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REMNANT ― 廃棄予定の旧式兵器は、異世界で家族を得て心を覚える ―  作者: 和泉發仙


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第二章 失われた文明編 第65話 笑顔の練習

前書き


人は、


戦いだけを覚えて生きることはできません。


笑う日があるから、


泣く日があります。


平和だった毎日は、


失われたあとに初めて、その価値を知ります。


今日は、


ゼルヴァニア=クロノス最後の穏やかな時間です。




 侵食初日から三日。


 研究所では警戒態勢が続いていた。


 それでも、人々は生活を止めなかった。


 研究者は研究を。


 整備士は修理を。


 医療班は負傷者の治療を。


 誰もが「まだ終わっていない」と信じて働いていた。


 ノアもまた、整備区画へ呼ばれていた。



 巨大な格納庫。


 何十体ものEシリーズが整備されている。


 油の匂い。


 工具の音。


 火花。


 以前と違うのは、誰も笑っていないことだった。


 そこへ、一人の女性整備士が近づいてくる。


「はいはい、今日も旧式さんね。」


 二十代半ばほどの女性。


 茶色い髪を後ろで束ね、工具ベルトを腰に巻いている。


 作業服は油で汚れていた。


「私はイリーナ・フォルスト。」


「整備主任補佐よ。」


 ノアを見る。


「あなた、結構無茶するわね。」


「……無茶?」


「胸部装甲、またへこんでる。」


 ノアは自分の胸を見る。


【損傷率:8.2%】


「……問題なし。」


 イリーナは額を押さえた。


「問題あるから呼ばれてるの!」


 近くの整備士たちが苦笑した。



 その中に、一人の老人がいた。


 白髪。


 丸眼鏡。


 作業着姿。


 背中は少し曲がっている。


「ほっほ。」


「旧式ほど丈夫なのは昔からじゃ。」


 整備主任。


アルベルト・グランツ。


 Eシリーズ開発初期から携わる技術者だった。


「最近の若い機体は繊細すぎる。」


「旧式は頑丈でええ。」


 イリーナが呆れる。


「主任、それ本人の前で言わないでください。」


 老人は笑った。


「事実じゃ。」



 ノアは静かに質問した。


「……旧式。」


 アルベルトは頷く。


「そうじゃ。」


「古いということは悪いことではない。」


「長く動いてきた証でもある。」


 ノアはその言葉を記録する。


【旧式】


【=経験】


【新規登録】



 その頃。


 二階の観察デッキ。


 ユリアがこちらを覗いていた。


 隣には若い女性研究員。


 黒髪をまとめた眼鏡の女性。


「ユリア様。」


「また来たんですか?」


「うん。」


「今日は笑わせる日!」


 女性研究員は苦笑した。


「まだ諦めてなかったんですね。」


「もちろん!」


 彼女の名は


セレナ・アッシュフィールド。


 心理学専門の研究員だった。


 Eシリーズに感情が芽生える可能性を唯一論文として提出していた人物でもある。



 ユリアは階段を駆け下りる。


「ノア!」


「……。」


「今日は勝負!」


 イリーナが笑う。


「また始まった。」


 アルベルトも目を細める。


「毎日飽きんのう。」



 ユリアはポケットから小さな紙を取り出した。


『笑顔の練習メニュー』


①くすぐる


②面白い話


③変顔


④ダメなら歌う


 イリーナが吹き出した。


「真面目に作ったのそれ?」


「うん!」



 一番目。


 くすぐる。


 ノア無反応。


 二番目。


 研究所で流行っている冗談。


『E-03って絶対方向音痴だよね!』


 近くの研究員だけ笑う。


 ノア無反応。


 三番目。


 変顔。


 ユリアが思い切り頬を膨らませる。


 イリーナが横を向いて笑いをこらえている。


 アルベルトは普通に笑っていた。


 ノア。


 無反応。


「むぅ……。」



「最後!」


 ユリアは深呼吸した。


 歌い始める。


 小さな子守歌だった。


 研究所では昔から歌われていた歌。


 整備士たちも静かになる。


 工具の音が止まる。


 誰も作業しない。


 ただ少女の歌だけが格納庫へ響いていた。



 歌が終わる。


 静寂。


 ユリアは少し恥ずかしそうに笑う。


「……だめかぁ。」


 その時。


 ノアの口元が、


 本当にほんの少しだけ動いた。


 一ミリにも満たない変化。


 だが。


 ユリアは見逃さなかった。


「今!」


 ノア自身も驚いていた。


【表情筋】


【自発制御】


【初確認】


 アルベルトが目を見開く。


「……おい。」


 イリーナも固まる。


「今……。」


 セレナは震える手で端末を起動した。


「記録!」


「全部保存して!」


 周囲の研究員たちが一斉に動き出す。


 誰も笑わない。


 皆、本気だった。


 兵器が、


 自分の意思で表情を動かした。


 それは歴史上初めての出来事だった。



 ユリアだけは違った。


「やったぁ!」


 抱きつく。


 ノアは少しよろける。


「……。」


「今、笑った!」


「一ミリ!」


「絶対笑った!」


 ノアは答えられない。


 だが。


 胸部の奥で、小さな温かさが広がる。


【未知感情】


【解析不能】


【保存】



 その様子を、格納庫の隅から一人の男が見つめていた。


 黒い軍服。


 銀色の階級章。


 三十代後半。


 鋭い灰色の瞳。


 彼は軍技術局監察官、


レオン・ヴァイス。


 静かに端末へ記録する。


「E-07……。」


「感情発現。」


「危険度、再評価対象。」


 彼は踵を返し、誰にも気づかれないまま格納庫を去っていった。



 その日の夕方。


 研究所の屋上。


 夕日を眺めながら、ユリアは嬉しそうに日記を書いていた。


『今日、ノアが笑いました。』


『たぶん一ミリくらい。』


『でも、世界で一番嬉しい一ミリでした。』


 ノアはその横で静かに空を見上げる。


 赤く染まる空。


 まだ美しい世界。


 しかしその地平線の彼方では、黒い侵食がゆっくりと都市を飲み込み始めていた。


 平和な時間は、確実に終わりへ近づいていた。



後書き


今回は、


* 新キャラクター イリーナ・フォルスト(整備主任補佐)

* 新キャラクター アルベルト・グランツ(Eシリーズ初期開発者)

* 新キャラクター セレナ・アッシュフィールド(心理学研究員)

* 新キャラクター レオン・ヴァイス(軍技術局監察官)


が登場しました。


そして、ノアは初めて自分の意思で「笑おう」としたことが確認されます。


しかし、その変化を喜ぶ者だけではありません。


軍はそれを「兵器としての異常」と判断し始めます。


次回、第66話「赤い会議」では、研究所上層部と軍による緊急会議が開かれ、Eシリーズ、そしてE-07の運命を左右する決定が下されようとします。ユリアは、その会議の存在をまだ知りません。

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