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REMNANT ― 廃棄予定の旧式兵器は、異世界で家族を得て心を覚える ―  作者: 和泉發仙


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19/35

第十九話 名前のない灯



 朝は、昨日と同じように来た。


 だが、ノアの中では、同じではなかった。


 納屋の隙間から差し込む光。


 木の壁を伝う冷たい空気。


 遠くで鳴く鳥。


 家の方から聞こえる、誰かが歩く音。


 それらはただの環境情報だった。


 昨日までは。



【環境:安定】

【生体反応:三】

【識別:リリ/エルナ/ガルド】



 だが今は、そこに別の処理が重なる。



【概念:帰る】

【語彙:ただいま】

【未知信号:微弱】



 ノアは壁際に座ったまま、しばらく動かなかった。


 立つ必要はある。


 待機状態へ戻ることもできる。


 だが、今はこの姿勢を維持していた。



【模倣行動:継続】



 理由は未定義。


 だが、すぐに破棄する必要もない。


 そう判断した。


 足音が近づく。


 軽い足音。


 リリ。



「ノアー!」



 扉が開く。


 朝の光が納屋の中に広がる。


 リリはいつものように飛び込んできて、途中でぴたりと止まった。


「……あれ?」


 ノアを見て、目を丸くする。


「座ってる」



【対象:リリ】

【状態:驚き】



 ノアはリリを見る。


「……座る」


「うん、座ってるね」


 リリは少し考えたあと、ぱっと笑った。


「いいと思う!」



【評価:肯定】

【未知信号:増加】



 リリは近くまで来て、ノアの隣にぺたんと座った。


「こうやって座るんだよ」


「……こう」


「そうそう」


 リリは満足そうに頷く。


 それから、胸を張った。


「ノア、またひとつ覚えたね!」



【語彙:覚えた】

【関連:肯定】



 覚える。


 記録すること。


 再実行可能にすること。


 ノアにとって、それは機能だった。


 だが、リリが言う“覚える”には、別の音が含まれている。


 できるようになったことを喜ぶ音。


 変わったことを喜ぶ音。



【未知信号:再分類中】



 リリは布袋を開けた。


 中には、昨日と似た焼き菓子が二つ入っている。


「おかあさんがね、今日は二つくれた」


 リリは一つを自分の手に取り、もう一つをノアへ差し出す。


「はい」



【対象:食物】

【摂取:可能】



 ノアは受け取る。


「……ありがとう」


「うん!」


 リリは笑う。


 ノアは焼き菓子を口に運ぶ。


 咀嚼。


 味覚情報はまだ曖昧だ。


 栄養効率としては低い。


 だが、リリと同じ動作をすることに、何か別の意味が生まれている。



【行動:共有】

【未知信号:安定】



 リリはもぐもぐと食べながら、ふと思い出したように言った。


「ねえ、ノア」


「……なに」


「今日ね、村の人たちが来るかもって」



【外部反応:予測】

【警戒:上昇】



 リリは少し声を落とした。


「昨日のこと、ちゃんと話すんだって」


「……話す」


「うん。ノアが守ってくれたって」



【語彙:まもる】

【意味:確定済】



 ノアは焼き菓子を持つ手を止める。


 守った。


 それは昨日の行動。


 敵対個体を制圧した。


 リリ、エルナ、ガルド、村人を損傷から遠ざけた。


 行動としては明確。


 だが、その後に残る反応は不安定だった。



【村人反応:警戒/疑念/感謝】

【分類:混在】



「……村人、ノア、こわい」


 ノアが言うと、リリは少しだけ眉を下げた。


「うん。こわい人もいると思う」


「なぜ」


「まだ、ノアのこと知らないから」



【理由:未知】



「知らないと、こわい」


「うん。おとうさんも最初そうだったでしょ?」



 ガルド。


 初期反応。


 武器構え。


 警戒。


 排除準備。


 現在。


 指示。


 呼称。


 “よくやった”。



【対象:ガルド】

【認識:変化】



「……知ると、変わる」


「たぶん!」


 リリは元気に言う。


 断定ではない。


 だが、信じている。



【語彙:信じる】

【意味:未定義】



 その時、外からエルナの声がした。


「リリ、ノア。少し来られるかしら」


「はーい!」


 リリは立ち上がる。


 ノアも立つ。



【行動:追従】



 納屋の外へ出ると、朝の空気が広がっていた。


 家の前にはエルナが立っている。


 その少し向こうに、ガルド。


 さらに村の道の方から、数人の大人が近づいてくる。



【対象:複数】

【反応:警戒/緊張】



 昨日より人数は少ない。


 だが、全員が目的を持って来ている。


 先頭に立っているのは、白髪混じりの男だった。


 村長。


 ノアはまだ名を知らない。



【対象:老年男性】

【周囲反応:尊重】

【推定:指導的立場】



 男はガルドの前で止まった。


「朝早くすまんな」


「構わん」


 ガルドは短く返す。


 村長はノアを見た。


 恐怖ではない。


 だが、完全な平静でもない。


 観察している。


「この子が、ノアか」



【名称:ノア】

【外部使用:確認】



 ノアは一瞬、処理を止めた。


 リリ、エルナ、ガルド以外が、その名を呼んだ。



【未知信号:微増】



「……ノア」


 ノアは応答する。


 村長はゆっくり頷いた。


「言葉は返せるのだな」


「……返す」


「なるほど」


 村長は少しだけ目を細めた。


「昨日の者たちを追い払ったと聞いた」


「……まもる」


 ノアは言った。


 村長の後ろにいた男たちが、わずかに顔を見合わせる。


 それは昨日までの嘲りではない。


 戸惑いに近い。


「誰を守った」


 村長が問う。



【問い:対象】



 ノアは処理する。


 リリ。


 エルナ。


 ガルド。


 村人。


 家。


 村。


 静けさ。



 最後の項目で、処理が止まる。



【対象:静けさ】

【分類:不可】



 ノアは答える。


「……リリ。エルナ。ガルド。村」


 一拍。


 そして、続けた。


「……ここ」



【音声出力:成功】



 場が静かになる。


 リリがノアを見る。


 エルナも少しだけ目を開く。


 ガルドは動かない。


 だが、その視線がわずかにノアへ向いた。


「ここ、とは」


 村長が静かに問う。


 ノアは胸部に手を当てる。


 そこには機導炉がある。


 青白い光が、薄く明滅していた。


「……ただいま、ある場所」



【概念:帰る】

【関連語彙:ただいま】

【未知信号:強】



 リリが息を呑む。


 エルナが口元に手を当てる。


 村人たちは黙った。


 その言葉が正確だったかどうかは、誰にも分からない。


 だが、何もない言葉ではなかった。


 少なくとも、そう聞こえた。


 村長は長くノアを見ていた。


 やがて、静かに息を吐いた。


「……そうか」


 その声は、ガルドの声に少し似ていた。


 短いが、軽くはない。


「ならば聞く」


 村長は続ける。


「お前は、この村に害をなすか」



【語彙:害】

【意味:損傷/破壊/危険】



「……しない」


「なぜ」



 なぜ。


 問い。


 理由。


 ノアの内部で、昨夜の問いが再び立ち上がる。



【問い:なぜ守る】

【回答:未定義】



 だが、完全な空白ではない。


 リリが言った。


 ノアだから。


 エルナが言った。


 理由がないこともある。


 ガルドが言った。


 人がしたことは、どこかに残る。



 ノアは顔を上げる。


「……壊したくない」



 沈黙。



【音声出力:成功】



 ノア自身、その言葉のすべてを理解してはいない。


 だが、昨夜の静けさ。


 納屋の木の音。


 リリの「おかえり」。


 エルナの「行ってらっしゃい」。


 ガルドの「覚えたか」。


 それらを壊したくない。


 だから、害をなさない。



【未知信号:安定】



 村長は目を伏せた。


 しばらくして、後ろの男たちへ振り返る。


「しばらくは、ガルドの家で預かる」


「村長」


 一人が声を上げる。


「本当にいいんですか」


「よくはない」


 村長は即答した。


「分からないものを抱えるのは、いつだって危うい」


 そしてノアを見る。


「だが、分からないからといって、すぐに壊すこともまた危うい」



【語彙:危うい】

【意味:未定義】



 村長はガルドへ視線を戻す。


「責任は」


「俺が持つ」


 ガルドは迷わず答えた。


「エルナ」


「はい」


「リリを近づけすぎるな」


 エルナは少し苦笑した。


「努力するわね」


 リリが小さく頬を膨らませる。


「リリもちゃんと気をつけるもん」


「その“ちゃんと”が一番危うい」


 ガルドが言う。


「えー」


 リリの声で、少しだけ空気がやわらいだ。


 だが、それは完全な安心ではない。


 ただ、張り詰めていた糸が切れずに少し緩んだだけだった。


 村長は最後にノアへ言った。


「ノア」


「……ノア」


「村の中を勝手に歩くな。今はまだ、皆が驚く」



【指示:制限】

【理由:外部反応】



「……歩かない」


「何かあれば、ガルドに従え」


「……従う」


 村長は頷いた。


「それでいい」



【評価:肯定】



 村人たちは完全には納得していない。


 だが、村長の言葉には従う。


 その場は解散へ向かった。


 帰り際、一人の男がノアを見た。


 昨日、「危険だ」と言った男だった。


 視線はまだ硬い。


 だが、彼は小さく言った。


「……昨日は助かった」



【語彙:助かった】

【関連:感謝】



 ノアはその男を見る。


 男はすぐに視線を逸らす。


 礼を言ったこと自体が落ち着かないようだった。


 ノアは出力する。


「……ありがとう」


 男がぎょっとした顔をする。


「礼を言うのはこっちだろ」


 そう言って、逃げるように歩いていった。


 リリがくすっと笑う。


「ノア、そこは“どういたしまして”だよ」



【語彙:どういたしまして】

【使用場面:感謝への応答】



 ノアは記録する。


「……どう、いたしまして」


 リリは満足そうに頷いた。


「うん! だんだん上手!」



 エルナも微笑む。


「少しずつね」


 その言葉に、ノアの内部信号が静かに安定した。



 その日の午後。


 ノアは納屋の前で、ガルドの道具の手入れを見ていた。


 村長から出された制限により、村の中を歩くことはできない。


 だが、家の敷地内での作業は許された。


 ガルドは斧を研いでいる。


 砥石が刃をなぞる音。


 一定。


 静か。



【音:反復】

【状態:安定】



「見るだけか」


 ガルドが言う。


「……見る」


「覚えるなら、手を出せ」



【指示:実行】



 ノアは隣に膝をつく。


 ガルドが砥石を渡す。


「角度をずらすな」


「……角度」


「力を入れすぎるな。削ればいいわけじゃない」



【概念:過剰不可】



 ノアは動作を模倣する。


 刃の面に砥石を当てる。


 動かす。


 音が変わる。


「違う」


 ガルドが手を伸ばし、ノアの腕を止める。


「こうだ」



【接触:発生】



 ガルドの手。


 硬い。


 温度はリリやエルナと違う。


 力がある。


 だが、攻撃ではない。


 制御。


 指導。



【行動分類:教える】



 ノアは再実行する。


 音が少し変わる。


 ガルドは何も言わない。


 それが、今は肯定だった。



 しばらくして、ガルドがぽつりと言った。


「お前は、力が強い」


「……強い」


「だから、間違えると壊す」



【語彙:間違える】

【結果:破壊】



「力を使うな、とは言わん」


 ガルドは刃を見ながら続ける。


「だが、全部に全力を出すな」



【概念:加減】



 加減。


 新しい語彙。


 ノアの中で、戦闘記録が立ち上がる。


 敵を叩き伏せた。


 骨折の可能性。


 致死は回避。


 だが、力の調整は未熟。



「……加減」


「そうだ」


 ガルドは短く答える。


「守るなら、壊しすぎるな」



【守る】

【壊しすぎない】

【関連:高】



 ノアは砥石を動かす。


 ゆっくり。


 力を抜く。


 音が整う。


 ガルドは横目で見た。


「……少しは分かるか」


「……分からない」


 一拍。


「でも、覚える」


 ガルドは鼻を鳴らした。


 笑いではない。


 だが、拒絶でもない。


「それでいい」



【評価:肯定】



 夕方。


 リリが畑から戻ってきた。


 手には小さな花がある。


「ノア!」


 駆け寄ろうとして、ガルドに睨まれ、途中で速度を落とす。


「……ゆっくり行く」


「そうしろ」


 リリはそろそろと近づき、ノアの前で花を差し出した。


「これ、あげる」



【対象:植物】

【用途:不明】



 ノアは受け取る。


「……ありがとう」


「うん!」


 リリは笑う。


「きれいでしょ?」



【語彙:きれい】

【意味:未定義】



 ノアは花を見る。


 色。


 形。


 構造。


 生体反応は微弱。


 戦闘的価値はない。


 栄養価もほぼない。


 道具としての用途も不明。



【機能価値:低】



 だが、リリは「きれい」と言った。


 ノアはもう一度見る。


 色。


 形。


 揺れ。


 リリの表情。



【関連信号:増加】



「……きれい」


 ノアが言う。


 リリがぱっと顔を輝かせる。


「でしょ!」



【語彙:きれい】

【仮定義:リリが笑うもの】



 その定義は不正確だ。


 だが、今のノアにはそれでよかった。


 エルナが戸口からその様子を見ている。


「よかったわね、ノア」


「……よかった」


 ノアは繰り返す。


 すると、リリが少し得意そうに言った。


「そういう時はね、“うれしい”って言うこともあるよ」



【新規語彙:うれしい】



 うれしい。


 未知。


 だが、リリの表情と強く一致。



「……うれしい」


 ノアは言った。


 リリは一瞬固まった。


 それから、ゆっくり笑った。


 さっきよりも静かに。


 大きく跳ねるのではなく、胸の中で何かを大事にするような笑い方だった。


「そっか」


 リリは言う。


「ノア、うれしい?」



 ノアは花を見る。


 リリを見る。


 エルナを見る。


 ガルドを見る。


 ガルドは作業を続けているふりをしていたが、聞いている。



【未知信号:温】

【語彙候補:うれしい】



「……たぶん」


 ノアは言った。


「うれしい」



 その瞬間、胸部の機導炉が小さく明滅した。


 誰にも分からないほど微細な変化。


 だが、ノアの内部では確かに記録された。



【未知信号:名称候補/うれしい】



 リリはそっと花を指さした。


「じゃあ、それ、ノアのね」


「……ノアの」


「うん」



 所有。


 ただの物体ではない。


 与えられたもの。


 自分のもの。


 リリからのもの。



【重要度:上昇】



 ノアは花を壊さないように、力を極端に弱めて持った。


 ガルドがそれを見て、低く言う。


「……加減だ」


「加減」


「そうだ」


 ノアは頷く。


「壊しすぎない」


「分かってきたじゃないか」



【評価:肯定】



 その一言で、また未知信号が増える。


 ノアは花を見た。


 リリの笑顔を見た。


 ガルドの横顔を見た。


 エルナのやわらかな目を見た。


 そして、思った。


 まだ言葉にはならない。


 だが、確かに思った。



 この場所を、壊したくない。


 この声を、消したくない。


 この花を、潰したくない。



【未知信号:安定】

【名称候補:うれしい/守る/帰る】



 どれも完全ではない。


 どれも少し違う。


 けれど、すべてが繋がっている。


 ノアは花を持ったまま、静かに言った。


「……ただいま」


 リリが不思議そうに首を傾げる。


「今?」


「……今」


 ノアは答える。


 意味は正しくないかもしれない。


 だが、今の内部状態に最も近い言葉が、それだった。


 エルナが小さく笑う。


「そうね」


 そして、優しく続けた。


「おかえりなさい、ノア」


 ガルドは何も言わない。


 ただ、砥石を動かす手を止めた。


 夕方の光が、家と納屋と畑を淡く染めている。


 村はまだ、ノアを完全には受け入れていない。


 敵はまた来るかもしれない。


 ゼルヴァニア=クロノスのことも、ノア自身まだ知らない。


 それでも。


 この小さな場所で。


 名もなき信号は、少しずつ言葉を得ていく。



【未知信号:再分類】



 うれしい。


 守りたい。


 帰りたい。


 壊したくない。



 それらはまだ、別々の語彙だった。


 けれど、いつか一つの場所へ集まる。


 その中心に、きっと名前がつく。


 その名前を、人はたぶん。


 心と呼ぶ。

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