57.親玉討伐の夜、廠は織に誓う――必ず帰ると
巨大アリの親玉が崩れ落ちた瞬間、戦場に重い沈黙が落ちた。
それは、あまりに異様な敵を前にした兵たちの理解の追いつかぬ間、だった。
最初に声を上げたのは張飛だった。
「見たかお前ら、これが俺たちの力だ」
豪快な笑い声が戦場に響き、兵たちの緊張がようやく解けていく。
紅陽は槍を収め、廠のもとへ馬を寄せた。
「殿、無事で何よりです」
廠は肩を軽く回しながら、淡々と答えた。
「紅陽と張飛殿が道を開いてくれたおかげだよ」
紅陽は微笑み、張飛は鼻を鳴らした。
「あんな化け物、普通は槍が通らんぞ」
そこへ劉備が馬を進めてきた。
五万の軍勢を率いる将としての威厳を保ちながらも、その目には安堵が浮かんでいる。
「廠殿、紅陽殿。よくぞ持ちこたえてくれた」
廠は軽く頭を下げた。
「劉備殿の迅速な判断がなければ、我々は飲み込まれていたでしょう」
趙雲が周囲を見渡しながら言う。
「しかし、あれほどの大群、そして親玉らしき個体までいるとは」
紅陽も頷いた。
「それだけ、巣の中に溢れかえっているのかもしれません」
廠の表情がわずかに曇る。
「俺も同じことを考えている。あの巣の中、一体どれくらいの異形がいるのか」
「どうする?ぶっ潰しに行くか?」
「いや、今は追撃すべきではない。一度兵を休め、情報を整理し、改めて対策を練るべきだ。この異形…どうやら、我らが想像する以上の脅威だ」
廠は静かに頷いた。
「劉備殿の言う通りだ。今日の勝利は大きいが、これは“始まり”に過ぎない」
黒い大地に散らばる巨大アリの残骸。
その向こう、鄴の方角からは、まだかすかに地鳴りが響いていた。
紅陽が低く呟く。
「殿……巣が」
廠は槍を握り直し、風の匂いを確かめるように目を細めた。
「分かっている。次は、こちらが主導で動く番だ」
戦場に吹く風が、まるで次の戦いを告げるように冷たかった。
――――
神域の本営に戻ると、戦場の熱気とは対照的な静けさが広がっていた。
兵たちはそれぞれの持ち場に散り、傷の手当てや装備の整備に追われている。
だが、その空気の底には、誰もが感じ取っている、次の戦いの影があった。
廠、紅陽、紅仁、劉備、張飛、関羽、趙雲。
主だった将たちが集まり、地図を囲んで作戦会議が始まる。
織が報告書を手に、静かに口を開いた。
「やはり、異形は神域の領域内には入ってこないようです。境界線の手前で動きが止まっているのを確認しました」
張世平が腕を組んで頷く。
「やはり、何故か入ってこないんじゃよ。この見えない壁がどれほど持つかは分からんが、守りの要にはなるわな」
廠は地図の上に手を置き、短く言った。
「守備は一万。親父殿、織、頼んだ」
「まあ、任せとけ」
劉備が視線を巡らせながら言う。
「我らは全軍で出る。異形の巣を叩くには、もはや半端な兵力では足りぬ」
紅陽が頷き、張飛が豪快に笑う。
「五千の騎馬で出る。任せとけ。今度はこっちから蹴散らしてやる」
関羽は静かに槍を立て、紅仁は地図を見つめながら言った。
「歩兵五万で、必ずや道を開きましょう」
劉備は張飛の騎馬隊の後に、廠は紅陽の騎馬隊の後に続く。
陣容は整い、翌々日の出撃が決まった。
――
その夜、廠は織の部屋を訪れた。
灯りは小さく、外の風が紙障子を揺らしている。
織は廠の胸に顔を埋め、震える声で言った。
「どうか、無事で戻ってきてください」
「必ず帰るよ、織が待っている場所に」
「廠がいない神域なんて、考えたくない」
廠はその言葉に胸の奥が熱くなるのを感じ、そっと織の頬に触れた。
「大丈夫だ。俺はまだ、やることが山ほどある」
二人はしばらく抱き合い、外では、遠く巣の方角から、また微かな地鳴りが響いていた。
まるで、次の戦いを催促するかのように。




