嫌な音。
結晶が砕ける。
黒い液体が流れ落ちる。
E-05が解析する。
「自己損傷行動」
「内部から何かを除去しようとしている?」
巨人が震える。
『……な……な……』
ノアが一歩進む。
「何」
『な……か……』
「?」
『なか……に……』
声が途切れる。
巨人が突然、頭を抱えた。
『ア』
『アア』
『アアアアアアアアアアアアア――!!』
咆哮。
空気が震えた。
周囲の窓ガラスが一斉に砕ける。
ノアたちの足元に亀裂が走る。
「防御!」
E-01が盾を地面へ突き立てる。
衝撃波。
七機が押される。
さらに。
周囲に散らばっていた侵食体の残骸が一斉に反応した。
黒い液体が地面を走る。
巨人へ。
集まる。
「まずい!」
E-05が警告。
「周辺侵食物質が大型個体へ吸収されています!」
巨人の身体が膨張する。
砕けていた結晶が再生。
胸部を覆う。
ノアが呟く。
「……閉じ込めている」
E-03が叫ぶ。
「何を!」
「分からない」
だが。
分かることが一つある。
この巨人は。
自分から侵食しているのではない。
侵食されている。
⸻
研究所。
セレナが解析画面を凝視していた。
「信じられない……」
アルベルトが近づく。
「どうした」
「大型個体の内部です」
画面。
黒い侵食反応。
その中心。
別の反応。
「生体反応があります」
「生体?」
「違う……」
セレナが拡大する。
人型。
小さい。
巨人の中心に。
何かがいる。
アルベルトの表情が変わった。
「映像を出せ」
「でも解析精度が――」
「構わん!」
ノイズ。
乱れた映像。
黒い結晶の奥。
そこに。
人間のような輪郭が見えた。
管制室が静まり返る。
「人……?」
誰かが呟いた。
アルベルトは答えなかった。
顔色を失っていた。
「違う」
「これは……」
老人の手が震える。
「実験体だ」
⸻
戦場。
E-05から情報が共有される。
【大型個体内部】
【人型反応:確認】
E-03が止まる。
「中にいる?」
E-02が照準を下げる。
「射撃中止を提案」
E-06も砲口を下げた。
E-01が判断する。
「全機」
「攻撃停止」
巨人が咆哮する。
腕が振り下ろされた。
「回避!」
道路が吹き飛ぶ。
今度は明確な攻撃。
だが。
動きがおかしい。
右腕で攻撃しながら。
左腕が右腕を押さえようとしている。
止めようとしている。
【行動矛盾】
【右腕:攻撃】
【左腕:抑制】
ノアは見ていた。
「戦っている」
E-01が問う。
「我々と?」
「違う」
ノアは巨人の胸を見る。
「自分自身と」
⸻
巨人が再び腕を振るう。
E-03が跳ぶ。
刃を構える。
首。
切断可能。
だが。
「E-03!」
ノアが呼んだ。
E-03の刃が止まる。
ほんの一瞬。
巨人の肩を蹴り、そのまま空中で反転。
着地。
「……何だ」
「壊さないで」
E-03はノアを見る。
「敵だ」
「中にいる」
「だから?」
「助けられるかもしれない」
「かもしれない?」
「そう」
E-03は沈黙した。
効率だけなら。
首を落とすべき。
中に何がいようと、巨大侵食体を破壊すれば脅威は消える。
だが。
ノアが言った。
助けられるかもしれない。
E-03は刃を構え直した。
「……面倒だな」
そして。
刃を逆手に持つ。
「なら外側だけ削る」
【E-03】
【戦術変更】
【理由:救助可能性】
ノアはその行動を見る。
「ありがとう」
E-03の動きが一瞬止まった。
「……何だそれは」
「ユリアが使う」
「意味」
「助かった時に言う」
E-03は数秒黙った。
「不要」
そして走った。
だが。
速度は。
ほんの少しだけ上がっていた。
⸻
戦術が変わる。
殺すためではない。
剥がすため。
E-02が関節部だけを狙撃。
E-03が黒い結晶を切り離す。
E-06が火力を最低出力まで落とし、侵食体の再生部分を焼く。
E-04が市民避難を継続。
E-05が内部反応を解析。
E-01が巨人の攻撃を盾で受け止める。
そして。
ノアが。
胸部へ向かう。
「E-07!」
E-01の声。
「何をする」
「中へ行く」
「危険度」
「高い」
「生存率」
「不明」
「なら許可できない」
ノアが止まる。
E-01を見る。
「でも」
「中にいる」
沈黙。
巨人の拳が迫る。
E-01が前へ出る。
盾。
衝突。
ドォォォォン!!
地面が沈む。
E-01の左腕から警告音。
【装甲損傷】
【左腕出力低下】
それでも。
盾を下げない。
「……行け」
ノアがE-01を見る。
「?」
「E-07」
「中へ行け」
「でも」
「この個体は」
E-01は巨人の腕を押し返しながら言う。
「私が止める」
ノアの内部で。
何かが動いた。
これは。
命令ではない。
戦術指示だけでもない。
自分が行くために。
E-01が残る。
【行動分類】
【――援護】
ノアは答える。
「了解」
一歩。
そして止まる。
「E-01」
「何だ」
ノアは言った。
「ありがとう」
E-01は。
数秒。
何も答えなかった。
そして。
「……早く行け」
ノアは走った。
⸻
E-03が道を作る。
「七番!」
黒い結晶を切断。
「今だ!」
ノアが跳ぶ。
巨人の腕。
肩。
胸。
駆け上がる。
侵食物質がノアへ伸びる。
E-02の射撃。
撃ち落とす。
「進め」
E-06の砲撃。
背後を守る。
「進路維持」
E-05。
「胸部中央、三・二メートル下!」
仲間たちの声。
ノアは進む。
そして。
巨人の胸へ手を伸ばす。
黒い結晶。
触れた。
瞬間。
世界が。
消えた。
⸻
白い場所。
ノアは立っていた。
「……?」
戦場ではない。
研究所でもない。
何もない。
白い世界。
目の前に。
一人の人間が立っている。
男性。
白衣。
若い。
だが。
身体の半分が黒く侵食されている。
男はノアを見る。
そして。
泣いた。
「……やっと」
ノアは動かない。
「誰」
男は笑う。
苦しそうに。
「覚えてないか」
「……不明」
「そうか」
男は自分の胸へ手を当てた。
「なら」
「それでいい」
ノアの内部に。
古い記録が反応する。
【照合中】
【該当データ:破損】
【復元率:3%】
男は言った。
「E-07」
「いや」
一度。
首を振った。
「ノア」
その名前で。
記録が揺れた。
「ユリアが」
男は言う。
「そう呼んでいた」
ノアの赤いセンサーが大きく揺れた。
「……ユリアを」
「知っている?」
男は。
静かに頷いた。
「知っている」
そして。
遠くを見る。
「彼女は」
「最後まで君を待っていた」
世界が。
止まった。
⸻
「……待っていた」
ノアが繰り返す。
「そうだ」
「帰ると」
「言った」
「……そうだ」
「自分は」
言葉が止まる。
「帰った?」
男は答えない。
その沈黙だけで。
ノアには分かった。
【約束】
【帰還】
【結果:――】
「……帰っていない」
初めて。
ノア自身が。
答えを出した。
男は目を閉じた。
「ああ」
白い世界に。
小さな音がした。
紙。
何かが落ちる音。
ノアが下を見る。
紙飛行機。
ユリアが折ったもの。
ノアは拾う。
それは記憶。
本物ではない。
それでも。
手に持った。
「あなたは」
ノアが問う。
「誰」
男は少しだけ笑った。
「私か」
黒い侵食が。
男の首まで上がってくる。
「私は――」
ノイズ。
名前が消える。
「第一門の」
さらにノイズ。
「管理――」
白い世界に亀裂。
男の姿が崩れる。
「待って」
ノアが言った。
男が驚く。
「今」
「何を?」
「待って」
ノア自身も驚いていた。
情報が欲しいからではない。
解析したいからでもない。
この人を。
消したくない。
「あなたを」
「助ける」
男は。
ほんの少しだけ。
笑った。
「……やはり」
「彼女は正しかった」
白い世界が崩れ始める。
「ノア!」
男が叫ぶ。
「門を――」
ノイズ。
「開かせるな!」
そして。
最後の言葉。
「侵食体は――」
世界が黒く染まる。
「敵じゃない!」
⸻
現実。
ノアの視界が戻った。
巨人の胸部。
黒い結晶。
仲間たちの声。
「E-07!」
「応答しろ!」
「ノア!」
ノアは巨人の胸に張り付いたまま。
赤い眼を見開いていた。
【情報更新】
【大型侵食体】
【内部存在:人間由来可能性】
【侵食:外部要因】
【重要情報】
そして。
男の最後の言葉。
『侵食体は敵じゃない』
ノアは。
ゆっくり顔を上げた。
街。
黒い群れ。
破壊された建物。
戦うEシリーズ。
逃げる人々。
これまで。
すべてを敵だと思っていた。
だが。
違うとしたら。
「……E-01」
通信。
「応答」
「攻撃を」
一拍。
「止めて」
E-01が盾で巨人の拳を受けながら叫ぶ。
「理由!」
ノアは。
巨人の胸に手を当てた。
その奥。
苦しんでいる誰か。
「これは」
ノアは言った。
「敵じゃない」
戦場の音の中。
その言葉だけが。
不思議なほど。
はっきり響いた。
⸻
そして。
都市中央。
誰も見ていない地下深く。
古い施設の一室。
四十年間。
一度も起動していなかった装置に。
光が灯った。
【侵食率:7.4%】
【文明接続:開始】
【第一段階:完了】
【門形成準備】
【対象世界座標:固定】
最後に。
一つだけ。
赤い文字が浮かんだ。
【E-07】
【接触確認】
【鍵:発見】
⸻
後書き
今回は、
* 黒き巨人が単なる侵食体ではないこと
* 巨人内部に人間由来と思われる存在がいること
* E-01がノアの判断を信じ始める
* E-03が「殺す」から「助ける」へ戦い方を変える
* Eシリーズ同士に仲間意識の芽が生まれ始める
* 巨人内部の謎の男性
* 彼がユリアを知っていたこと
* 「ユリアは最後までノアを待っていた」という事実
* 「侵食体は敵ではない」という重大な情報
* ノアが何者かに「鍵」として認識されたこと
を描きました。
そしてここから、第二章の意味が変わってきます。
「失われた文明編」は、文明が怪物に滅ぼされた話ではありません。
ゼルヴァニア=クロノスが過去に何を作り、何を開き、何を隠したのか。
そこへ侵食災害の正体を繋げていきます。
次回、第87話では、戦闘を止めようとするノアと、当然ながらそれを受け入れられない人間側の防衛司令部が初めて衝突します。
そして巨人自身から――
「助けて」
という言葉が届きます。




