第38話 旅の商人アーリッヒ
前書き
旅は、戦いだけではありません。
道。
火。
食事。
知らない土地。
そして、出会った人の話。
今回は、ノアたちが初めて“外の世界の匂い”を知る回です。
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村を出て三日目。
山道は、思ったより長かった。
ノアは歩いている。
ずっと歩いている。
森を抜け。
浅い川を渡り。
岩場を越え。
獣道みたいな細い斜面を進む。
空気が変わっていた。
村の空気より乾いている。
風が強い。
木々の匂いも違う。
ピップは杖をつきながら息を吐いた。
「……山ってこんなにしんどいの?」
「疲れた?」
「めちゃくちゃ疲れたよ!」
ピップは荷物を背負い直した。
「ノアはなんで平気なんだよ……」
「……重さはある」
「あるの!?」
「でも壊れない」
「その基準やめて!」
ノアは少し考えた。
疲れる。
それは分かる。
足は重くなる。
内部温度も上がる。
関節の負荷も増える。
でも。
止まるほどではない。
ピップは岩に腰を下ろした。
「ちょっと休憩……」
ノアは周囲を見る。
高い山道。
遠くに谷。
空は広い。
風の音だけが流れていた。
村では聞かなかった音だ。
「静か」
「え?」
「村より静か」
ピップは笑った。
「それ、逆に危ない時あるよ」
「危ない」
「うん。鳥もいないってことだから」
ノアは空を見る。
たしかに、いない。
「……覚える」
「あと熊も出る」
ノアは止まった。
「熊」
「なんで反応したの」
「リリが言ってた」
ピップが吹き出した。
「気にしてたの!?」
ノアは真面目に頷いた。
「危険?」
「危険だよ!?」
「どれくらい」
「デカくて速くて強い!」
「壊れた存在みたい」
「もっと毛がある」
「毛」
「そこ?」
ピップが笑う。
旅に出てから、少し笑う回数が増えていた。
ノアはそれを見ていた。
笑う。
安心している時に出る。
怖くない時に出る。
少しずつ、理解できるようになっていた。
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その日の夕方。
二人は山道の途中で煙を見つけた。
「火?」
ピップが目を細める。
ノアは匂いを拾う。
木。
油。
干し肉。
そして。
馬。
「人」
「ほんと?」
「うん」
二人は慎重に近づいた。
山道の少し開けた場所。
そこに、古びた荷馬車が止まっていた。
馬は二頭。
布を張った簡易天幕。
小さな焚き火。
そして。
「いてててて……っ」
老人がいた。
白い髭。
大きな鼻。
厚い外套。
だが、立ち上がる時に片膝を押さえている。
「……人だ」
「そりゃ人だよ」
ピップが小声で返す。
老人は二人に気づいた。
「お?」
目を丸くする。
「旅人か?」
ピップが少し前に出た。
「えっと……そうです」
「こんな山道を子ども二人で?」
老人は驚いた顔をした。
だが、すぐに笑う。
「ほっほ。世も変わったのう」
ノアは老人を見る。
膝。
歩き方。
重心。
右足をかばっている。
関節の動きが歪んでいた。
「故障?」
老人が吹き出した。
「ぶはっ!」
「ちょ、ノア!」
「いやいや面白い坊主じゃなぁ!」
老人は笑いながら膝を叩く。
「まあ故障みたいなもんじゃ。長年の付き合いよ」
「痛い?」
「そりゃ痛いとも。若い頃に無茶しすぎてのう」
老人は焚き火を指した。
「飯は食ったか?」
ピップがノアを見る。
ノアもピップを見る。
二人とも少し警戒していた。
老人は苦笑した。
「安心せい。こんな歳で山賊はやらん」
「山賊いるの?」
「おるぞ?」
ピップの顔が引きつった。
老人は大笑いした。
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焚き火の前。
鍋から湯気が立つ。
香草の匂い。
肉の匂い。
ピップの腹が鳴った。
「うわ、裏切った」
「腹は正直じゃな」
老人は笑った。
「ワシはアーリッヒ。旅商人じゃ」
「商人」
「うむ。各地を回って物を売る。塩、布、薬草、道具……なんでもじゃ」
ノアは荷馬車を見る。
箱。
樽。
布包み。
知らないものが多い。
「お前さんらは?」
「ピップ」
「……ノア」
「ほう」
アーリッヒはノアを見る。
じっと。
観察するように。
「変わった目をしとるな」
ノアは少し止まった。
「怖い?」
「いや?」
アーリッヒは肩をすくめた。
「旅をしとるとな、もっと妙なのを山ほど見る」
ピップが少し安心した顔をする。
「お前さん、人じゃないな?」
ピップが身構えた。
だがアーリッヒの声に敵意はなかった。
「……旧式」
「旧式?」
「ノアだよ」
ピップが少し強めに言った。
アーリッヒは数秒止まり。
それから笑った。
「ならノアでええ」
ノアは瞬きをした。
それだけだった。
でも。
少しだけ胸の奥が軽かった。
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食事の後。
アーリッヒは立ち上がる時に顔を歪めた。
「いてて……」
ノアが見る。
膝。
右足。
ズレている。
「……少し触る」
「ん?」
アーリッヒが首を傾げた。
「ノア?」
ピップが嫌な予感をした顔をする。
ノアは膝の位置を見る。
関節。
筋肉。
負荷方向。
ガルドに教わった。
力を逃がす。
支点を合わせる。
「痛い?」
「そりゃ痛いとも」
「直す」
「は?」
次の瞬間。
ゴキッ。
「ぎゃあああああああっ!!!」
山に悲鳴が響いた。
鳥が飛び立つ。
ピップが飛び上がった。
「ノアーーーー!?」
アーリッヒが膝を抱える。
「な、ななな何を!?」
ノアは真剣だった。
「ズレてた」
「ズレてたからって!!」
アーリッヒは涙目で立ち上がる。
そして。
「……あれ?」
一歩。
二歩。
三歩。
止まる。
「痛く……ない」
ピップも止まる。
「え?」
アーリッヒは歩き回った。
「おお……」
屈伸。
しゃがむ。
立つ。
「曲がる!!」
ノアは頷いた。
「戻した」
「戻したってお前……!」
アーリッヒは本気で驚いていた。
「十年以上じゃぞ!?ワシ、この膝でずっと……!」
老人の目に涙が浮かぶ。
「ありがとう!!」
アーリッヒはノアの肩を掴んだ。
「長年膝の痛みに苦しんどったんじゃ!!」
ノアは少し困った顔をする。
「痛かった」
「めちゃくちゃ痛かった!!」
アーリッヒは大笑いした。
「お礼といってはなんだが――」
焚き火の前で胸を叩く。
「ワシに出来る事ならなんでも聞いてくれ!!」
⸻
その夜。
焚き火を囲みながら、話は続いた。
ノアは初めて、外の世界の話を聞いた。
「この山を越えると谷地帯じゃ」
アーリッヒが地図を広げる。
「さらに東へ行けば交易都市ベルクア。冒険者も多い」
「冒険者」
「依頼で食う連中じゃな。魔物退治、護衛、遺跡探索……なんでもやる」
ピップが目を輝かせる。
「ほんとにいるんだ」
「山ほどおる」
「強い?」
「強い奴もおる。弱い奴もおる。大体は死ぬ」
ピップの顔が引きつった。
アーリッヒは笑った。
「まあそんな顔するな。全部が地獄ではない」
ノアは地図を見る。
「ここ」
「ん?」
「黒い」
地図の一角が塗り潰されていた。
アーリッヒの顔が少し変わる。
「そこは最近、近づくなと言われとる」
「なぜ」
「村が消えた」
焚き火が揺れる。
ピップが黙る。
「争った跡もなかったそうじゃ」
ノアは静かに聞く。
「人だけ消えた。家も畑も残ったまま」
ピップが小さく言った。
「……似てる」
アーリッヒは二人を見た。
「お前さんら、その件を追っとるのか?」
ノアは頷いた。
「止める」
老人は少し黙った。
そして。
「なら覚えておけ」
焚き火の向こうで、アーリッヒの顔が暗くなる。
「最近、世界の空気がおかしい」
「空気」
「昔はなかった妙な噂が増えとる」
指を折る。
「消える村」
「夜だけ動く影」
「黒い霧」
「帰らん冒険者」
「山で鳴る鉄の音」
ノアの内部が少しだけ反応した。
鉄。
音。
記録の奥で、何かが引っかかる。
「知ってる?」
ピップが気づく。
「……分からない」
だが。
“何か”に近づいている。
その感覚だけはあった。
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夜も深くなった頃。
アーリッヒは酒を飲みながら笑った。
「しかし旅とは不思議なもんじゃ」
「不思議」
「どこへ行ったかは忘れる」
老人は空を見る。
「じゃが、誰と歩いたかは残る」
ノアは聞いていた。
誰と歩いたか。
村。
リリ。
ガルド。
エルナ。
ピップ。
そして。
アーリッヒ。
少しずつ。
旅が“人”で埋まっていく。
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翌朝。
山には朝靄がかかっていた。
馬車の準備を終えたアーリッヒが振り返る。
「北へ行くなら谷道を通れ」
地図を渡す。
「崖沿いだが、山越えより安全じゃ」
「熊は?」
ノアが聞いた。
アーリッヒが吹き出した。
「おる」
ピップが青ざめた。
「やっぱり!?」
「じゃが火を絶やさん限り、そう近づかん」
アーリッヒはノアを見る。
「お前さんなら熊より怖そうじゃがな」
ノアは少し考えた。
「毛は少ない」
ピップが笑い転げた。
「そこ比較する!?」
アーリッヒも腹を抱えて笑った。
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別れの時間。
馬車が動き出す。
鈴の音。
車輪の軋み。
山道へ消えていく。
アーリッヒは振り返り、大きく手を振った。
「生きろよ、小僧どもーーー!!」
ピップも振り返す。
「そっちもーーー!!」
ノアは少し遅れて手を上げた。
「……また」
アーリッヒが笑う。
「ああ!また会おう!!」
そして荷馬車は、朝靄の向こうへ消えていった。
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静かになる。
風だけが吹いていた。
ピップが息を吐く。
「……行っちゃったね」
「うん」
「なんかさ」
ピップは少し笑った。
「旅って感じしてきた」
ノアは山の向こうを見る。
知らない場所。
知らない人。
知らない危険。
でも。
少しだけ分かってきた。
旅は、歩くだけじゃない。
出会うことだ。
「……うん」
二人は再び歩き出す。
山を越え。
谷を越え。
世界の奥へ。
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後書き
アーリッヒは、「外の世界」の入口になるキャラクターでした。
ノアは今回、
* 人を治す
* 旅人と話す
* 世界を知る
という、“戦い以外の旅”を経験しています。
そして、少しずつ。
「誰と歩いたか」が、
ノアの中に積み上がり始めています。




