最後の一日(後編)
第二章 失われた文明編
第84話 最後の一日(後編)
前書き
世界が変わる瞬間は、
案外静かです。
誰かが叫ぶ前に。
誰かが逃げる前に。
ほんの少しだけ、
いつもと違う音がします。
そして人は、
「あれ?」
と思った時には、
もう昨日へは戻れません。
⸻
正午。
ゼルヴァニア=クロノスは、いつもと変わらない昼を迎えていた。
研究所の食堂では昼食を取る職員たちの笑い声が響き、市街地の広場では噴水の周りで子どもたちが走り回っている。
空には旅客シャトルが規則正しく航路を飛び、道路では自動搬送車が静かに荷物を運んでいた。
誰もが、「明日も同じ日が来る」と信じていた。
⸻
研究所・Eシリーズ格納庫。
ロイド・アシュクロフトは工具箱を閉じ、大きく伸びをした。
「よし、これで午前の整備は終わりだ。」
隣では新人整備士リン・フェイが汗を拭っている。
「E-06さん、本当に重かった……。」
ロイドが笑う。
「重火器運搬型だからな。」
「文句を言うなら設計した連中に言え。」
「マリア主任ですよね?」
「そう。」
その噂の本人、マリア・エルフェルトが端末を抱えてやって来る。
「聞こえてるわよ。」
ロイドが肩をすくめる。
「本人登場。」
マリアはE-06の脚部を見上げ、満足そうに頷いた。
「これなら午後の試験も問題ないわ。」
⸻
一方、ユリアの研究室。
机の上には色とりどりの折り紙が広がっていた。
「ノア!」
少女は紙を広げる。
「今日はね、お城を作るの!」
ノアは静かに見つめる。
【対象:紙】
【用途:造形】
ユリアは器用に折り進め、小さな塔を作り上げた。
「どう?」
ノアは数秒観察したあと、小さく答える。
「……建築物。」
ユリアは笑った。
「うん、お城!」
その笑顔を見ていたアイリス・ヴァイスが微笑む。
「少しずつ会話になっていますね。」
ユリアは胸を張る。
「でしょ?」
「ノア、毎日賢くなってるもん。」
⸻
その頃。
都市最外周。
境界観測施設。
若い観測員レオン・ハルトマンがモニターを見つめていた。
「……?」
画面に小さな黒い点が現れる。
ノイズだろうか。
レオンは感度を上げた。
黒い点は消えない。
むしろ増えていく。
「主任。」
隣のベテラン観測主任アメリア・クロフトが近寄る。
「どうした?」
「これ、見てください。」
アメリアの表情が変わる。
「……あり得ない。」
⸻
同時刻。
都市防衛管制室。
赤いランプが一つ点灯した。
ピッ。
たった一つ。
誰も慌てない。
よくある誤作動だ。
だが。
二つ。
三つ。
十。
二十。
百。
ランプは一瞬で画面を埋め尽くした。
⸻
「侵食反応、急増!」
「観測不能!」
「境界値突破!」
警報が鳴る。
初めて聞く警報だった。
⸻
研究所。
昼食中だった研究員たちが一斉に立ち上がる。
ロイドが端末を見る。
顔色が変わる。
「全員、格納庫へ!」
マリアは走り出しながら叫ぶ。
「Eシリーズを起動!」
「急いで!」
リンは工具箱を抱えたまま駆け出した。
⸻
ユリアは驚いて廊下へ飛び出す。
「何があったの?」
アイリスが肩を抱く。
「部屋へ戻りましょう。」
「でも!」
「今は。」
その時だった。
⸻
ゴォォォン――
⸻
建物全体が揺れた。
天井の照明が一瞬消える。
窓ガラスが細かく震えた。
⸻
ユリアは窓へ駆け寄る。
遠く。
都市外縁部。
黒い霧が立ち上っている。
⸻
「火事?」
誰も答えられない。
⸻
司令室ではエドガー博士が静かに立ち上がった。
「始まったか……。」
アルベルトが振り返る。
「博士!」
「まだ避難命令を出す段階ではありません!」
老人はゆっくり首を横へ振る。
「違う。」
「もう遅い。」
⸻
都市外縁部。
境界観測施設。
レオンはモニターを見つめたまま凍り付いていた。
「主任。」
「黒い点じゃありません。」
「これ……全部。」
映像が拡大される。
そこには。
無数の人影。
人型。
獣型。
翼を持つもの。
黒い結晶に覆われた存在が、地平線を埋め尽くしていた。
⸻
アメリアが震える声で呟く。
「都市全域へ緊急通信……。」
「レベル・オメガ。」
⸻
彼女はスイッチを押した。
⸻
都市中に、初めて聞く警報が鳴り響く。
⸻
《全市民へ通達》
《レベル・オメガ》
《直ちに最寄りの避難施設へ》
《繰り返す》
《直ちに避難してください》
⸻
広場の子どもたちが立ち止まる。
パン屋の店主が空を見上げる。
病院の看護師が患者を車椅子へ乗せる。
学校では教師が生徒たちを整列させる。
⸻
普通の日常は、
この瞬間を境に終わった。
⸻
格納庫。
七機のEシリーズが整列していた。
整備アームが一斉に外れる。
ロイドが最後のロックを解除する。
「行ってこい。」
リンが小さく装甲へ触れた。
「絶対……帰ってきてください。」
マリアは端末を閉じ、静かに敬礼する。
「ゼルヴァニアの未来を。」
「お願いします。」
⸻
ユリアはノアの前へ走る。
まだ幼い手で、ノアの腕を握った。
「ノア。」
「約束して。」
「帰ってきて。」
ノアは少女を見る。
その意味をまだ完全には理解できない。
それでも。
「……帰る。」
初めて、自分の意思でそう答えた。
ユリアは安心したように笑う。
「うん!」
「待ってる!」
⸻
その約束が。
後にノアという存在を支える、最も大切な記憶になることを。
この時の誰一人として、まだ知らなかった。
⸻
巨大な格納庫のシャッターが開く。
外から吹き込む熱風。
赤く染まり始めた空。
遠くから響く爆発音。
E-01が静かに前へ出る。
「全機。」
「出撃。」
七つの鋼鉄が歩き出す。
人類最後の希望として。
そして、ゼルヴァニア最後の守護者として。
⸻
後書き
今回は、
* ゼルヴァニア最後の「平和な昼」が終わる瞬間
* 新キャラクター レオン・ハルトマン(境界観測員)
* 新キャラクター アメリア・クロフト(境界観測主任)
* レベル・オメガ発令までの流れ
* ユリアとノアの「帰ってきて」という約束
* Eシリーズが初めて正式出撃する瞬間
を描きました。
次回、第85話 「出撃」では、七機のEシリーズが初めて侵食体と本格的に激突します。ここから第二章は、現在と過去を交錯させながら、文明崩壊の全貌へと迫っていきます。




