54.呂布も孫堅も動く。異形の大侵攻、始まる
雍州から涼州へかけての荒野は、もはや地図の上の“領土”ではなく、異形が支配する無法の地だった。
その中で、呂布はただ一人、戦い続けていた。
長安周辺は、ようやく異形の掃討が終わりつつあった。
だが、そこから西へ一歩踏み出せば、地平線の向こうまで異形の影が蠢いている。
呂布は丘の上で馬を止め、荒野を見下ろした。
「……まだまだだな」
かつて董卓の下で戦った頃とは違う。
今の呂布は、千騎の兵を率いる“異形狩り”の将だった。
補給は、神軍の兵が定期的に運んでくる。
食糧、矢、薬、馬具。
必要なものはすべて揃っていた。
呂布はそれを見て、ただ短く言った。
「助かる」
それ以上の言葉はなかった。
戦うしか能がない自分を、呂布自身が一番よく知っていた。
補給があるから戦える。
戦えるから、生きていられる。
それだけだった。
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その日、神軍とは別の補給隊が呂布の陣に現れた。
「曹操軍の補給隊、到着!」
呂布が振り返ると、見覚えのある男が馬から降りてきた。
確か、曹操のところにいた文官だったはずだ。
「陳宮」
陳宮は深く頭を下げた。
「呂布殿。曹操殿の命により、この地域の民政を担当することになりました。異形を掃討した後の村々を、私が治めます」
呂布は眉をひそめた。
「曹操が、俺の戦った地を治めるというのか」
陳宮は苦笑した。
「殿は、領土を奪うつもりはありません。ただ、異形に怯える民を放置できぬだけです。
それに、呂布殿が戦ってくれたおかげで、民が戻れる土地が増えているのです」
呂布は鼻を鳴らした。
「好きにしろ。俺は戦うだけだ」
陳宮は静かに頷いた。
「それで十分です。呂布殿が戦ってくださる限り、私は民を守りましょう」
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呂布は馬を進め、荒野を見渡した。
誰がどこの領地を持とうと、誰が覇者になろうと、そんなことはどうでもよかった。
異形の前では、人の争いなど塵に等しい。
「領地など、好きに奪えばいい。異形を斬れる者が、斬ればいいだけだ」
呂布の視線は、遠くの黒い影に向けられていた。
その影は、ゆっくりと蠢き、こちらへ迫ってくる。
呂布は槍を握り直した。
「来い。俺は戦うために生きている」
千騎の兵が一斉に槍を構え、呂布の背に続いた。
荒野に、蹄の音が響き渡る。
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長江の流れは本来、穏やかで雄大だ。
だが今、その水面は黒く波打ち、無数の影が蠢いていた。
魚のようで、人のようで、しかしどちらでもない。
鱗に覆われた腕、裂けた口、濁った眼。
半魚人の異形が、長江を埋め尽くしていた。
「半魚人だと」
「はい、益州から長江を泳いで」
「益州から溢れたというのか」
孫堅は、建業の城壁から伝令の報告を聞き、すぐに馬を飛ばした。
隣には若き孫権が続く。
「父上、急ぎましょう。兄上と周瑜殿が危ない」
「わかっている。長江が破られれば、江東は終わりだ」
孫堅は水軍を率い、長江を下った。
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公安の河岸は、すでに戦場と化していた。
孫策が陸地で槍を振るい、周瑜は水軍を指揮して半魚人の群れを押し返している。
太史慈が叫んだ。
「来るぞ、右岸から大群だ」
孫策は槍を構え、笑った。
「上等だ、この魚野郎ども、俺が相手だ」
半魚人が次々と岸へ這い上がり、その牙が兵の盾を噛み砕く。
周瑜は船上から指示を飛ばした。
「火矢を放て、水面を焼き払う」
火矢が夜空を裂き、長江の水面に落ちる。
油が燃え上がり、半魚人の群れが炎に包まれた。
「まだ来るぞ! 底が見えぬほどの数だ」
太史慈の声に、孫策は歯を食いしばった。
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孫堅の軍船が長江を遡り、炎に照らされて姿を現した。
「江東の地を荒らす異形どもめ、覚悟せよ」
孫堅の号令とともに、江東水軍が一斉に矢を放つ。
孫策が笑いながら叫んだ。
「父上! 遅いぞ!」
「お前が早すぎるのだ!」
孫堅は船首に立ち、剣を掲げた。
「江東の民を守るため、ここで食い止める!孫家の名にかけて、一歩も退くな!」
兵たちが雄叫びを上げ、長江の両岸で火と水が交錯する。
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異形の群れの侵攻がようやく落ち着き、孫堅軍・孫策軍・周瑜の水軍が一度集結した。
長江の河岸には、戦いの余韻がまだ漂っている。
孫堅が皆の前に立ち、深く息を吐いた。
「皆、よく無事で戻ってきてくれた」
「あいつら、長江を泳いで押し寄せてきたんだ。まるで川そのものが敵になったみたいだったぞ」
「数が異常だ。これはただの群れではない。益州で、何かが起きている」
「巣ができたのかもしれませんな。あの数は、自然に湧いたものではない」
孫堅は空を見上げ、長江の向こうへ視線を向けた。
「益州で異形が溢れたという報せは本当だったか。江東にまで届くとは、事態は想像以上に深い」
周瑜が頷く。
「このままでは、長江が“防壁”ではなく“侵入口”になります。江東を守るためにも、益州の状況を探らねばなりません」
「父上、江東は俺たちが守る。だがこの戦、長くなるぞ」
孫堅は静かに頷いた。
「覚悟はできている。江東を守るためなら、どこへでも向かおう」
長江の風が吹き抜け、戦場の煙を運んでいった。
その向こう、益州では、まだ何かが蠢いている。




