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今度は三国志の真っ只中にいます  作者: 水原伊織


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52/65

52.河北が空白化したので神軍が全部引き受けることになった

袁紹軍が敗走し、冀州が異形に蹂躙される中、神域の門前には、次々と豪族たちが列を成していた。


「どうか、我らをお救いください」

「領民は皆、神域に避難させました。どうか、我らも」


廠は、彼らの訴えを静かに聞いていた。


織が横で帳面をめくりながら、淡々と状況を整理する。

「これで、冀州・并州・幽州の豪族の大半が帰順しました」

「異形に対抗できるのは、神軍だけだと考えたのだろう。ならば、受け入れるしかないな」


豪族たちが差し出した領地は、神域の拡張にそのまま組み込まれた。

神域は北へ、東へ、西へと広がる。

気づけば河北一帯のほとんどが、神軍の支配下となっていた。


豪族たちの私兵も合わせれば、その兵力は二十万を超える。


織が驚きを隠せずに言う。

「これほどの勢力になるとは。袁紹が築いた河北が、丸ごとこちらへ転がり込んできたようなものですね」

「皮肉なものだ。袁紹が戦を起こしたせいで、異形が増えたと噂され、その結果、民も豪族も、皆こちらへ逃げてきた」

「もはや声望は地に落ちたのね。もう河北を治める力を失ったのでしょう」


----


廠は、集まった兵力を前に、静かに指示を出した。


「紅陽」

「はい」

「騎馬隊一万を預ける。異形の掃討と、北方の警備を任せたい」


紅陽は深く頭を下げた。

「承知しました」

「紅仁には、歩兵四万を預ける。調練の他にも、異形の侵入を防ぐ防壁の建設、村々の再建、避難民の保護、やるべきことは山ほどある」


紅仁は拳を胸に当て、力強く答えた。

「任せてください。この四万、必ずや民の盾となりましょう」


織が横から補足する。

「調練を急ぎましょう。異形との戦いは、これまでの戦とは違います。兵たちに、神軍の戦い方を叩き込まねば」


廠は頷いた。


----


残った兵のうち十万は、廠と織の指示で開墾や土木工事に従事させた。


「領地が一気に広がりすぎた。道を整え、堤を築き、村を再建しなければ、民が暮らせぬ」


十万の民兵は、鍬や鋤を手に、神域の拡大に合わせて働き続けた。

異形の脅威に怯えながらも、彼らの顔には希望があった。


「ここなら生きられる」

「神軍が守ってくれるなら」


----


そして、相変わらず帝と共に、畑を耕す劉備の所に、廠は兵を連れて出向いた。


「廠殿」

「劉備殿」


廠は、馬から降りて、劉備と向かい合った。


「劉備殿には、五万を預けたいんだが」


廠がそう告げると、劉備は深く頭を下げた。

「廠殿のご厚意、必ずやお返しいたします。この五万、民のために使わせていただきましょう」


関羽・張飛・趙雲らが後ろに控え、静かに頷く。


織が小声で廠に言う。


「劉備殿なれば、五万を預けても、裏切ることはないでしょう」


廠は微笑んだ。


「わかっている。彼は、そういう男だ」


こうして、河北は、袁紹の手を離れ、神軍の支配下に入った。


異形に怯える民は神域に集まり、豪族たちは廠に忠誠を誓い、劉備軍は五万を率いて民の守りに回る。


袁紹が鄴へ戻る頃には、河北の地図はすでに塗り替わっていた。


廠は静かに呟く。

「これが、戦の果てか」

「まだ始まりにすぎません。異形との戦いは、これからです」


廠は頷き、遠く北の空を見つめた。


その空の向こうには、異形の影が、今も蠢いている。


----


鄴の城壁の外に、今は人の声がなかった。

代わりに、地を這うような低い唸りと、肉を擦り合わせるような湿った音が響いていた。


異形が群れを成し、城門を覆い尽くしている。


黒い影が蠢き、城壁をよじ登り、塔を食い破り、街路を埋め尽くす。

その中心に、ひときわ巨大な異形が鎮座していた。

まるで、鄴そのものが“巣”へと変わったかのようだった。


袁紹は、城内の奥深く、かつての政庁だった建物の一室で、震える手を押さえていた。


「なぜだ、なぜ、この儂が」


彼の周囲には、もはや側近の姿はない。

逃げ出した者、異形に喰われた者、あるいは裏切った者。

残ったのは、主君と、数名の近習だけだった。


外では、異形の咆哮が響き、壁が軋む。


「殿、もう、これ以上は」

「黙れ。儂は河北の覇者。この袁本初が、異形ごときに」


その叫びは、虚しく空気に溶けた。


次の瞬間、天井が崩れ、黒い影が雪崩れ込んだ。


悲鳴は短かった。


鄴は、完全に異形の巣窟となった。


----


その報せが神域に届いたのは、翌日の朝だった。


織が巻物を手に、廠の前に立つ。


「鄴、陥落。袁紹、討死とのことです」


廠は目を閉じ、短く息を吐いた。

「……そうか」


劉備が静かに言う。

「袁紹殿も、また乱世に翻弄された一人。異形の前では、誰もが脆いものですな」


廠は頷いた。

「だが、これで河北は完全に空白となった。異形の巣が広がれば、南へも押し寄せるだろう」


織が地図を広げる。

「鄴を中心に、異形の密度が急激に増しています。まるで、繁殖しているかのように」

「巣だな」

「袁紹が滅びたことで、異形は抑えを失った。これからは、こちらが主導して動かねばならん」

「廠殿。五万の兵、すでに調練を始めております。民の避難も進んでおりますが……」

「足りぬだろうな」


廠は北の空を見た。

そこには、黒い雲のように蠢く影が、ゆっくりと広がっていた。

「異形の巣を放置すれば、河北は完全に死ぬ。いずれ中原にも押し寄せる。その前に、なんとかしないと、な」


織が息を呑む。

「まさか……鄴へ?」

「いずれは、だ」

廠は静かに言った。

「だが今は、神軍を整え、民を守り、領地を固めることが先だ。異形との戦は、長くなる」


劉備が深く頷く。

「ならば、我らも覚悟を決めねばなりませんな」


廠は拳を握りしめた。

「袁紹の滅びは、乱世の終わりではない。異形との、本当の戦の始まりだ」


北の空は、黒く、重く、蠢いていた。


その向こうにあるのは、かつての都・鄴。

今はただ、異形の巣窟として息づいている。


廠はその闇を見据えた。


「必ず、取り戻す。人の世をもう一度」

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