58.異形が消えた鄴で判明した真実――黒い塊はタイムマシンだった
数万の兵が列を成して進む光景は、廠が、劉禅として軍を率いていた、あの時代以来だった。
先行する紅陽と張飛の騎馬隊から、伝令が駆け込んできた。
「報告! あと数キロで城門に到達します!」
劉備は頷き、手を上げて全軍に停止を命じた。
「ここで一度、隊列を整える。妙だ。ここまで、まったく襲撃がない」
伝令が駆け去っていくと、劉備は廠の方へ馬を寄せた。
「廠殿、やはり妙ですな。異形が、一体も出てこないなど」
廠は周囲の静けさを確かめるように目を細めた。
「城内に籠もっているのかもしれない。あるいは呼び戻されているのか」
劉備は息を呑んだ。
「巣が、何かを準備している?」
廠は答えず、ただ前方を見つめた。
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やがて、黒く染まった城壁が視界に入ってきた。
その中央。
「……開いている?」
廠の呟きと同時に、紅陽が馬を走らせて戻ってきた。
「殿、我々が着いた時には、すでに門は開いておりました」
張飛も続く。
「誰もいねぇ。異形の影すら見えねぇ……気味が悪いぞ」
劉備は眉をひそめた。
「罠か、それとも、誘っているのか」
趙雲が槍を構え、静かに言う。
「城門の内側から、風が吹いています。まるで、呼吸のように」
廠は馬を進め、開いたままの城門を見上げた。
黒く溶けた石、脈打つような地面。
門の奥は闇に沈み、何も見えない。
紅陽が息を呑む。
「殿、どうしますか」
廠は槍を握り直し、静かに答えた。
「全軍、ここで一度停止。紅陽、張飛、趙雲が先行して内部を探る。劉備殿は後方で全軍を整えてくれ」
劉備は頷いた。
「わかった。廠殿、どうか無茶はなさらぬよう」
廠はわずかに笑った。
「無茶はしない。だが“覗かねばならない”時もある」
城門の奥から、かすかな地鳴りが響いた。
まるで、巨大な何かが眠りから目覚める前の呼吸のように。
廠は馬を進めた。
「行くぞ」
黒い闇が、彼らを待ち受けていた。
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城門をくぐった瞬間、廠たちは思わず馬を止めた。
「……これは」
張飛が低く唸る。
城内は、かつての鄴の面影をほとんど残していなかった。
建物は黒く溶け、地面は脈打つように波打ち、まるで巨大な生き物の体内に迷い込んだかのようだった。
「異形が……いない?」
趙雲が周囲を見渡し、眉をひそめる。
紅陽が槍を構えたまま、廠の横に寄った。
「殿、気配がありません。まるで、全て消えたように」
その言葉と同時に、城の中心部、かつて政庁があった場所の奥から、奇妙な光が漏れた。
「殿、あれを!」
紅陽が指差す。
廠たちは馬を進め、廃墟の奥へと向かった。
そこにあったのは、巨大な黒い塊。
球とも、卵とも、岩ともつかぬ物体だった。
表面はぬめり、脈動し、時折、光が内部から漏れ出す。
「……吸い込まれている」
張飛が呆然と呟いた。
巨大アリの残骸が、半魚人の死骸が、さらにはまだ生きている異形までもが、その黒い塊へと引き寄せられ、触れた瞬間、光に包まれて消えていく。
まるで、異形を回収しているかのように。
趙雲が震える声で言った。
「これは何なのですか」
廠は答えられなかった。
ただ、胸の奥で確信していた。
これは、異形の“巣”ではない。おそらく、異形の“源”だ。
紅陽が息を呑む。
「殿、動いているように見えます」
「起動している、のかもな」
廠の声は低く、重かった。
やがて、最後の異形が光に飲まれ、黒い塊は静かに脈動を止めた。
城内には、異形の一匹すら残っていなかった。
ただ、廃墟と、黒い塊の残した焦げ跡だけが広がっていた。
張飛が槍を肩に担ぎ、呆れたように言う。
「なんだよ、これは。戦う相手がいねぇじゃねぇか」
劉備が馬を進め、廠の横に並んだ。
「廠殿、何が起きたのです」
廠は首を振った。
「わからない。だが、これは終わりではない。異形はどこかへ行っただけだ」
劉備は息を呑んだ。
「どこかへ……?」
「それを確かめる術は、今はない。だが、ここに留まるべきではない」
廠は槍を収め、全軍に向けて声を上げた。
「全軍、撤収する!神域へ戻り、情報を整理する!」
劉備も続けて号令をかける。
「劉備軍、隊列を整えよ」
城門を出る頃には、鄴の城内は完全な静寂に包まれていた。
風が吹き抜け、黒い廃墟が軋む音だけが響く。
廠は最後に一度だけ振り返った。
「……あれは、何だったのか」
誰も答えられなかった。
神軍と劉備軍は、謎を抱えたまま、静かに神域へと戻っていった。
その背後で、黒い廃墟はただ沈黙し続けていた。まるで、次の“起動”を待っているかのように。
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その夜、軍議は明日へ持ち越され、将たちはそれぞれの持ち場へ散っていった。
戦場の熱気が嘘のように、神域の夜は静かだった。
廠は織の部屋を訪れた。
灯りは小さく、外の風が紙障子を揺らしている。
織は廠の胸に身を預け、そっと囁いた。
「……今日も、お疲れさま」
廠は織の髪を撫で、静かに抱き寄せた。
やがて二人は寝台に身を横たえ、互いの温もりを確かめ合うように、静かに交わった。
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行為の後、織は廠の胸に頬を寄せたまま、ふと懐かしそうに笑った。
「ねぇ、廠。前の世界、覚えてる?あの、未来の街のこと。空を飛ぶ乗り物とか、光る板とか」
廠は目を閉じ、織の背を撫でながら答えた。
「懐かしいね。あの世界は、もう遠い昔のようだ」
「でもね、あの世界にはあったでしょう?時間を越える研究とか、過去を変えるとか、未来を見るとか。そんな話、よく聞いた気がするの」
廠は「そうだな」と呟き、織を抱きしめたまま、ぼんやりと天井を見上げた。
その瞬間。
胸の奥で、何かが弾けた。
「……それだ」
廠は思わず声を上げ、上体を起こした。
織が驚いて身を起こす。
「えっ、急にどうしたの?」
廠は息を荒くしながら言った。
「タイムマシンだ!あれは、異形の“巣”なんかじゃない。異形を生み出す“源”でもない。時間を越える装置だ!」
織は目を見開いた。
「……時間を、越える?」
廠は頷いた。
「異形が吸い込まれていた。死骸も、生きている個体も、全部だ。あれは“回収”していたんじゃない。“送り返していた”んだ」
織は息を呑んだ。
「じゃあ……異形は、未来から?」
廠は拳を握りしめた。
「あの黒い塊は、異形のタイムマシン、未来から異形を送り込み、この時代を侵食している」
織は震える声で言った。
「じゃあ……廠。異形は、なんのため?まだ終わらないの?」
廠は織の手を握り、静かに答えた。
「分からないが、だが――“仕組み”がわかった。なら、必ず止められる」
「あの異形を倒せと言う声とも関係があるのかもしれない」
織は廠の胸に顔を埋めた。
「……怖いよ」
廠は織を抱きしめ、そっと囁いた。
「大丈夫。俺は必ず帰ってくる。織が待っている場所に」
外では、遠く鄴の方角から、また微かな地鳴りが響いた。
まるで、黒い塊が次の“起動”を始めたかのように。
廠はその音を聞きながら、静かに目を閉じた。
明日の軍議で、すべてを話すつもりだった。




