出撃
第二章 失われた文明編
第85話 出撃
前書き
兵器には、
帰る場所など必要ありません。
弾薬を補給し、
損傷を修復し、
次の命令を受ける場所があればいい。
だから、
「帰ってきて」
という言葉は、
兵器には必要のない言葉でした。
けれど。
その言葉を知ってしまった兵器は、
戦場へ向かう時、
何を思うのでしょう。
⸻
巨大な隔壁が、ゆっくりと上昇していく。
重い。
低い。
腹の底まで震わせるような駆動音だった。
その向こうから吹き込んできた風には、焦げた臭いが混じっていた。
昨日までとは違う空気。
研究都市ゼルヴァニア=クロノス。
かつて白と青を基調とした美しい街並みが広がっていた場所。
空中交通路には無数の輸送艇が行き交い、歩道には人々が溢れ、夜になれば塔という塔が光を放った。
その都市の空が。
今は赤い。
遠方で黒煙が上がっている。
時折、光が走る。
数秒遅れて爆発音。
ドォン――
ドォォン――
ユリアがノアの腕から手を離した。
「……ノア」
小さな声。
先ほどまで笑っていた少女の顔から、笑顔が消えている。
怖い。
ノアにはまだ、その表情が何を意味するのか完全には理解できなかった。
【対象:ユリア】
【心拍:上昇】
【呼吸:不安定】
【推定状態:恐怖】
それでも。
ノアには一つだけ分かることがあった。
ユリアは、自分にここにいてほしい。
しかし。
自分はこれから、ここを離れる。
矛盾。
【命令:出撃】
【対象:ユリア】
【要求:帰還】
二つの情報が内部で並ぶ。
これまでなら、優先順位は明確だった。
命令。
それだけ。
だが。
今は違う。
「……帰る」
ノアはもう一度言った。
ユリアが顔を上げる。
「うん」
少女は笑おうとした。
少しだけ失敗した。
「待ってるから」
【記録】
【待っている】
【帰還理由:発生】
ノアは前を向いた。
⸻
E-01が歩き始める。
重装甲型。
七機の中で最も巨大な防御能力を持つ機体。
左腕に装備された大型複合盾が、格納庫の照明を反射した。
「Eシリーズ」
低い電子音声が響く。
「戦術情報を共有」
六機の視界へ、同時に都市地図が展開される。
【第一防衛線:崩壊】
【第二防衛線:交戦中】
【民間避難率:61.7%】
【侵食体推定数:測定不能】
E-03が反応した。
「測定不能?」
高速近接戦闘型。
細身の機体。
脚部には大型推進器。
「敵数の算出もできないのか」
E-05が答える。
「観測情報が一定ではない」
電子戦・情報処理型。
七機の中でも特に演算能力が高い。
「一分前の敵数と現在値が一致しない」
E-06が巨大な弾薬コンテナを背負い直した。
「増援?」
「違う」
E-05は短く否定する。
「増えている」
一瞬。
沈黙。
E-02が長距離砲を肩へ固定する。
「意味は同じでは?」
「違う」
E-05は答える。
「敵が到着しているのではない」
「発生している」
ノアが顔を上げた。
【発生】
その単語だけが引っかかった。
⸻
管制室。
セレナは七機の位置を追っていた。
「Eシリーズ、第一ゲート通過」
「各機通信正常」
「兵装正常」
「炉心出力安定」
職員たちの声が飛び交う。
アルベルトは中央モニターを見ていた。
そこには都市外周の映像。
黒い群れ。
倒しても。
倒しても。
どこかから現れる。
「博士」
若い研究員が言う。
「推定敵性個体数、三千を突破」
「……」
「四千」
数秒。
「五千」
セレナが振り向く。
「そんな……」
アルベルトは答えない。
モニターを見つめる。
そして。
静かに呟いた。
「これは戦争ではない」
⸻
都市南部。
第二区画。
そこではすでに戦闘が始まっていた。
「撃てぇぇぇ!!」
防衛隊の砲撃。
閃光。
轟音。
侵食体の群れへ砲弾が降り注ぐ。
黒い身体が吹き飛ぶ。
四肢が千切れる。
道路が砕ける。
「効いてる!」
兵士が叫んだ。
「押し返せるぞ!」
だが。
次の瞬間。
吹き飛んだ侵食体の残骸が動いた。
「……え?」
黒い液体。
道路へ広がる。
砕けた舗装へ染み込む。
近くに放置されていた自動車へ触れる。
黒い筋が車体を這った。
機械が震える。
ライトが点灯。
赤い光。
「なんだ……?」
車体が。
変形した。
金属が軋む。
車輪が捻じれる。
車体中央から黒い突起が生える。
「下がれ!」
遅い。
変異した車両が兵士へ突進した。
爆発。
⸻
その時。
空から何かが落ちてきた。
ドォォォン!!
道路が沈む。
巨大な盾。
E-01。
「防衛隊」
「後退せよ」
兵士たちが見上げる。
「Eシリーズ……」
「本物だ……!」
E-01は盾を構える。
「ここからは我々が引き受ける」
その右側を。
青い光が走った。
E-03。
高速移動。
一瞬で変異車両へ接近。
刃が走る。
一閃。
車体が上下に分断された。
さらに背後。
ビルの屋上。
E-02。
「射線確保」
長距離砲。
発射。
轟音。
侵食体の群れが一直線に消し飛ぶ。
兵士たちから歓声が上がった。
「すげぇ……!」
「いける!」
「Eシリーズがいれば勝てるぞ!」
だが。
E-05だけは違った。
「待って」
解析。
【侵食反応】
【消失率:12%】
【再構築率:88%】
「……まずい」
E-01が問う。
「何が」
「倒していない」
「?」
「砕いているだけ」
その瞬間。
道路一面に散っていた黒い破片が。
一斉に震え始めた。
⸻
ノアはそれを見ていた。
黒い破片。
動いている。
小さな欠片同士が集まり。
繋がり。
形を作る。
再び人型へ。
だが。
先ほどとは違う。
腕が三本。
脚が四本。
顔がない。
【対象:侵食体】
【損傷:再構築】
【生物分類:不能】
E-03が舌打ちするような音を発した。
「面倒だな」
再び突撃しようとする。
「待って」
ノアが言った。
E-03が止まる。
「何だ、七番」
ノアは道路を見る。
侵食体。
破片。
舗装。
車。
街灯。
すべてに同じ黒い線。
「……攻撃すると」
「広がる」
E-05の演算が追いつく。
「E-07の推測を支持」
「破壊された侵食体の一部が周囲の物質へ付着」
「そこから再構築している」
E-01が盾を構えたまま問う。
「対処方法」
「現時点では不明」
沈黙。
敵を倒す。
兵器にとって、それほど単純な命令はない。
だが。
倒すほど敵が増える。
ならば。
何をすればいい。
⸻
ノアの視界に。
一台の避難車両が映った。
道路の端。
横転している。
内部。
生体反応。
【成人:2】
【子供:3】
【負傷者:あり】
侵食体が近づいている。
E-01から命令。
「E-07」
「隊列維持」
ノアは止まる。
避難車両。
侵食体。
命令。
そして。
ユリア。
『誰かを助けることは、間違いじゃないよ』
ノアは動いた。
「E-07!」
E-01の声。
だがノアは走る。
侵食体の群れへ。
攻撃しない。
横転車両の前へ滑り込む。
腕を伸ばす。
車体を掴む。
【出力調整】
【搭乗者保護】
ゆっくり。
横転した車体を起こす。
侵食体が背後から迫る。
「ノア!」
通信。
ユリアではない。
E-06。
轟音。
ノアの背後を砲撃。
侵食体が吹き飛ぶ。
「避難を続行」
E-06が言う。
ノアが振り返る。
「援護する」
それだけ。
【行動:援護】
【命令:未確認】
E-06は。
命令されていない。
自分でノアを助けた。
ノアの内部で、小さな信号が動いた。
⸻
「E-03」
E-01が命じる。
「民間人を誘導」
「了解」
E-03が走る。
「E-02」
「高所から進路を確保」
「了解」
「E-04」
「防衛隊と避難経路を共有」
「了解」
「E-05」
「侵食拡大機構を解析」
「了解」
「E-06」
一拍。
「E-07を援護」
「……了解」
隊形が変わった。
敵を殲滅するための隊形から。
人を逃がすための隊形へ。
誰かが設計した戦術ではない。
戦場で。
七機が作った戦い方だった。
⸻
E-01が盾で道を作る。
E-02が遠距離から侵食体の進路を限定する。
E-03が市民を誘導。
E-04が通信を繋ぐ。
E-05が安全区域を演算。
E-06が火力で群れを押し返す。
そして。
ノアは。
人を運んだ。
老人。
負傷した兵士。
泣いている子供。
倒れた医療従事者。
一人。
また一人。
避難区域へ。
【救助人数:17】
【23】
【31】
その中に。
一人の少年がいた。
十歳ほど。
腕から血を流している。
ノアは抱き上げる。
少年は怯えていた。
「……怖い」
【語彙:怖い】
ノアには、まだ完全には分からない。
「大丈夫」
言葉が出た。
自分でも。
なぜその言葉を選んだのか分からなかった。
少年がノアを見る。
「ほんと?」
ノアは処理する。
安全保証。
不可能。
敵数。
測定不能。
避難経路。
不安定。
本来なら。
【保証不能】
そう答えるべきだった。
だが。
「……大丈夫」
もう一度。
少年はノアの装甲へしがみついた。
ノアは走った。
⸻
その姿を。
E-03が見ていた。
「……大丈夫、か」
小さく呟く。
その直後。
瓦礫の下から女性の声。
「助けて!」
E-03は停止する。
本来の指示。
避難誘導。
瓦礫撤去は担当外。
だが。
E-03は戻った。
瓦礫を持ち上げる。
「走れるか」
女性が頷く。
「はい……!」
「なら走れ」
E-03は避難路を指差す。
「止まるな」
【命令外行動:発生】
⸻
E-02も。
E-04も。
E-06も。
少しずつ。
予定された動きから外れ始めていた。
それは故障ではない。
暴走でもない。
誰かを守るための。
ほんの小さな選択だった。
⸻
管制室。
セレナがデータを見ている。
「アルベルト博士」
「Eシリーズの行動ログが……」
「命令系統から逸脱しています」
アルベルトはモニターを見る。
七機。
戦う兵器。
だが。
戦っているだけではない。
人を抱える。
道を作る。
互いを援護する。
待つ。
助ける。
老人は静かに言った。
「逸脱ではない」
「では?」
「学習じゃよ」
セレナがノアを見る。
その胸部には。
ユリアから受け取った紙飛行機。
「E-07から……?」
「おそらくな」
アルベルトは小さく笑う。
「兵器が兵器に、人の真似を教えておる」
⸻
だが。
戦況は。
良くなっていなかった。
むしろ。
悪化していた。
E-05が異常を検知する。
「全機停止」
E-01が反応。
「理由」
「地下」
「?」
「地下から巨大反応」
道路が。
震えた。
ノアが立ち止まる。
ゴゴゴゴゴ――
地面が盛り上がる。
建物の窓が割れる。
避難中の市民が悲鳴を上げる。
「全員離れろ!」
E-03が叫ぶ。
道路が裂けた。
黒いものが。
地下から。
ゆっくりと。
現れる。
巨大な腕。
一本。
次に。
頭。
ビルほどの大きさ。
黒い結晶に覆われた巨体。
【侵食体】
【推定全高:63.4m】
【エネルギー反応:測定不能】
【危険度:算出不能】
E-06が砲身を上げる。
「大型」
E-02が照準。
「弱点不明」
E-03が構える。
「でかいだけだ」
E-05が即座に否定する。
「違う」
巨大侵食体の胸部。
何かが。
光っている。
赤い。
眼のようなもの。
それが。
ノアを見た。
明確に。
他の六機ではなく。
ノアだけを。
ノアの内部へ。
未知の信号が届く。
【通信受信】
【発信源:大型侵食体】
【解析不能】
ノイズ。
その奥から。
声。
『――七……番……目』
ノアが硬直した。
「……?」
もう一度。
『見……つけ……た』
ノアの赤いセンサーが揺れる。
E-01が問う。
「E-07」
「どうした」
ノアは。
巨大な侵食体を見上げた。
「……自分を」
一拍。
「知っている」
巨人の赤い眼が。
ゆっくりと。
細くなった。
⸻
後書き
今回は、
* Eシリーズ七機の本格的な初出撃
* 「倒すほど侵食が広がる」という異物災害の性質
* 殲滅戦から避難・救助戦への戦術変更
* ノアが市民へ初めて「大丈夫」と声をかける
* E-06が命令なしでノアを援護
* ノアの行動を見たE-01〜E-06にも、小さな自主判断が生まれ始める
* 超大型侵食体の出現
* 巨人がノアを「七番目」と認識
を描きました。
ここで大事なのは、七機を最初から人間的にしすぎないことです。
まだ彼らは兵器です。
けれどノアを見て、
「なぜ助ける?」
から、
「自分も助けてみる」
へ少しずつ変わっていく。
この積み重ねがあるほど、後にEシリーズが失われていく展開が重くなります。
そして第86話では、いよいよこの巨体との戦闘へ。
ただし――この巨人は単なるボスではありません。
ノアを「七番目」と呼んだ理由。
侵食体なのに言葉を使える理由。
そして、なぜ侵食体がEシリーズを知っているのか。
そこへ踏み込み始めましょう。




