第二章 失われた文明編 第63話 最初の出撃
前書き
兵器は、
命令で戦います。
けれど。
誰かを守りたいという気持ちは、
命令では生まれません。
その日。
一体の旧式兵器は、
初めて”帰る場所”を背負って戦場へ向かいました。
⸻
研究所全体に赤い警報が鳴り響いていた。
白い廊下を赤色灯がゆっくりと染める。
避難シェルターでは泣き声が響き、
研究員たちは必死に端末を操作している。
誰もが落ち着きを失っていた。
ただ一人。
ノアだけは静かだった。
【戦闘待機】
【命令受領済】
【施設防衛】
ユリアはノアの前に立っている。
小さな両手でノアの手を握っていた。
『ノア。』
ノアは少女を見る。
『絶対に帰ってきてね。』
一瞬だけ処理が止まる。
【語句解析】
【帰る】
【優先保存】
静かに答える。
「……了解。」
その返事を聞いて、ユリアは安心したように微笑んだ。
しかし、その笑顔の奥には隠しきれない不安があった。
⸻
重厚な隔壁が開く。
防衛区画。
そこには七体の人型機構体が並んでいた。
銀色の装甲。
無機質な赤い単眼。
胸部には刻印。
E-01。
E-02。
E-03。
E-04。
E-05。
E-06。
そして。
E-07――ノア。
全員が微動だにしない。
ただ命令を待つ兵器。
主任研究員が静かに歩き出た。
『諸君。』
『これより施設外周防衛を開始する。』
『侵食体を確認次第、排除せよ。』
他の六体は同時に返答する。
「了解。」
ノアも答える。
「了解。」
同じ言葉。
同じ声。
しかし。
ノアの内部には、もう一つの命令があった。
【保護対象】
【ユリア】
誰にも知られていない命令。
いや。
命令ではなかった。
⸻
巨大な格納扉が開く。
外。
初めて見る都市の全景。
高層建築。
空中道路。
飛行車両。
青い空。
そして。
黒い煙。
遠くの街区がゆっくりと黒く染まり始めていた。
煙ではない。
霧でもない。
何かが街そのものを侵している。
ノアは観測する。
【未知物質】
【侵食反応】
【解析不能】
主任研究員が低く呟く。
『始まってしまったか……。』
⸻
七体は都市へ降下する。
足が地面へ着地した瞬間。
地面が僅かに沈んだ。
歩道には誰もいない。
放置された荷物。
倒れた自転車。
開いたままの店。
つい数十分前まで、人が生活していた跡だけが残っていた。
【民間人反応】
【極少】
その時だった。
遠くから悲鳴。
『助けてぇぇ!!』
女性の声。
ノアの頭がそちらへ向く。
主任研究員の通信。
『Eシリーズ。』
『防衛ラインを維持せよ。』
【命令受信】
しかし。
悲鳴は続く。
『誰か!』
『お願い!』
ノアの内部で処理が競合する。
【命令】
【防衛ライン維持】
【保護対象外】
しかし。
別の記録。
ユリア。
『この人も守って。』
女性研究員を助けた時の記録。
ノアは静かに一歩踏み出した。
E-03が振り返る。
『E-07。』
『隊列を維持せよ。』
ノアは止まらない。
『命令違反。』
『命令違反。』
六体が同じ言葉を繰り返す。
それでも。
ノアは走った。
⸻
角を曲がる。
そこには。
一組の親子がいた。
母親。
五歳ほどの男の子。
黒い何かに追われている。
異物。
いや。
まだ人の形をしていた。
皮膚が黒くひび割れ、
腕だけが異常に長い。
目は赤く濁っている。
【対象】
【侵食体】
【危険度:中】
母親は子どもを抱き締めて震えていた。
『来ないで!』
侵食体が腕を振り上げる。
ノアは迷わなかった。
飛び込む。
ドォン!!
拳と拳がぶつかる。
衝撃波。
侵食体が数メートル吹き飛ぶ。
母親は呆然とノアを見る。
『……兵隊さん?』
ノアは答えない。
侵食体だけを見る。
しかし。
異物は倒れない。
関節を逆向きに曲げながら立ち上がる。
骨が折れている。
それでも歩く。
痛みを感じていない。
【自己保存反応】
【確認不能】
ノアは初めて理解する。
地下施設で戦った異物。
あれと同じだ。
⸻
通信が入る。
『E-07!』
『命令違反を確認!』
『直ちに持ち場へ戻れ!』
ノアは返答しない。
代わりに。
母親へ向かって言った。
「……逃げて。」
母親は驚いた。
兵器が喋った。
しかも。
自分を逃がそうとしている。
女性は子どもの手を握る。
『ありがとう……!』
二人は走り去った。
ノアはその背中を見送る。
【保護成功】
その瞬間。
内部へ小さな変化が起きる。
【未知感情】
【解析中】
数値ではない。
命令でもない。
だが。
ユリアが笑った時と同じような。
胸の奥が少しだけ軽くなる感覚。
⸻
侵食体が再び飛びかかる。
ノアは迎え撃つ。
今度は破壊ではない。
観察。
関節。
核。
動力。
異物との違いを探る。
そして。
胸部の奥。
黒く脈打つ結晶を見つけた。
【侵食核】
【推定】
ノアは静かに拳を構える。
「……停止する。」
その一撃が。
ゼルヴァニア=クロノス史上、
初めて侵食体の核を破壊した瞬間だった。
⸻
遠くのビルの屋上。
黒い霧の中から。
何者かがその戦いを見下ろしていた。
赤い瞳。
人のようで。
人ではない影。
『見つけた。』
低い声が風に溶ける。
『七番目。』
ノアはまだ知らない。
自分が守ったその行動が、
侵食体たちに「特別な個体」と認識されるきっかけになったことを。
⸻
後書き
今回は、
* ノアの初出撃
* Eシリーズとの思想の違いの芽生え
* 命令よりも救助を優先した最初の判断
* 初めて民間人を守った戦い
* 「侵食核」の存在
* 謎の観測者による「七番目」の認識
を描きました。
次回、第64話 **「命令違反」**では、ノアは研究所へ帰還します。しかし、民間人を救うために持ち場を離れたことが問題視され、Eシリーズの中でただ一体だけ異なる行動を取った理由が問われます。その一方でユリアだけは、ノアの行動を誇らしく思っていました。これは、後の「廃棄予定個体」という運命へと繋がる最初の分岐点になります。




