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REMNANT ― 廃棄予定の旧式兵器は、異世界で家族を得て心を覚える ―  作者: 和泉發仙


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第十八話 違和感



 ノアは、納屋の中に立っていた。


 夜ではない。


 昼でもない。


 夕方の光が、木の隙間から細く差し込んでいる。


 戦いの後、村は少しずつ元の形へ戻ろうとしていた。倒れた柵は直され、踏み荒らされた土はならされ、血の跡には新しい砂がかけられた。


 だが、完全には戻らない。


 ノアの内部にも、それは残っていた。



【戦闘記録:再生】



 敵対個体。


 突進。


 ナイフ。


 リリの声。


 ガルドの指示。


 守る。


 叩き伏せる。


 撤退。



【語彙:まもる】

【意味:部分確定】



 守る。


 それは、対象を損傷から遠ざけること。


 敵対行動を排除すること。


 危険物を制圧すること。


 理屈としては、定義できる。


 だが。



【問い:なぜ守る】



 答えが出ない。



【理由:未定義】



 命令ではなかった。


 任務でもなかった。


 上位命令系統は喪失している。


 報酬もない。


 自己保存にも直結しない。


 それでも、ノアは動いた。


 リリの声があった。


 ガルドの背中があった。


 エルナの表情があった。


 それらが並ぶたび、内部の奥で何かが揺れる。



【未知信号:持続】



 異常。


 不明。


 未定義。


 その言葉で処理するには、もう足りない。



 扉の外で、足音がした。


 軽い。


 すぐ分かる。



「ノア!」



 リリだった。


 扉を開けて、顔をのぞかせる。


「いた!」



【対象:リリ】

【状態:安定】



 リリは手に小さな布袋を持っていた。


「おかあさんがね、これ持っていってって」


 差し出す。


 中には焼き菓子のようなものが入っている。



【対象:食物】

【用途:摂取】



 ノアは受け取る。



「……ありがとう」



【音声出力:成功】



 リリが笑う。


「うん!」



【未知信号:増加】



 ノアは、その反応を観測する。


 リリは笑う。


 その笑顔が出ると、内部信号が増える。


 何度も一致している。


 だが、なぜ増えるのかは不明。



「ねえ、ノア」


「……なに」


「今日はね、こわかった?」



 また、その問い。


 こわい。


 恐怖。


 脅威への反応。


 自己保存のための回避処理。



【該当反応:なし】



「……こわく、ない」



 リリは少しだけ首を傾げた。


「そっか」


 笑わない。


 今度は、少し困った顔をする。


「でもね、リリはこわかったよ」



【未知信号:急増】



 ノアの内部で処理が止まる。



「……リリ、こわい」


「うん。ノアがケガしたらどうしようって思った」



【語彙:ケガ】

【対象:ノア】



 自己損傷は軽微。


 機能障害なし。


 問題なし。


 だが、リリはそれを“こわい”と言った。



「……ノア、問題ない」


「でも、こわいの」



 矛盾。



【論理不一致】



 リリは近づいて、ノアの腕の小さな傷を指でなぞった。


「ここ。いたくない?」


「……いたく、ない」


「そっか」


 リリは小さく息を吐いた。


「でも、リリはいや」



【未知信号:最大】



 いや。


 拒否。


 不快。


 損傷ではない。


 危険でもない。


 それでも、リリは嫌だと言う。


 ノアは理解できない。


 だが、リリの声は記録から消えない。



「……なぜ」


「え?」


「なぜ、いや」



 リリは目を丸くした。


 それから、少し考える。


「だって、ノアだから」



【理由:ノアだから】



 処理不能。



「……説明、不可」


「うーん」


 リリは腕を組んだ。


「ノアがノアだから、いやなの」



 同じ言葉。


 説明になっていない。


 だが、リリにとってはそれが答えらしい。



【問い:存在価値】

【回答:対象そのもの】



 ノアの内部で、また新しい空白が生まれた。


 それはエラーではない。


 ただ、埋まらない場所。



 そこへ、エルナの声がした。


「リリ、困らせているのかしら」


 扉の外に、エルナが立っている。


 柔らかな表情。


 だが、少しだけ疲れもある。


「おかあさん!」


「ノアに難しいことを聞かせているのね」


「だって、ノアが“なぜ”って言ったんだよ!」


「そう」


 エルナは少し驚いたようにノアを見た。


「あなた、“なぜ”って聞いたのね」



【語彙:なぜ】

【使用:成功】



 ノアは沈黙する。


 エルナは納屋の中へ入った。


 距離は近すぎない。


 けれど、遠すぎもしない。


「リリが言ったことは、たぶん難しいわね」


「……難しい」


「ええ。とても難しいわよ」


 エルナは穏やかに言う。


「誰かが傷つくのを嫌だと思うことに、いつも理由があるわけじゃないの」



【理由:なし】



 ノアの処理が止まる。


「理由、なし」


「そうね。ない、というより……言葉にしにくいのかしら」



 エルナはノアの腕の傷を見る。


「たとえばね、あなたが壊れても、村は助かるかもしれない。でもリリは悲しむわ」



【語彙:悲しむ】

【意味:未定義】



「悲しむ」


「大事なものが傷ついたり、いなくなったりした時に、胸の中が痛くなることよ」



【胸部:機導炉】

【痛覚:なし】



「ノア、胸、痛くない」


「今はそうかもしれないわね」


 エルナは微笑む。


「でも、いつか分かるかもしれないわ」



 いつか。


 未来。


 未確定。



「……分かる」


「ええ。少しずつね」



 少しずつ。


 その言葉は、何度も聞いた。


 リリが言った。


 エルナが言った。


 ガルドは言わない。


 だが、ガルドもすぐには決めない。



【行動指針:少しずつ】



 ノアの内部で、それが静かに記録された。



 外で、薪を置く音がした。


 ガルドだ。


 リリがぱっと振り返る。


「おとうさん!」


 ガルドは納屋の外に立っていた。


 中へは入らない。


 ただ、ノアを見る。



「動けるか」



「……動ける」


「なら来い」



 短い。


 だが以前とは違う。


 命令に似ている。


 でも、ただの命令ではない。



 ノアは歩き出す。


 リリもついて行こうとする。


「リリ」


 ガルドが止める。


「お前は家にいろ」


「えー」


「いろ」


「……はーい」


 リリは頬を膨らませたが、戻っていく。


 エルナがその背を見送り、ノアへ視線を戻す。


「行ってらっしゃい、ノア」



【語彙:行ってらっしゃい】

【意味:未定義】



 ノアは一度止まる。


 振り返る。


「……行って、らっしゃい」


 リリが笑う。


「ちがうよ! そういう時は、いってきます!」



【新規語彙:いってきます】



 ノアは再試行する。


「……いってきます」


 エルナが目を細めた。


「ええ、行ってらっしゃい」



【関連信号:温】



 温。


 熱ではない。


 温度でもない。


 だが、そう記録された。



 ガルドは何も言わず歩き出す。


 ノアは後ろをついていく。


 向かった先は村の外れだった。


 昨日、敵が来た森の入口。


 そこにはまだ踏み荒らされた草が残っている。


 ガルドは膝をつき、足跡を見る。


「奴らはまた来る」



【脅威:継続】



「……なぜ」


「欲があるからだ」



【語彙:欲】

【意味:未定義】



 ガルドは立ち上がる。


「あいつらには、お前が“物”に見えている」



 物。


 モノ。


 リリが叫んだ言葉が再生される。


 ノアはモノじゃない。



「ノア、モノではない」



 ノアが言うと、ガルドは少しだけ振り返った。


 沈黙。


 それから、低く答える。


「……そう言ったのはリリだ」


「リリ、言った」


「お前はどう思う」



【問い:自己認識】



 ノアは止まる。


 自分は何か。


 旧式兵器。


 残存機。


 RMN-08。


 リマナント。


 ノア。


 モノ。


 人ではない。


 守るもの。


 名前。



【回答:未定義】



「……分からない」



 初めての返答だった。


 ガルドは、しばらく何も言わなかった。


 やがて森の方へ視線を戻す。


「分からないなら、見てろ」



「……見る」


「それで覚えろ」



 ガルドは土を指す。


「これは足跡だ。深い。荷を持っていない。逃げ足だ」


 別の場所を指す。


「ここは引きずった跡。昨日お前が倒した奴だろう」



【解析:補助情報取得】



 ノアの中で、地面の情報が意味を持ち始める。


 ただの凹凸ではない。


 行動の記録。


 誰かがそこにいた証拠。



「……記録」


「ああ。地面にも残る」



 ガルドは静かに言う。


「人がしたことは、どこかに残る」



【語彙:残る】



 ノアはその言葉を記録した。


 戦闘記録も残る。


 音声も残る。


 リリの声も残る。


 エルナの言葉も残る。


 ガルドの背中も残る。



【問い:残るもの】



 ノアは自分の胸部に視線を落とす。


 そこに機導炉がある。


 青白い光が、一定の間隔で明滅している。


 そこには、今までの記録がある。


 命令。


 試験。


 転送。


 落下。


 リリ。


 ありがとう。


 ノア。


 守る。



【記録:増加】



 ガルドが言う。


「戻るぞ」



「……戻る」



 村へ戻る道。


 その途中、ノアは空を見上げた。


 雲が動いている。


 風があるから。


 風は目に見えない。


 だが、草が揺れる。


 雲が流れる。


 音が鳴る。


 見えないものでも、結果は残る。



【仮説:感情も同様】



 ノアの処理が止まる。


 感情。


 見えない。


 だが、リリが笑う。


 エルナが心配する。


 ガルドが前に立つ。


 結果は残る。



【未知信号:再分類中】



 それはまだ、感情ではない。


 だが、感情ではないと言い切るには、すでに大きすぎた。



 村に戻ると、数人の大人が遠くから見ていた。


 誰も近づかない。


 だが、昨日ほど露骨には避けない。


 ノアが足を止める。



【外部反応:変化】



 ガルドは振り返らずに言う。


「気にするな」



「……気にする」



 ガルドが止まる。


 ゆっくり振り返る。



「今、なんと言った」


「……気にする」



 短い沈黙。


 ガルドの目がわずかに細くなる。


「意味は分かって言ってるのか」



 ノアは処理する。


 視線。


 拒絶。


 警戒。


 リリの不安。


 エルナの心配。


 ガルドの前に立つ動き。



「……分からない」



 一拍。



「でも、残る」



 ガルドは何も言わなかった。


 ただ、その場に立ってノアを見ていた。


 その沈黙は、拒絶ではなかった。


 怒りでもなかった。


 たぶん、考えていた。



「……そうか」



 それだけ言って、また歩き出す。


 だがその歩幅は、少しだけ遅くなった。


 ノアがついて来られるように、ではない。


 ノアが何かを見て、記録する時間を与えるように。



 家の前に戻ると、リリが待っていた。


「ノア! おかえり!」



【語彙:おかえり】



 ノアは止まる。


 リリがにこにこしている。


 エルナも戸口に立っている。


「おかえりなさい、ノア」



 ノアの内部で、先ほどの語彙が接続される。


 行ってきます。


 行ってらっしゃい。


 おかえり。



【関係語彙:成立】



 出ていく。


 戻る。


 迎えられる。



 それは、命令ではない。


 任務完了報告でもない。


 帰還。



【新規概念:帰る】



 ノアの口が動く。


「……ただいま」



 リリが目を丸くした。


「おかあさん! ノア、ただいまって言った!」


 エルナが口元に手を当てる。


「まあ……ちゃんと言えたのね」


 ガルドは何も言わない。


 ただ、横を通り過ぎる時に、小さく言った。



「……覚えたか」



「覚えた」



 ノアは答える。


 そして、もう一度言う。



「ただいま」



 その言葉を出すと、内部の未知信号が静かに増えた。


 攻撃時の出力上昇ではない。


 警戒時の緊張でもない。


 故障でもない。


 ただ、何かが満ちる。



【未知信号:安定】



 ノアは、それをまだ理解できない。


 だが、記録する。


 “帰る”という言葉。


 “ただいま”という音。


 迎える声。


 リリの笑顔。


 エルナの目元。


 ガルドの沈黙。



 それらは、戦闘記録よりも深い場所に保存された。



 その夜。


 ノアは納屋の中で、初めて待機姿勢を変えた。


 立ったままではなく、壁際に腰を下ろした。


 必要はない。


 機能的な理由もない。


 だが、昼間ガルドが座っていた姿勢を記録していた。


 エルナが椅子に腰掛けていた。


 リリが床にぺたんと座っていた。


 ならば、自分もそうしてみる。



【模倣行動:実行】



 静かな夜。


 納屋の隙間から星が見える。


 ノアは空を見ていた。



【問い:なぜ守る】



 再び、その問いが立ち上がる。


 だが、今度はすぐに消えなかった。


 代わりに、別のログが並ぶ。



 リリが言った。


 「ノアだから」


 エルナが言った。


 「言葉にしにくいのかしら」


 ガルドが言った。


 「人がしたことは、どこかに残る」



 なら。


 自分の中に残ったものは何か。



【回答:未定義】



 だが、未定義はもう空白ではなかった。


 そこには、形になる前の何かがある。



 ノアは胸部の光を静かに明滅させながら、初めて自分から言葉を出した。


 誰に向けたわけでもない。


 ただ、確認するように。



「……ノア」



 名前。


 自分を示す音。



「……ただいま」



 帰る場所がある時の言葉。



 その二つを並べる。



【存在:更新】



 まだ、人ではない。


 まだ、心とは呼べない。


 だが。


 ただの兵器でも、もうなかった。



 夜風が納屋の隙間を通った。


 木が小さく鳴る。


 ノアはその音を聞いていた。


 戦闘音ではない。


 警戒音でもない。


 ただ、そこにある音。



 そして、その静けさを。


 初めて、壊したくないと思った。



【未知信号:名称未設定】



 その信号に、ノアはまだ名前をつけられない。


 けれど、いつか。


 誰かが教えるのだろう。


 リリが。


 エルナが。


 ガルドが。


 あるいは、ノア自身が。



 まだ名前のないそれは、納屋の暗がりの中で、静かに灯っていた。

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