64.許昌防衛戦 ――異形の巨人、討たる
曹操は、突如として湧き出した
アリの大群と激突していた。
場所は許昌近郊の原野。
許昌の城壁からも見えるほどの距離に、
黒々とした塊が突如として現れ、
そこから無数のアリが溢れ出したのだ。
「絶対にここを通すな!」
背後には許昌がある。
異形から逃れてきた民が身を寄せている以上、
ここを突破されるわけにはいかない。
曹操は叫ぶと、騎馬隊の先頭に立ち、
真っ向からアリの群れへ突撃した。
その傍らには、許褚がぴたりと寄り添っている。
アリは確かに巨大で、動きも素早い。
だが、人間でいう顔にあたる部分は柔らかく、
馬よりもわずかに小さいため、
騎馬が怯むことはなかった。
「顔を狙え!」
曹操は剣を振り抜きながら、兵たちにそう叫んだ。
刃が柔らかな頭部を裂くたび、
黒い体が地面に転がっていく。
しかし、群れは尽きる気配を見せない。
原野は、まるで蠢く闇そのもののようだった。
――――
「殿、あれを」
同じように騎馬隊を率いていた夏侯惇が、
馬を寄せてきて言った。
「なんだ、あれは」
曹操が見たのは、塊から出てきた巨人だった。
迷うことなく、曹操軍の方に、向かってくる。
あの身体なら、城壁など軽々と打ち破るだろう。
それくらいの大きさだった。
「夏侯淵はいるか」
すぐに、夏侯淵が走ってくる。
「夏侯淵、あの巨人には、近づくな、遠くから弓だ」
「殿、任せてください」
夏侯淵は、弓兵を率いていた。
巨人は、まっすぐに、曹操のところに向かってくる。
「夏侯惇、許昌の手前で、
堅陣を組め、アリを通すな」
「殿は?」
「わしは、あの巨人を引きつける、
その間に、後退しろ」
「私が、やります。殿はお下がり下さい」
「いいから、行け。俺には許褚がいる」
夏侯惇は、仕方がない、といった風で、
騎馬隊と歩兵を連れて、後退していった。
曹操は、許褚と共に騎馬隊を率いて、
巨人を撹乱するため、走り出した。
「来たな」
曹操は、夏侯淵が控える弓兵の前に引きつけるため、
一度巨人に向かうフリをする。
巨人の目の前を通り過ぎるようにしてから、
後退していく。
許褚が一度、巨人に斬りかかる。
刃は通るようで、巨人は一瞬ひるんだ。
その隙に、許褚も後退する。
巨人が、追いすがってくる。
見た目に寄らず、意外に素早い。
曹操は、右に左にかわしながら駆けていく。
前方に、夏侯淵が見える。
曹操達は、横に大きくそれるようにして、
駆ける方向を変えた。
巨人と、夏侯淵の間に、空隙がある。
「くらえ、化け物」
夏侯淵の放った矢が、巨人に突き刺さる。
夏侯淵は、信じられない速さで、矢を放っていく。
巨人の足が止まる。
「一斉に射て」
夏侯淵の号令と共に、
弓兵から一斉に矢が巨人に向かって放たれる。
弓兵は、横列に並び、それが、何列も並んでいる。
一番手前の弓兵が矢を射ると、一番後ろの列に戻る。
次の列の弓兵が、矢を射る。
それを繰り返す事で、間断無く、
矢が敵に放つ事が出来るのだ。
巨人に、矢が何本も突き刺さっていくが、
巨人は、それを自らの手で引き抜いていく。
夏侯淵の矢が雨のように降り注ぎ、
巨人の動きがわずかに鈍った。
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「今だ、夏侯惇!」
曹操が叫ぶと同時に、
夏侯惇が馬を走らせ、
曹操の横へ並んだ。
「殿」
「背後を取る」
巨人は前方の弓兵に意識を向けていた。
その巨体は矢を引き抜きながら、
なおも前へ進もうとしている。
だが、その足は確かに止まっていた。
曹操と夏侯惇は、その一瞬の隙を逃さなかった。
巨人の視界の外、背後へと回り込む。
曹操は剣を構え、
巨人の膝裏へ向けて馬を走らせた。
「夏侯惇、行くぞ」
「はい」
巨人の膝裏は、その巨体を支えるために
最も負荷がかかる場所。
そこを狙うのは、曹操の戦場経験から
導き出した判断だった。
曹操の剣が、夏侯惇の槍が、
同時に巨人の膝裏へ突き刺さる。
巨人の膝が大きく揺れ、巨体がぐらりと傾いた。
「殿、効いております」
夏侯惇が叫ぶ。
曹操は馬を操りながら、さらに深く剣を押し込んだ。
巨人が苦悶の声を上げ、その場で膝をつく。
大地が揺れ、土煙が舞い上がる。
夏侯淵が叫ぶ。
「今だ、射て」
再び矢の雨が降り注ぎ、巨人の背中に突き刺さる。
巨人は苦しげにのたうち回り、
その動きは明らかに鈍っていた。
それを見た許褚は巨人の背中の傷口へ飛びつき、
そのまま腕力だけでよじ登っていく。
巨人は許褚を掴もうと腕を伸ばすが、
矢が次々と突き刺さり、動きを止める。
「今だ、許褚」
曹操の声が響く。
許褚は巨人の肩へとよじ登り、
その首元へ剣を構えた。
許褚の剣が、巨人の首へ深々と突き刺さる。
巨人が苦悶の叫びを上げ、その巨体が大きく揺れた。
だが許褚は離れない。
「まだだ」
剣を引き抜き、再び振り下ろす。
何度も。
何度も。
何度も。
巨人の首から黒い霧が噴き出し、
その動きが徐々に鈍くなっていく。
許褚は全身の力を込め、
最後の一撃を振り下ろした。
剣が巨人の首を断ち切る。
巨人の首が落ち、巨体がゆっくりと崩れ落ちた。
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土煙が上がり、原野が静まり返る。
許褚は巨人の肩から飛び降り、曹操の前に膝をついた。
「殿、討ち取りました」
曹操は馬を降り、許褚の肩に手を置いた。
「よくやった、許褚。
お前がいてくれて、本当に助かった」
許褚は照れくさそうに頭を下げた。
「殿のためなら」
夏侯惇が笑う。
「まったく……相変わらず化け物じみた力だな」
夏侯淵も頷いた。
曹操は巨人の死骸を見つめ、静かに呟いた。
「異形は、まだまだ終わらぬのか」
風が吹き抜け、黒い霧がゆっくりと消えていった。




