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REMNANT ― 廃棄予定の旧式兵器は、異世界で家族を得て心を覚える ―  作者: 和泉發仙


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第二十話 村の外



 翌朝、村には薄い霧が降りていた。


 夜の冷えがまだ地面に残っていて、畑の土は白く湿っている。草の先には細かな水滴がつき、朝日を受けて小さく光っていた。


 家の煙突からは、細い煙が上がっている。


 エルナが火を入れたのだろう。


 鍋の音。

 木の椀が触れる音。

 リリの眠そうな声。

 ガルドが外へ出る足音。


 ノアは納屋の中で、それらを聞いていた。


【環境:低温】

【生体反応:三】

【状態:安定】


 昨日、リリからもらった花は、納屋の中の棚の上に置かれていた。


 ノアはそれを見る。


 花弁はまだ開いている。

 茎の切り口からはわずかに水分が失われていたが、構造は維持されている。


【対象:植物】

【状態:軽度劣化】

【重要度:高】


 機能価値は低い。


 だが、重要度は高い。


 その矛盾は、昨日から続いている。


 ノアは花を手に取ろうとして、途中で止めた。


 力を入れすぎれば壊れる。


 ガルドが言った。


 守るなら、壊しすぎるな。


【語彙:加減】

【行動補正:有効】


 ノアは指の力を限界まで弱め、花弁に触れないよう茎だけを持った。


 成功。


【接触:成功】

【損傷:なし】


 花は壊れなかった。


 ただ、それだけのことだった。


 けれど、内部信号が静かに増える。


【未知信号:微増】


 その時、納屋の扉が開いた。


「ノア」


 ガルドだった。


 朝の光を背負っているせいで、顔の細部は見えにくい。だが声だけで識別できる。


 短く、低く、必要な言葉だけを置く声。


「来い」


【指示:受信】


 ノアは花を棚に戻す。


 ガルドの視線が一瞬だけその動きを追った。


「それは」


「……リリの花」


「そうか」


 それ以上は聞かない。


 だが、ガルドは花を雑に扱えとは言わなかった。


 ノアは納屋の外へ出る。


 朝の霧が外殻に触れる。


 水分が薄く付着する。


【外殻湿度:上昇】

【機能影響:なし】


 ガルドは家の横を通り、畑の端へ向かった。


 そこには、昨日使った斧と、短い棒が置かれている。


 棒は武器ではない。


 木の枝を削ったもの。


 ガルドはそれをノアへ投げた。


 ノアは受け取る。


【対象:木棒】

【用途:訓練と推定】


「振れ」


「……振る」


 ノアは棒を握る。


 強く握りすぎないように、指の力を調整する。


【加減:適用】


 棒は折れない。


 ガルドはそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。


「上からだ」


 ノアは振る。


 速い。


 風が切れる。


 だが、ガルドは眉を寄せた。


「速すぎる」


「……速い」


「相手を殺すだけならそれでいい」


 ガルドは斧を持たず、片手で別の棒を取った。


「だが、止めるなら違う」


 止める。


 殺す。


 壊す。


 守る。


 それらは似ているようで違う。


 ノアの内部で語彙が並ぶ。


【殺す:対象機能停止】

【壊す:構造破壊】

【止める:行動阻止】

【守る:対象損傷回避】


 ガルドはゆっくりと棒を構えた。


「見ろ」


 動きは遅い。


 けれど無駄がなかった。


 棒は相手の腕を叩く角度で止まり、すぐに引かれる。


「骨を折る必要はない。手から武器を落とさせればいい」


 ガルドは次に足元を示した。


「足を払うなら、膝を潰すな。倒すだけでいい」


 ノアは記録する。


 最小限。


 非致死。


 制圧。


【新規行動方針:最小制圧】

【関連:守る】


「やってみろ」


 ノアは動く。


 先ほどより遅く。


 力を抜く。


 棒を振る。


 空気の音が変わる。


「まだ強い」


 ガルドが言う。


「……強い」


「お前は強い。だから弱く使え」


 弱く使う。


 矛盾。


 力があるなら強く使うのが効率的。


 だが、ガルドは違うと言う。


【論理不一致】

【再分類:加減】


 ノアは再度振る。


 速度を下げる。


 力を抜く。


 棒の軌道が変わる。


 ガルドは自分の棒で軽く受けた。


 音は小さい。


「それでいい」


【評価:肯定】


 ノアの内部信号が増える。


 戦闘訓練。


 だが、研究所の訓練とは違う。


 そこでは制圧速度と破壊率が評価された。


 ここでは、壊しすぎないことが評価される。


 それは、ノアにとって新しい戦闘だった。


「なぜ」


 ノアは言った。


 ガルドが棒を下ろす。


「何がだ」


「なぜ、弱く使う」


 ガルドは少しだけ黙った。


 朝霧の向こうで、鳥が鳴く。


 ガルドは畑の向こうを見た。


「全部壊したら、何も残らん」


【語彙:残る】


 昨日も聞いた言葉。


 人がしたことは、どこかに残る。


 壊せば、その結果も残る。


「敵を倒せば終わりじゃない」


 ガルドは言う。


「倒した後にも、人は生きる」


 人は生きる。


 戦闘後。


 結果。


 残るもの。


「村も、家も、道具も、人の体も、壊れたら戻らないものがある」


 ガルドはノアを見る。


「守るってのは、倒すことじゃない」


 ノアは処理を止めた。


【守る:再定義中】


 倒すことではない。


 壊さないこと。


 残すこと。


 生きるための場所を保つこと。


【守る:対象の継続を保つ】

【仮定義】


 その定義は完全ではない。


 だが、昨日より近い。


 家の戸口で、エルナが二人を見ていた。


 手には木の椀がある。


「朝ごはん、冷めるわよ」


 リリがその後ろから顔を出す。


「ノアも!」


 ノアは反応する。


【対象:リリ】

【語彙:朝ごはん】

【関連:共有】


 ガルドは棒を置いた。


「行くぞ」


「……行く」


 家の前へ向かう。


 まだ家の中には入らない。


 ノアの食事は、いつも納屋か外だ。


 リリはそれに不満そうだったが、エルナは焦らない。


 ガルドも、まだ許可しない。


 関係は進んでいる。


 だが、境界は残っている。


 ノアはそれを不快とは判断しない。


 境界。


 必要なもの。


【概念:境界】

【意味:未定義】


 エルナは椀をノアに渡す。


「熱いから気をつけてね」


「……熱い」


「そう。ゆっくりでいいわよ」


 ノアは椀を持つ。


 温度は高い。


 機能障害はない。


 だが、リリが隣で同じように息を吹きかけている。


「ふーってするの」


「……ふー」


 ノアは真似をする。


 息の出力。


 椀の表面温度がわずかに下がる。


「できてる!」


「……できる」


 リリが笑う。


 ノアは椀を口元へ運ぶ。


 味覚情報。


 塩分。


 穀物。


 野菜。


 栄養効率は高くない。


 だが、昨日よりも入力される情報が多い。


【摂取:実行】

【行動:共有】

【未知信号:安定】


 食事の途中で、村の方から鐘のような音が鳴った。


 小さく、乾いた音。


 村人を集める合図。


 ガルドが顔を上げる。


 エルナも目を向ける。


 リリは椀を持ったまま固まった。


「なに?」


「村長だろう」


 ガルドは短く答えた。


「昨日の続きね」


 エルナの声は穏やかだったが、わずかに重い。


 ノアは音の方向を見た。


【外部音:集会合図】

【対象:村】


 ガルドが立ち上がる。


「行ってくる」


 エルナが頷く。


「気をつけてね」


 リリが椀を置く。


「リリも行く」


「ダメだ」


 ガルドが即答する。


「えー」


「ダメだ」


 同じ声。


 リリは唇を尖らせる。


 だが、今回は強く反論しなかった。


 昨日のことがある。


 大人たちがノアをどう見るか。


 リリにも、それが少しは分かっているのだろう。


 ガルドはノアを見る。


「お前はここにいろ」


【指示:待機】


「……待機」


「村長が呼べば行く。それまでは動くな」


「……動かない」


 ガルドは頷き、村の方へ向かった。


 その背中が霧の中へ消える。


 ノアはそれを見ていた。


 昨日、ガルドは教えた。


 地面にも記録は残る。


 ならば、背中にも何かが残るのだろうか。


 歩く速度。

 肩の角度。

 足音の重さ。


 そこには、言葉ではない情報がある。


【対象:ガルド】

【状態:警戒/責任】


 責任。


 ガルドが何度も口にした言葉。


 俺が持つ。


 ノアにはまだ分からない。


 だが、ガルドがその言葉を言う時、周囲の反応が変わる。


 リリを守る時とも違う。


 エルナを見る時とも違う。


 村人と向き合う時、ガルドは一人で前に立つ。


【責任:前に立つこと】

【仮定義】


 ノアは静かに記録した。


 昼前。


 村の集会は長引いた。


 ガルドは戻らない。


 リリは家の周りを何度も歩き、納屋の前まで来ては村の方を見る。


「長いね」


「……長い」


「おとうさん、怒ってないかな」


【語彙:怒る】

【意味:部分一致】


「……怒る?」


「うーん。おとうさん、怒ると静かになる」


 ノアは処理する。


 ガルドは通常時から静か。


 怒っている状態との差異が不明。


「判別、困難」


 リリは少し笑った。


「そうだね。おとうさん、いつも静かだもんね」


 その笑いは明るかったが、すぐに消えた。


「でも、村の人がノアのこと悪く言ったら、リリやだな」


「……やだ」


 昨日覚えた語彙。


 嫌。


 拒否。


 説明しにくい不快。


 リリは頷く。


「うん。やだ」


 その時、道の向こうから一人の少年が走ってきた。


 村の子ども。


 以前、ノアに触れようとしたうちの一人だった。


 少年は息を切らせながら、家の前で止まる。


「リリ!」


「なに?」


「村長が、ガルドさんと一緒に来いって」


 リリの顔が緊張する。


「ノアも?」


 少年はノアをちらりと見た。


 少し体が固くなる。


 だが、逃げない。


「……うん。ノアも」


【外部指示:村長】

【行動:移動許可】


 ノアは立ち上がる。


 リリも立ち上がる。


 エルナが家から出てきた。


「呼ばれたのね」


「うん」


 エルナはノアを見た。


「大丈夫よ。ゆっくり行きましょう」


「……ゆっくり」


「ええ」


 リリがノアの方へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。


 ガルドに言われたのを思い出したらしい。


 近づきすぎるな。


 リリは少し考えてから、ノアの隣を歩いた。


 触れない距離。


 でも離れすぎない距離。


【距離:調整】

【対象:リリ】

【状態:配慮】


 配慮。


 新しい行動。


 リリも学んでいる。


 ノアはそれを記録した。


 村の中央へ向かう道。


 昨日よりも視線が多かった。


 家の影から見る者。


 井戸のそばで話を止める者。


 子どもを後ろへ下げる母親。


 遠くから会釈する老人。


 反応は一つではない。


【外部反応:混在】

【警戒/関心/感謝/不安】


 ノアは歩く。


 指示通り、急がない。


 力を入れすぎない。


 足音を小さくする。


【加減:歩行に適用】


 村の中央には、人が集まっていた。


 村長がいた。


 ガルドがその隣に立っている。


 その顔は、やはり静かだった。


 怒っているかどうかは判別できない。


 村長はノアを見ると、ゆっくり頷いた。


「来たか」


「……来た」


 リリが小さく笑いそうになったが、場の空気を読んだのか我慢した。


 村長は周囲を見渡す。


「昨日の件で話し合った」


 村人たちが静まる。


「ノアをただちに村から追い出すことはしない」


 ざわめき。


 安堵ではない。


 完全な反発でもない。


 揺れ。


「だが、自由に村内を歩かせることもまだ認めない」


 ノアは記録する。


【行動制限:継続】


「ガルドの家で預かる。外敵が再び来た場合は、村の防衛に協力してもらう」


 防衛。


 守ること。


 村の継続を保つこと。


【語彙:防衛】

【関連:守る】


 一人の男が声を上げる。


「本当に従うんですか、それは」


 それ。


 ノアを指す語。


 リリが一瞬反応する。


 だが、エルナが肩に手を置いて止めた。


 村長はノアへ視線を向ける。


「ノア」


「……ノア」


「お前は、ガルドの言うことを聞けるか」


「……聞ける」


「村を壊さないか」


「……壊さない」


「人を傷つけないか」


 問い。


 処理。


 敵対行動をする個体は制圧する必要がある。


 だが、村人。


 非敵対。


 リリ。


 エルナ。


 ガルド。


 壊したくない。


「……傷つけない」


 村長は頷く。


 だが、先ほどの男は納得しない。


「言葉だけなら誰でも言える」


 正しい。


 ノアはその発言を処理する。


【言葉:証明不十分】


 村長も否定しない。


「その通りだ」


 そしてガルドを見る。


「だから、見張る者がいる」


 ガルドは黙っている。


 前に立つ。


 責任。


【責任:前に立つ】


 ノアはガルドを見る。


 ガルドもノアを見た。


 短い視線。


 そこに命令はない。


 だが、意味があった。


 ノアは一歩前に出た。


 リリが息を呑む。


 村人たちの体がこわばる。


 ノアは止まる。


 両手を下げたまま。


 攻撃姿勢ではない。


 ゆっくり言った。


「……ノア、壊さない」


 短い言葉。


「……加減、覚える」


 ガルドの眉がわずかに動く。


 ノアは続ける。


「守る。壊しすぎない」


 静寂。


 村人たちは、その言葉の意味を測っている。


 完璧な言葉ではない。


 だが、ただの機械的返答でもない。


 リリが胸の前で両手を握る。


 エルナは目を伏せ、少しだけ笑う。


 村長は長く黙った後、静かに言った。


「ならば、見せてもらおう」


「……見せる」


「これからだ」


 村長はそう言った。


「一度守ったから終わりではない。共にいるなら、日々で示すしかない」


【語彙:日々】

【意味:継続する時間】


 日々。


 明日。


 また明日。


 少しずつ。


 すべてが繋がる。


【概念:信頼】

【状態:未定義】


 集会は終わった。


 解散していく村人たちの反応は、やはり一つではなかった。


 遠巻きに見る者。

 小さく頷く者。

 まだ不満を隠さない者。

 リリに声をかけて安心させる者。


 世界は単純ではない。


 敵と味方だけでは分類できない。


【関係分類:複雑】


 ノアはそのことを初めて明確に記録した。


 帰り道。


 リリが小さく言った。


「よかった……のかな」


 エルナが答える。


「少しだけね」


「少しだけ?」


「ええ。少しだけよ」


 リリはノアを見る。


「でも、少しずつだもんね」


「……少しずつ」


 ノアは繰り返す。


 ガルドが前を歩きながら言った。


「浮かれるな」


「おとうさん、すぐそういうこと言う」


「事実だ」


 ガルドは振り返らない。


「認められたわけじゃない。猶予をもらっただけだ」


【語彙:猶予】

【意味:未定義】


 エルナが穏やかに言う。


「でも、追い出されなかったわ」


「それはそうだ」


「なら、今日はそれでいいのかしら」


 ガルドは答えない。


 沈黙。


 だが、否定もしない。


 リリが小さく笑う。


 ノアはその笑いを記録する。


【未知信号:安定】


 家に戻ると、リリはまた花を見に納屋へ走った。


「昨日の花、まだある?」


「……ある」


「よかった!」


 棚の上の花は、少しだけしおれていた。


 リリはそれを見て、少し考える。


「お水、いるかな」


【語彙:水】

【対象:植物維持】


 エルナが小さな器を持ってきた。


「少し入れてあげましょうね」


 ノアは器を受け取る。


 花を水に挿す。


 茎が水に触れる。


【対象:植物】

【維持行動:実行】


 リリが笑う。


「これで長くもつね」


【語彙:長くもつ】

【意味:継続】


 守る。


 壊しすぎない。


 長くもたせる。


 全部がどこかで繋がっている。


 ノアは花を見る。


「……守る」


 リリが首を傾げる。


「お花を?」


「……花も」


 エルナが少し驚いたようにノアを見る。


「そうね。花も、壊さないようにしないといけないわね」


 ガルドが外で薪を運びながら、低く言った。


「握り潰すなよ」


「……潰さない」


「ならいい」


 そのやり取りで、リリが笑った。


 エルナも笑った。


 ガルドは笑わない。


 だが、家の前の空気は少しだけ軽くなった。


 夕方。


 ノアは納屋の前に座っていた。


 花は水に挿され、棚の上に置かれている。


 村からは、まだ視線が届く。


 完全な安心はない。


 敵が再び来る可能性もある。


 上位文明の影など、この村の誰も知らない。


 ノア自身も知らない。


 それでも、この小さな場所では、今日も一つ言葉が増えた。


 加減。


 防衛。


 日々。


 信頼。


 猶予。


 長くもつ。


 難しい語彙ばかりだった。


 けれど、それらはすべて、壊さずに続けるための言葉だった。


【未知信号:再分類中】


 ノアは自分の手を見る。


 強い手。


 壊せる手。


 昨日までなら、それは戦闘能力だった。


 だが今日、ガルドはそれを弱く使えと言った。


 リリは花を渡した。


 エルナは水を入れた。


 村長は日々で示せと言った。


 この手は、壊すためだけではない。


 持つ。


 受け取る。


 支える。


 水に挿す。


 力を抜く。


 それらもまた、この手でできることだった。


【手部機能:再評価】


 ノアは静かに、手を閉じた。


 完全には握らない。


 花を潰さない力。


 器を割らない力。


 誰かの腕を折らずに止める力。


 それは戦闘よりも難しい。


 けれど、覚える必要がある。


 守るために。


 壊したくないから。


 リリが家の中から声をかける。


「ノアー! ごはんだよー!」


 ノアは立ち上がる。


 まだ家の中には入らない。


 けれど、家の前に自分の椀が置かれる。


 昨日より少しだけ、扉に近い場所。


 境界はまだある。


 だが、その位置は昨日より少しだけ内側だった。


【位置:更新】


 ノアはそこへ向かう。


 エルナが椀を置きながら言う。


「今日はここでいいかしら」


「……ここ」


「ええ」


 リリが隣に座る。


 ガルドは少し離れて腰を下ろす。


 食事が始まる。


 同じ動作。


 同じ時間。


 同じ場所ではない。


 少しずつ変わっている。


 ノアは椀を持つ。


 力を弱める。


 壊さない。


 そして、言う。


「……いただきます」


 リリが目を丸くした。


「それ、教えてない!」


 エルナが驚いてノアを見る。


「どこで覚えたのかしら」


 ノアは処理する。


 朝、リリが食べる前に小さく言った音。


 エルナが同じように言った音。


 ガルドも低く言っていた音。


【観察学習:成功】


「……聞いた」


 ガルドが椀を持ったまま、ぼそりと言う。


「耳がいいな」


 リリが笑う。


「すごいね!」


 ノアは椀を見る。


 湯気が上がっている。


 朝と同じように、息を吹きかける。


「ふー」


 リリが隣で真似をする。


「ふー」


 エルナが静かに笑う。


 ガルドは黙って食べる。


 村の遠くで犬が吠える。


 森の方から風が来る。


 花は納屋の中で水を吸っている。


 この場所はまだ脆い。


 完全ではない。


 いつ壊れるか分からない。


 だからこそ、壊したくない。


【未知信号:安定】

【名称候補:心】


 まだ確定ではない。


 それでもノアは、その信号を消さなかった。


 消したくなかった。


 椀を持つ指に、また少しだけ力を抜く。


 壊さないために。


 続けるために。


 守るために。


 その夜、納屋の棚の花は、朝より少しだけ首を上げていた。


 ノアはそれを見て、静かに記録した。


 壊さずに残るものがある。


 手を加えることで、続くものがある。


 ただ強いだけでは守れないものがある。


 それを知った日だった。

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