第40話 鐘の鳴る谷
前書き
異常は、いつも派手に現れるわけではありません。
むしろ。
静かな場所ほど、
何かがおかしい時の違和感は深く残ります。
今回は、“谷の村”の回です。
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谷へ降りた頃には、空は赤く染まり始めていた。
夕焼けが白い岩肌を照らしている。
川の音は近い。
湿った風が吹いていた。
そして。
また鐘が鳴る。
ゴォン――
低い。
重い。
どこか濁った音。
ノアは立ち止まった。
「……変」
ピップが周囲を見る。
「鐘だよね?」
「鐘」
「村の合図とかじゃない?」
ノアは首を傾げる。
「違う」
「え?」
「壊れてる」
ピップは少し黙った。
ノアは“音”に敏感だった。
駆動音。
軋み。
内部摩耗。
壊れた存在を相手にしてきたからこそ、分かる音がある。
そして今の鐘は。
普通の鐘の音ではなかった。
何かが噛み合っていない音。
無理に動かされている音。
「……行こう」
二人は谷の村へ向かった。
⸻
村の入口には、古い木柵が立っていた。
だが。
門番はいない。
見張りもいない。
妙に静かだった。
ノアは周囲を見る。
家はある。
煙もある。
人の気配もする。
でも。
“閉じている”。
そんな感じだった。
「なんか変だね……」
ピップが小声で言う。
その時。
家の扉が少しだけ開いた。
老人。
白髪。
痩せた顔。
二人を見る。
「……旅人か」
「えっと、一晩泊まれる場所探してて」
老人は少し迷った顔をした。
それから周囲を見回す。
「……なら、早く中へ入れ」
「え?」
「日が落ちる」
ゴォン――
また鐘が鳴る。
老人の肩がわずかに震えた。
「急げ」
⸻
二人は村の中へ入った。
だが、異様だった。
人がいる。
なのに、誰も外へ出ていない。
窓の隙間から視線だけが見える。
子どもが泣いている声。
扉を閉める音。
ピップが不安そうに言った。
「なんなのここ……」
老人は足早に歩く。
「喋るな。鐘が鳴ってる間は外を見るな」
ノアが反応した。
「鐘」
老人は振り返らなかった。
「あれは“呼ぶ”」
ピップが顔をしかめる。
「呼ぶ?」
「……昔からじゃ」
老人は古い宿屋の前で止まった。
「今日はここにいろ」
扉を開ける。
中は薄暗かった。
だが暖炉があり、人の気配がある。
宿屋の女将らしい女性が二人を見て目を丸くした。
「旅人!?」
「山道から来た」
「こんな時期に……」
女将は困った顔をした。
だが、すぐに席を空ける。
「とにかく入りな。夜は外へ出ちゃ駄目だよ」
ノアが聞く。
「なぜ」
女将と老人が顔を見合わせた。
少し沈黙。
それから老人が低く言った。
「鐘が鳴る夜は、“連れていかれる”」
暖炉の火が揺れた。
⸻
宿屋の中には数人の村人がいた。
全員、疲れた顔をしている。
眠れていない目。
食事も静かだった。
ピップが小声で言う。
「なんか……みんな怯えてる」
「うん」
ノアは村人を見る。
恐怖。
緊張。
諦め。
色んな感情が混ざっていた。
女将がスープを置く。
「食べな」
「ありがとう」
ピップが頭を下げる。
女将は少し驚いた顔をした。
それから、少しだけ笑う。
「礼儀はちゃんとしてるんだね」
ノアはスープを見る。
「これ何」
「豆と山芋の煮込みだよ」
ノアは少し考えた。
「……壊れてない」
女将が吹き出した。
「変な子だねぇ!」
宿屋の空気が少しだけ緩む。
だが。
その瞬間。
ゴォン――
鐘が鳴った。
全員が止まる。
空気が凍った。
ノアの目が細くなる。
「……近い」
老人が立ち上がった。
「窓から離れろ!!」
ピップが飛び退く。
外。
谷の奥。
霧が流れている。
白い。
ゆっくり。
鐘の音に合わせるみたいに。
「なんだよ、あれ……」
ピップの声が震える。
老人は顔を青くした。
「また来た……」
ノアは窓へ近づく。
「ノア!?」
ピップが止める。
だがノアは外を見る。
霧の奥。
何かが動いている。
人影。
だが。
動きがおかしい。
ぎこちない。
関節がズレている。
「……壊れてる」
その時。
ドン。
外の扉が叩かれた。
宿屋の中が凍りつく。
ドン。
ドン。
女将が口を押さえる。
子どもが泣き出した。
「やめろ……」
老人が震える。
ドン。
ドン。
そして。
外から声。
「……あけて」
女の声だった。
ピップの顔が青くなる。
「人……?」
老人が叫ぶ。
「開けるな!!」
ノアは耳を澄ませる。
声。
でも。
“中”が壊れている。
命令だけで喋っているみたいな声。
「……違う」
ノアが呟く。
外の声が続く。
「……さむい」
ドン。
「……いれて」
ドン。
扉が軋む。
村人たちが後退る。
恐怖が部屋を満たしていく。
ピップが弓を握る。
「ノア……」
ノアは立ち上がった。
「止める」
「待っ――」
その瞬間。
バキッ!!
扉が吹き飛んだ。
冷たい霧が流れ込む。
そして。
女が立っていた。
服はボロボロ。
顔色は白い。
片腕が不自然に曲がっている。
だが。
目だけが。
赤く光っていた。
村人たちが悲鳴を上げる。
「ひっ……!」
女が一歩踏み込む。
関節が嫌な音を立てる。
ピップが震える。
「これ……壊れた存在……!?」
ノアは前へ出た。
女を見る。
完全じゃない。
まだ残ってる。
ほんの少しだけ。
“人”が。
女がノアを見る。
赤い目が揺れた。
「……たすけ……」
ノアの内部が大きく反応した。
助けて。
その言葉。
命令じゃない。
壊れたノイズでもない。
残っている。
まだ。
女の体が跳ねる。
次の瞬間。
異常な速度で飛び込んできた。
ピップが叫ぶ。
「ノア!!」
ノアは受け止めた。
腕を掴む。
骨が軋む。
普通の人間なら吹き飛ぶ力。
だがノアは離さない。
「止まって」
女が暴れる。
口から黒い液体。
赤い目。
内部信号。
壊れている。
でも。
完全ではない。
「止まって」
ノアは力を調整する。
壊さないように。
砕かないように。
それでも止める。
女の腕が震える。
目が揺れる。
「……いや……」
小さな声。
次の瞬間。
ゴォン――
鐘が鳴った。
女の体が跳ねる。
暴走。
ノアの瞳が変わる。
「……原因」
鐘。
あの音だ。
あれが。
“動かしている”。
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後書き
今回は、「谷の村」の導入回でした。
重要なのは、
* 壊れた存在にも“人”が残っている
* 鐘が異常を引き起こしている
* ノアが“助けたい”を理解し始める
この3点です。
次回、
ノアたちは谷の鐘の正体へ近づいていきます。




