第二章 失われた文明編 第67話 紙飛行機
前書き
飛ぶためには、
翼が必要だと思っていました。
でも、
人は紙一枚でも空を飛ばせます。
それは、
「届いてほしい」という願いがあるからかもしれません。
⸻
研究所の朝は、以前より少し静かになっていた。
廊下を歩く人は減り、
空席の机が目立ち始めている。
避難命令により、多くの研究員や家族が都市外へ移送されていた。
残っているのは、防衛や研究を続ける者たちだけ。
それでも、ユリアはいつもと同じ時間にノアのもとへやって来た。
「おはよう、ノア!」
「……おはよう。」
返事は以前より自然になっていた。
その小さな変化だけで、ユリアは嬉しそうに笑う。
⸻
今日は両手に何枚もの紙を抱えている。
「今日はね!」
「空を飛ぼう!」
ノアは紙を見る。
【材質:紙】
【用途:不明】
ユリアは一枚を机へ置いた。
「こうやって折るの。」
器用な指先で紙を折り始める。
角を合わせ、
折り目を付け、
また折る。
ノアは一つひとつ記録していく。
【作業解析】
【折り工程:保存】
⸻
数分後。
ユリアは完成した紙飛行機を掲げた。
「できた!」
そのまま廊下へ向かう。
「見ててね。」
軽く腕を振る。
紙飛行機は研究棟の長い廊下を滑るように飛んでいった。
ゆっくり。
静かに。
そして最後は床へ着地する。
「成功!」
ユリアは満足そうだった。
⸻
ノアも紙を受け取る。
「……作る。」
「うん!」
初めてだった。
命令ではない。
戦闘でもない。
遊びのために何かを作るのは。
少し折る位置がずれる。
ユリアが笑う。
「そこじゃないよ。」
ノアは修正する。
また少し違う。
「惜しい!」
三回目。
ようやく形になった。
「完成。」
ユリアは拍手した。
「やった!」
⸻
その様子を、通路の向こうからイリーナが見ていた。
「兵器相手に紙飛行機かぁ。」
工具箱を抱えたまま苦笑する。
隣にはアルベルトもいた。
「ええ光景じゃ。」
「……でも。」
イリーナは窓の外を見る。
遠くの空。
黒い雲のような侵食が、昨日より少し近付いていた。
⸻
その頃、別棟の会議室では避難民の受け入れが始まっていた。
玄関ホールには多くの人が集まっている。
疲れ切った家族。
泣き続ける子ども。
怪我を負った老人。
医療班が慌ただしく動く。
エルヴィンという若い医師が患者を診察していた。
「次の方、こちらへ!」
その隣では看護師のマリアが子どもをあやしている。
「大丈夫だからね。」
子どもは泣き止まない。
侵食は研究所の外だけではなく、人々の心にも影を落としていた。
⸻
午後。
ノアは紙飛行機を持ったまま中庭へ出る。
ユリアが笑う。
「今度は外!」
風が吹いていた。
紙飛行機にはちょうど良い風。
「せーの!」
二人は同時に飛ばした。
ユリアの紙飛行機は大きく弧を描いて飛ぶ。
ノアの紙飛行機は真っ直ぐ飛び、途中で失速して落ちた。
「負けた。」
ノアが呟く。
ユリアは首を振る。
「違うよ。」
「ノアのは真っ直ぐ飛んだ。」
「それもすごい。」
ノアは紙飛行機を拾い上げる。
折れた翼を指先でそっと整える。
【修復】
【実施】
ユリアがその様子を見て微笑んだ。
「ノアって、本当に直すの好きなんだね。」
ノアは少し考えた。
「……好き。」
その一言に、自分でも少し驚く。
今までは「命令」や「作業」と答えていた。
初めて、自分の意思を表す言葉が口をついた。
ユリアは目を丸くしたあと、満面の笑みを浮かべた。
「うん。」
「私も好き。」
⸻
夕暮れ。
屋上で二人は紙飛行機を並べて座っていた。
赤く染まる空。
紙飛行機が風に揺れる。
ユリアがぽつりと呟く。
「ねぇ、ノア。」
「……。」
「戦いが終わったらさ。」
少し照れくさそうに笑う。
「一緒に旅行しよう。」
「旅行。」
「うん。」
「海を見たり。」
「山へ行ったり。」
「花畑も見たいな。」
ノアは静かに記録する。
【旅行】
【海】
【山】
【花畑】
どれも知らない。
けれど。
ユリアが楽しそうだから、
きっと良いものなのだろう。
「……行く。」
ユリアは嬉しそうに頷いた。
「約束ね。」
「……約束。」
⸻
その時だった。
遠くで爆発音が響く。
ゴォォォン――
黒い煙が地平線から立ち上る。
研究所全体に警報が鳴り響いた。
『緊急警報。』
『第二区画、防衛線突破。』
『侵食体、多数接近。』
屋上の風が止まる。
ユリアは紙飛行機を握り締めた。
ノアは静かに立ち上がる。
【戦闘命令】
【受信】
さっきまでの穏やかな時間が、音を立てて崩れ始めていた。
⸻
後書き
今回は、
* ノアが初めて「遊ぶ」という時間を経験したこと
* 紙飛行機を通して「失敗」と「工夫」を学んだこと
* 「好き」という、自分の意思を表す言葉を初めて口にしたこと
* 避難民や医療班(新キャラクター:エルヴィン、マリア)が登場し、研究所全体が戦時体制へ移行している様子
* ユリアと交わした「旅行へ行こう」という約束
を描きました。
物語は次回、第68話「防衛線崩壊」へ。
ここからゼルヴァニア=クロノスは、いよいよ後戻りのできない戦いへ突入します。ユリアとの「約束」が、ノアの心の支えとなる重要な転換点になります。




